近代資本主義のシステムを創り上げた人たちが 後にDSディープステートと呼ばれるようになった

  そして、そのシステムを自在に使いこなすことで 彼らは目も眩むほどの莫大な資産を手にし、そのお金の力で世界を一つにまとめて支配・統治しようとしている

  では そのシステムとは、一体どんなものなのか



  近代資本主義経済の基本(根本原理)は、貨幣を発行する仕組みにある。

  貨幣(お金)がどうやって生まれるのか、そして それがどうコントロールされているのかを知っているだろうか?

  これを知れば、近代資本主義とは何なのか 完璧に理解できるだろう。


  中央銀行が紙幣を印刷しまくれば、お金は湯水のように湧いてくるのか

  本気でそう思っている人がいそうだが、もちろん そんな単純なことではない


  銀行業務は、実は詐欺から始まったようなものだ。

  それは一体どういうことなのか、以下に説明する。



  15〜16世紀のロンドンで銀行業務のようなものが始まったと言われている。

  それは どんな経緯いきさつで始まり、どんなものだったのか?


  当時のお金はきんゴールドであった

  したがって 商人が商売をしてお金持ちになればなるほど、実物のゴールドの保有量が増えていった。それを家に置いておけば、いつ盗られるか分からず とても不安だった


  そこで、頑丈な金庫を持っていたゴールドスミスと呼ばれていた金細工職人に頼んで、保管料を払って安全に保管してもらうことにした

  ゴールドスミスは その預り証を発行し、商人は 決済でゴールドが必要なときに預り証を持っていき、ゴールドを金庫から引き出して使うようになった


  ところが、預り証があればいつでもゴールドに換えられたので、そのうちに商人たちは預り証だけで取引するようになった

  つまり、預り証が紙幣のように使われるようになったのである。


  なんとなく銀行の姿が見えてきただろうか?


  ここでゴールドスミスは、引き出されるのは ほとんどいつも預かっていた現物の1割以下でありの大量のゴールドは金庫に眠ったままであることに気づいた


  そこでゴールドスミスは、実際には持っていない(金庫にない、だから偽の)ゴールドの預り証を発行して利子を取るビジネスを思いついた

  これは まさしく詐欺みたいなものだろう。

  詐欺みたいなものでも、それで経済が発展して人々が豊かになればいいと、そこまで考えてしたことかどうかは不明だが…


  引き出されるのは ほとんどいつも1割以下なので、実際に保有しているゴールドの10倍の預り証を発行できた

  このウチ9割は 詐欺みたいなものである。


  これが、現在信用創造と呼ばれるものの原型になった。

  この信用創造のメカニズムがお金を生みだす仕組みであり、これは 無からお金を創る(money making)ことである。


  これ(信用創造)をするのは民間銀行であり、

  お金:紙幣を刷るのは日銀(中央銀行)だが、

  お金:貨幣を創るのはあくまでも民間銀行の仕事なのである。


  ゴールドがあれば、その10倍の預り証(お金)を発行できるので、発行したお金の9割は 無から生みだしたようなものである。

  何もないところ(からお金moneyを創るmaking 打ち出の小槌システムが信用創造なのだ。


  当時は有限なゴールドの量を超えて貨幣を発行することができず、それが律速段階となって経済発展を制限していたのでこの詐欺(のような)システムは経済発展に大いに寄与することになった

  これは後に、イギリスが世界の覇権国家となる礎いしずえとなった


  money making の訳語が信用創造という言葉なのだが、ならば貨幣創造と呼べばいいものの、なぜ分かりにくく信用創造と訳すことにしたのか?

  日本人の訳者は、あまりにもそのままの言葉なので 詐欺がバレるのが怖いと思ったのか、それとも その仕組みを日本人から隠そうとしたのか?


  私はこの仕組みを知ったとき、本当に驚いた。そして、じゃ どんどん(無制限に)お金は創れるんだと思った。

  他にもそう思う人は多いと思うが、そんなに都合いいワケがない

  何か変だ、と思わなくてはならない。


  これは、無から創ったお金であっても 必要なときにはちゃんと本物のゴールドに戻せるという信用があったからできたシステムであり、その信用に基づいていることを強調するために信用創造という訳語にしたのだろう。


  その信用がお金を生みだす原動力であり、現代のお金も そのような信用に基づいて発行されている。

  皆んなが、お金にはモノとサービスを買う(交換できる)価値があると信用しているから 金融(お金)システムは成立している。


  だから、本当に 「いつでも」 ゴールドに換金できなくてはならない。

「ほとんど いつも」 と言ったが、それでは 不十分である。 「ほとんどを取っていつも かならず」 換金できなくてはならない


  ごくごく稀に 準備している以上の引き換え要求があっても対応できなくてはならない

  そうでなければ この信用が崩れてしまう。

  それを防ぐために、ゴールドスミス同士がお互いに足りないときに貸し借りするシステムも、同時に創っておいたハズだ。


  それが今では、法定準備金を満たすための短期インターバンク市場となっている

  この詳細は その2で説明するが、このときの1日だけの貸し借りの金利を無担保コール翌日物レートと呼ぶ。

  これでもダメな取り付け騒ぎのようなときは中央銀行が紙幣を印刷して供給することになる。


  このときの紙幣は 日銀が民間銀行に対して信用創造によって生みだしたお金であるが、普段の紙幣印刷は ただ古い紙幣を新しいものに取り換えるためだけに行っている。


  当時の商人(お金持ち)の多くはユダヤ人であり、そしてゴールドスミスもユダヤ人であった。

  ユダヤ人社会では強力なヨコのネットワークが機能しているので、これが可能になったのだろう。



  このシステムが発展して現在の銀行になった

  だから 初期の銀行は、いつでもゴールドに換えてくれる金本位制の銀行であった


  大航海時代 スペインの黄金期は、世界の主流の実物貨幣は 金ではなくの方だった。

  しかし ロスチャイルド家が発展してから 彼らゴールドに目をつけ、金鉱を開発し 金の実物をしっかり押さえた

  南アフリカの帝王的な存在であったセシルローズも代表的なDSの一員であり、彼は 南アフリカの金を支配した


  ロスチャイルド家は、新大陸の銀が過剰に採掘され それが過剰に流通してインフレになり 銀の価値が下がったのに乗じて金本位制を推し進め、以後は金が主流になった

  これは もちろん、金融の根幹を押さえて この分野で絶対的優位に立つための布石であった。


  第一次世界大恐慌の時代は、各国で金本位制の採用とその離脱を繰り返したようだが、

  第二次世界大戦後は アメリカ経済絶対優位の下もと金本位制のブレトン・ウッズ体制で始まった


  だが 27年経った1971年のドルショックでこれも終わり、それ以来 金や銀など実物の裏づけのない(虚構の信用だけに頼る)通貨の時代になった


  つまり、商品貨幣から信用貨幣の時代へと金融システムの根本が変わ 貨幣の流通量を制限するリアルなモノがなくなってしまい、(非リアルな信用の許す限り)原理的には いくらでもお金を発行できるようになった


  金銀に代わる信用の裏づけは国家によってなされ、モノやサービスを提供できる国家全体の生産力が その国家が発行する通貨の信用になった

  つまり、1万円札で1万円分の価値のモノやサービスが得られるハズだという信用(思い込み)、このシステムを支えることになり、それを国家(の生産力が保証した


  したがって 国力が衰えて 価値に見合ったモノ・サービスを提供できなくなれば、通貨の価値が下がり、インフレになり 為替レートも安くなるのだが、

  信用という目に見えないものを評価することは非常に難しいので、信用低下とインフレや為替レートの下落の間には 大きなズレが生じることになった。


  これが、バブルの発生と崩壊や 大インフレ(ときにはハイパーインフレ)の元になっている。


  金銀の裏づけのある場合、その現物の量を超えて通貨を発行することができないので それが経済の足枷となって経済成長が制限されてしまう

  一方そのような裏づけがない場合経済成長しやすいが、逆に 安易に通貨が発行できるために過剰に発行されやすくなり、そのため 後からバブルや大インフレというしっぺ返しを食うことになる。

  いま現在 まさにその状況の一歩手前にいる、ということである。



  民間銀行が利子を取ってお金を創造するという仕組みには、利子を取ることで この信用創造が過剰にならないように 抑制する働きがある

  利子をちゃんと払うという約束(契約)借り手の信用を裏づけているのであり、利子を返すのは大変なので その大変さが過剰な信用創造を制限することになる。


  利子の大きさ(金利水準=借り安さ/難さ)、(利子が高ければ返すのが大変なので借りにくくなり、低ければ借りやすくなるというメカニズムを介して)流通する貨幣量をコントロールしているのである。


  だから、個人や企業が 過剰に借り過ぎることは少ない

  そして、この金利を調整するのが 中央銀行の仕事であり、中央銀行には それによってインフレ率を適正に保つ使命が課せられている


  過剰になるのは国家が 借り過ぎるときである。

  国家の借金とは国債のことなので、国家が借り過ぎるとは 国債を発行し過ぎるということである。


  国家(政治家)は国民の要求を断り切れず、往々にして借り過ぎてしまう

  国民は、自分なら決してしないような無謀な借金を 国家に対してなら簡単に要求し続ける


  日本では、バブル崩壊後の過去30年以上に渡って これが続いた

  財政法の4条で赤字国債の発行を禁じているのは このような事態を防ぐことが目的なのだが、それは国会決議によって反故ほごすることができる


  さらに 第二次安倍内閣の時代は、毎年国会決議しないでもすむようにして発行しやすくしていた。


  欧米ではリーマンショック以後 その傷を安易に癒すために国債を大量に発行した

  そして、コロナショックが さらにそれを推し進めた


  国債は当初、戦争資金を得るために考えだされたものである。

  ナポレオン戦争時、フランスは 国民が今持っているお金を借りて戦争の軍資金とした。

  一方イギリスは国債を発行して今ある以上のお金を創造して それを軍資金とした

  この時期のイギリスは 一時的に金本位制から離脱して、未来(の国民)からお金を借りてきたのである。


  イギリスは勝ったから、そのお金を返すことができた(*)

  しかし負けた場合は それができず、結局インフレによって(未来の)国民が そのツケを払わざるを得なくなる

  大東亜戦争に負けた日本では それが起きたし、国債で軍事資金を賄まかなった(創った)すべての敗戦国がそうなったハズだ。


  したがって、財政法の4条は 本来(資金源を断つことによって)戦争を防ぐことを目的として導入されたものなのである。

  ちなみに財政法の5条では日銀による国債の直接引き受け(財政ファイナンス)を禁じている


  中央銀行が直接国債を買う場合、つまり直接政府に貸付けをする場合、一応 利子は取るが その利子(日銀の利益)は最終的に国庫に納められるので、実質的に利子がないのと同じことになる。


  先の大戦の戦時国債は 国民が買うと同時に、日銀も大量に買い入れて 直接引き受けていた(財政ファイナンスしていた)

  このために、民間銀行であった日銀が この時期に国有化されのだった。


  だから 国家は際限なく借りる(お金を創ることができ、結局は 国民が大インフレによってツケを払わされることになった。

ただより怖いものはないのだ(**)


  大東亜戦争の時に日本が使ったお金は GDPの8.8倍であり、その結果 1952年には1936年と比べ(16年間で)180倍の小売物価になってしまった

  このインフレは、日銀の直接引き受けによる超過剰な国債発行による金あまに加え、生産設備の徹底的な破壊による供給不足のダブルパンチによって引き起こされたものである。


  結局 民主主義国家では、国民の人気がなければ選挙で選ばれないので 政治家は大衆迎合的になりやすく、そのために国債がどんどん発行されてしまい、身の丈を表す 税収入以上の贅沢をしてしまうことになる。

  もちろん国民は、贅沢しているなどとは思ってもいないだろうが…


  ついでに言えば、民主主義国家の選挙にはお金がかかるので、お金持ちであるDSは 自分たちに都合の良い政治家をお金の力で選ぶことができる

  つまり 民主主義というシステムDSが政治をコントロールするのに非常に都合の良い制度なのである


  このようにして この20〜30年の間に、日欧米の先進国すべてが 国債の過剰債務というワナに嵌はまってしまった

  それを上手く誘導したのが DSであり、この過剰債務によって絶妙のタイミングで 大恐慌とそれに続く大インフレを起こし(誘導して)世界を大改革しようとしているのだ。



  近代資本主義経済の根本原理である 民間銀行による利子つき信用創造というシステムには、このような問題が潜んでいる。

  それをなくすために、政府が利子を取らずにお金を発行すれば良いという 根本原理を変更しようとする考え方がある。


  これが、政府紙幣発行論である。


  だが 利子という制限があるにも関わらず、国債が過剰発行されてしまうのが現代の民主主義システムである。

  それなのに 政府が発行することで利子という重しをなくしてしまえば、さらに簡単に貨幣が発行できてしまうのでもっとインフレになりやすくなる

  これでは何の解決にもならない。これは、中央銀行が国債を直接引き受けるのとまったく同じことである。


  政府が経済活動・その他に必要な貨幣量を測定計算して、それにピッタリ合う量の貨幣を発行すればいいという理屈のようだが、そんなことができるハズないだろう。


  ソ連の計画経済の失敗を見れば それは明らかなことなのに、それを主張しているのは 極めて優秀と思われる人たちなのである。 

  人間の理性が いかに信頼できないものか

  そんなバカな方法を否定するDSの方が信頼できるのではないか


  リンカーンもケネディも、この政府紙幣を発行したためにDSに暗殺された。

  それは DSの利権を侵害したからであると説明される。

  もちろん そういう側面もあるが、同時に このようなバカなことを阻止したという側面もあることを忘れてはならない。



  このように、信用創造に伴う利子が存在すること、つまり タダでお金を借りれないことは非常に重要なポイントである。


  利子があるということは、信用創造にはリスクが伴うということであり、このリスクを引き受ける覚悟を持つことが 資本主義経済の中で生きる肝きもとなるマインドになるからだ。


  お金を借りる人がそれを返すとき、「必ず」 利子分を上積みしなくてはならない

  事業のために借金した人は、借りた以上の価値(付加価値)を生みださなくては利子のついたお金を返せない

  だからそのリスクを避けるために、付加価値を生みだそうと必死に頑張ることになる。


  ここでいう 「(経済的な)価値とは 社会(他者)に役立つもの」 という意味であり、この付加価値の蓄積の結果が 現在の豊かな社会である。

  つまり、経済成長とは 社会が(物質的に)豊かになることであり、そのために 多くの人たちが頑張っているのが資本主義社会であり、その頑張りを担保しているのが 利子の存在なのである。


  だから まるで「利子というお金が働いている」 ようにも見えてしまう。


  柄谷行人が「資本とは自己増殖する貨幣である」 と難しい言葉で語ったことの意味は、上記のことである。

  資本主義の資本とは 「働くお金のことであり、働いて自分で勝手に増えてくれるお金のことなのである。


  とはいえ やはりお金が働いてくれるワケではなく、結局は お金を借りて信用創造した人が 「頑張って」 働いてくれるのだ。

  つまり、資本とは他人を無理やり働かせるお金なのである。

  だから、資本主義の世界では努力が求められ、ときに人は それで苦しむことになる


  この頑張りが 社会を豊かにする経済成長を促す。だから これこそが成長をドライブする魔法の杖のようなものなのである。

  このシステムが、現代において努力という価値観が崇あがめられる基になっている


  投資した後は お金が勝手に働いてくれる もしくは 投資先の人が勝手に働いてくれるので、投資家は何もしなくてもいいように見えるかも知れない。

  だからと言って、投資とは不労所得を得ることであり 楽ちんな(ズルい)生き方である と判断するのは 大きな間違いである。

  投資の世界であろうとなかろうと 楽して簡単に儲けることなどできはしない。当たり前のことだ。


  投資する前は、いつ どこに投資するのかを真剣に検討しなくてはならないし、そして 

  投資した後も、投資先が正しく働いているかどうかをチェックし続けなくてはならない

  だから、投資家は頭脳労働者であると言えるだろう。


  肉体を使って額に汗して働いてはいないかも知れないが、頭を使って社会や産業のあるべき姿を思い描き、その姿にするために貢献できる企業を選択しリスクを承知で そこに自分のお金を投じることは とても難しい。


  投資を受ける企業だけでなく 投資する投資家もリスクを取ってチャレンジするという点でまったく同じ 資本主義経済の重要な担い手なのである。


  このようにして 19世紀以降に資本主義の原理によって急速な経済成長を遂げることで 社会が豊かになり、20世紀の半ばにやっと 人類(正確には先進国の一般大衆)飢えと貧困から 史上初めて脱出することができた


  それ以前の時代でこの状態を享受できたのは 貴族や僧侶などの特権階級だけであり、そして 今でも多くの途上国の住民の大部分は 飢えと貧困の中で喘あえいでいる

  資本主義経済とは、「無理やり 剰余価値を生みださせて経済を成長させるシステムであるが、それが先進国の人たちを物質的に救ったのも事実なのである。


  繰り返すが、この利子の存在こそ ーそれはハゲタカ資本主義とも呼ばれる強欲さに繋がるものだがー その強欲さこそが 競争による効率化を推し進め、先進国国民を飢えと貧困から救ったのである。

  それがなかったら、今でも人類の大部分が困窮の中で喘あえいでいたであろうし、そして その道は今なお まだ発展途上なのだ。


  この途上国の人々も いずれ必ず飢えと貧困から脱けだすことになる

  そのときの地球環境を守るためにも、DSは まず先進国の社会主義革命を進めようとしているのだろう。


  この社会主義とは 資本主義を否定するものでなく、資本主義(市場での自由競争による効率化システム)を包含するものであるが、それは 大衆の贅沢を許さないものになる。

  そのために、過剰に豊かであった先進国の国民の生活は(贅沢を奪われることで)低下せざるを得ないだろう。



  以上 資本主義の本質を述べたが、もちろん 同時に この過酷なシステム(競争を前提とした頑張り)が人間を苦しめていることも事実である。


  しかし、だからといって このシステムを否定できるだろうか?  捨て去ることが可能だろうか

  いったい、それに代わる どんなシステムが存在するというのか?

  頑張り過ぎは良くないが、まったく頑張らないのも困ったものであり、いいとこ取りなどできないのだ。


  政治を論ずる人思索を好む人理想を語る人・そして資本主義を説明しようとする人は、このことを ちゃんと知っているのだろうか?

  それらを語る人たちは優秀であり、経済についてもよく知っていると自覚しているようだが、本当に資本主義の この原理を理解しているのだろうか


  近代資本主義経済を成り立たせている根本原理とは この信用創造のシステムであることを理解しているのだろうか?

  資本主義を否定して 共産/社会主義社会を目指している人たちは、このことを理解しているのだろうか?

  資本主義を思索の対象として語る人たちは、ここまで述べてきたような 資本主義経済の現実の在り方を知っているのだろうか


  社会主義革命を目指しているDSは、資本主義を否定することなく その長所を生かしつつ新しい社会システムを構築しようとしているに違いない、と 私はそう思っている。

  マルクスが目指した理想の社会とは、資本主義を否定するのでなく それを認めながら それを超越する、ヘーゲル的な新しい世界であったに違いない

  だからこそ、資本主義が限界まで極まった後に革命が起こると考えたのだろう。


  ソ連や中共の共産/社会主義は あくまでも実験レベルの過程の姿に過ぎず、彼らの目指すシステムはもっと洗練されたスマートなものだと思われる。


  そして 国家レベルの主権では それを実現することができず、世界統一政府という形態でのみ それができると信じているのだろう。   

  DSは。




* 初代イギリス・ロスチャイルド家 当主のネイサンは、ワーテルローの戦いでイギリス軍が勝ったことをいち早く知り、持っていたイギリス国債を投げ売り、それを見た他の投資家たちは イギリス軍が負けたと思い込んで慌てて自分たちの国債も売り払ってしまった。

  このようにして国債価格が暴落したところでネイサンは可能な限り大量の国債を買い戻し、一夜にして超莫大な富を築き上げたと言われている。


  ここで留意すべきは その情報の早さであり、ネイサンはフランスのロスチャイルド家と協力して、早馬・早船・伝書鳩など 当時使えるあらゆる伝達手段を駆使した。

  これが彼らの典型的なやり方であり、情報の重要さを熟知しているのがDSである。


  そして 次の大恐慌でも、ピークで売り抜けて 大底で買い戻し、大儲けするつもりだろう。

  それが主たる目的でないにしろ、それを儲けに繋げるのが彼らのいつものやり方である。



** 現在も 日銀が国債の半分強(600/1100兆円)を引き受けているが、これは 「直接」 引き受けではなく 「間接」 引き受けである。

  つまり、国債はまず民間銀行に買い取られて信用創造が行われ、貨幣が創りだされる。

  それを さらに日銀が民間銀行から、公開市場操作という名目で買い取っている、


  民間銀行から買い取った代金は日銀にある民間銀行の当座預金口座に(日銀の信用創造によって)支払われる。

  この口座のお金は法定準備金なので 銀行の貸出し余力が増えるのだが、そんなに資金需要はないので 貸切れなくなってしまう。


  その結果 コールレートを政策金利にすることができなくなって、政策金利を上げるには この準備金に金利をつけるしかなくなる。


  政府にとっては 日銀に買い取られた分の国債の払うべき利子は実質タダになるが、それは このように当座預金の金利という形になって日銀の負担になる。

  つまり、政府の利子負担が日銀に転嫁されただけなのである。


  これだけ積み増された日本国債を引き受けるリスクに比べて かつての 0.1%という金利は安すぎたのだが、それを日銀が引き取ってくれる(間接引き受けしてくれる)ことが分かっていたので 民間銀行は安心して買えたのだ。

  事実、現在 日本の10年金利は1%に上昇しており、0.1%で買った日銀は膨大な含み損を抱えることになった。


  つまり 日銀が間接的に引き受けてくれるので、民間銀行は 金利が安くても安心して国債を買うことができ、国債金利は 安く据え置かれることになった。

  そして このような構造が出来上がったことで、政府の国債の利子負担が 日銀に付け替えられることになったのだ。

  そのせいで日銀は利上げができなくなり、それが円安の原因となり、そのため輸入物価が上がって 現在のインフレが起きている。


  日銀による国債の間接引き受けは 直接引き受ける財政ファイナンスではないので 法律に抵触するワケではないが、財政ファイナンスに近い 極めて危険な方法であることが分かるだろう。

[資本主義経済システム:その2 参照]


  そしてさらに このインフレはもっともっと酷いものになり、結局 国民が国債のツケを払わざる得なくなる。

  大インフレによって国民の資産が減り、同時に政府の負債も減る。こうして国債負担は自動的に軽減される。


  つまり、「政府の借金は国民の資産」 というのは、インフレによって国民の資産が政府の借金の穴埋めに使われるということを意味していたのだ。

  したがって これはあくまでも国内の問題であり、外国には迷惑をかけず、日本国債がデフォルトするワケではない。

  このようなインフレ以外に 国債を返す(国債の問題を解決する)方法などあり得ない、と 断言できる。


  この日銀の莫大な国債間接引き受けを10年間に渡って行ったのが、黒田異次元緩和の正体なのである。

  黒田バズーカ砲によって、日本の金利が不当に安く抑えられていたのだ。


  前述したように 大東亜戦争敗戦前後の16年間で180倍ものインフレが起きたことを考えれば、今後5〜10年で3〜5倍程度のインフレが起こるという予測は 妥当なものと言えるだろう。




[最終改訂:2024年10月2日]