PC版はこちら
このブログの記事は、アメーバブログのスマホのアプリを使って
文字サイズを3に設定すると、画面サイズ内で見やすくなります。
このスマホアプリ画面の青字をタップするとリンクに移ります。
[愛とは 「受容」 のことであり、
納得感をもって 心の底から
(合理的な判断としてではなく直観的に)
自分に対して 「このままでいい」
他者に対しても 「そのままでいい」
(今のわたしやあなたの ありのままでいい)
と 無条件に思えることです]
〈やすみやすみ〉
「すべての愛は かならず、
自分を愛することから始まります」
〈バガヴァン〉
以下、バガヴァンの言葉
[ ]は、やすみやすみの補足
愛[受容]の欠落が すべての問題の根源です。
そして その原因は、
私たちひとりひとりの中にあります。
集団[社会]の状態によって影響をうけた、
私たち個人の
[集団の一員となるために
〜ねばならないと思っている 条件つきの]
内側の状態が原因です。
[もちろん 戒を守るという条件は 必要だが、
それ以上の条件は 不要である]
人生のすべての努力は
ただ 愛[されたい]の追求にあります。
こどもの時に 自分だけを
誰かに愛してもらいたかったのに、
そうではなくて不幸せだったとしましょう。
その 誰かに愛してほしいという対象は
学校の先生・自分の伴侶・自分のこども
へと続きます。
そして 人生は
[愛されることを]ただ 待つというだけの
連続した 長い
「受け身の」 プロセスになります。
[愛されることでなく、 愛することが大事
なのに]
私たちは しばしば、
私たちが 真実の愛と呼んでいる その愛を、
自分の近しい人や 愛する人に 求めて、
試したりもします。
そして 思うような結果が得られず、
怒ったり 満足しなかったりします。
[真実の愛は 求めるものでなく与えるもの
なのに]
人々が 愛と思っているものは、
ただ 求めたり・切望したり・
愛に飢えているだけです。
この愛 を求めることが、
私たちが考える 愛です。
[本当(真実)の愛は 求めるものではなく、
見つけて気づくもの。 次いで 与えるもの]
そして 結果は、[満たされることなく]
フラストレーションだったり
困惑や 失望です。
[人びとは、 真実の愛とは何か を知らない]
[求めている間は 満たされることがないが、
与えることで初めて 満ち足りてくる。
だから、真実の愛とは 与えることである]
私たちの それぞれの内側には
[愛が満たされていない、つまり
自分を受容できないことによる]
むなしさがあります。
このむなしさを埋めるために
人間関係を使います。
[幸せを感じることのできる人間関係は
結果であり、手段ではない。
正しく生きて(愛して)いれば、
結果として 良好な人間関係になる]
人間関係に執着すると、
人は いつも [受け身の・求める]愛されたい
[そのためには、〜ねばならない]
という思いに さいなまれます。
この 愛に執着するところには、
それを失いたくないという
恐れが生まれます。
[本当の愛は けっして失われることがない。
能動的な 与える愛は、なくならない。
能動的な愛は 与えるたびに、増えていく]
そして
自分の自由も すべての人の自由も
破壊してしまいます。
その[失いたくないという]恐れから
生まれた行為が 愛と呼ばれているのです!
その真実は、
人々が 自分自身を愛[受容]せずにいて、
人間関係が 自分自身を愛する[受け入れる
代替]手段になってしまっているのです。
人間関係を通して 自分を満たそうとします。
[他者に愛される ・ 他者に承認されること
によって、自己受容しようとしている]
[ 「無条件に 自分自身を愛する」 のではなく
他者から承認されるという条件つきで やっと
自分を愛することができるようになる]
そうではなくて、
すべての愛は かならず
自分を愛することから始まります。
[自分を愛するとは 自己受容のことである。
そして
自分を受容できれば、 他者も受容できる]
自分に対するように 相手にも対している、
ということを覚えてください。
[自己受容できたら、
他者を愛すること(他者受容)も できる]
それを よく考えることによって、
人は 自分が自分の内側[座]とつながるのと
全く同じ方法で、
ほかの人とも つながることができる
ことに気づきます。
[慈悲は まず自分を慈しむことから始まる]
もし 誰かが
自分のすべての 考え・言葉・行動を
否定したら、
自分も ほかの人に対して
全く同じように 否定してしまいます。
もし 自分自身の欠点に捕らわれて
執着していたら、
ほかの人の欠点に対しても
そのように攻撃します。
[人は 自分自身に対するのと同じように
他者に対応するか、
他者の対応に 反応する(やり返す)ことしか
できなくなっている]
自分自身を 責めることをやめて、
自分自身を ありのままに受け入れる
ことが できれば、
自分自身を愛することが できます。
[自分を愛し・受容できれば、
自分や 他者に対する攻撃をやめられる]
自分の中に 平安がおこれば、すなわち
それは 世界とも平安を築けます。
[そして 穏やかな心で 暮らすことができる
ようになる]
そして 私たちは、
愛[受容]が この宇宙[人生]の
すべてだ と気づきます。
それが、私たちの本質[座の特性]です。
[それが、 私たちが 真に求めているもの。
それが、 ありのままでいい ということ]
[では どうすれば
自分を愛する(受容する)ことが
できるのか?
どうすれば 自分を責めないで済むのか?
そのためには、すでに 自分が
「大いなるもの」 によって 完璧に
愛されて(受容されて)いたことに
「気づく」 だけでいい。
しかし、 それに気づくことは
(たいへん 残念ながら) とても難しい。
それは、 私たちが「思考」 によって
リアルな世界を
非リアルな概念世界に変換しながら
虚構の世界を生きている:色即是空からだ。
【意味づけられた世界は虚構の世界である】
したがって 考えて(思考によっては)
愛を発見することは できない。
自己受容の方法(どうしたら自分を愛せるのか)を
合理的に説明・理解することは できない。
だが そのこと【色即是空】に 気づけば、
すでに 愛されて(受容されて)いた
ことに 目覚めることができる]