色即是空(13)「わたし」の統合(スマホ版) | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

「わたし」の統合


わたし」という自己イメージ
  やって来ては 去ってゆく 
                              不確かな構成要素の
  集積に過ぎなかったものを 
  自分勝手に カチカチに固めたものであり、
              それは 本質ではなかった【無我】 

  それに気づけば、
           本当の自分は 空っぽ【空】であり、
「〜という」 要素ではなかったことが分かる。                 

  本質でないものを取り除いたあとには 
         空っぽ(広く開かれた空間)が残るだけだが、
  その空っぽは 無限可能性秘めている。

  それが全体の姿であり
                    存在の基盤(座)」である
         それこそ本質であった【真我】

「空」であることは なにか虛しい感じ
                     (ときには恐怖)を呼び起こし、
                   人は それに耐えられないので、
  自分がであること
  すなわち 何ものでもないこと 
                                      を認めたくない

わたし」 と思っていたもの
  常に固定した 「これ」 と言える実体ではなく
  絶えず変化 更新続ける ある状態であり
  世界との関係性(因縁)の中から 立ち現れた、
  すなわち 時空縁によって起きた:縁起した
  一過性  概念思い込み)に過ぎなかった
無我 という言葉は  このこと表現している。

  変化の中の一時的なものに過ぎないのに、
  それを「変わらないわたし」と思い込み、
  その 「わたしの自己イメージ」 に囚われて
                   多くの人たちが 苦しんでいる


五蘊」 とは 「縁起するわたし」 を構成する
                       五つの要素のことであるが、
  その中の「が 自己イメージであり、
「カチカチに固められたもの」 とは 
                       その「想」のことであった。

「想」 は 「自分に対する評価や見方」 であり、
          それもまた 本来変化するものなのに、
  その変化を押しとどめて(無常に逆らい) 
  自分(識)が望む「正しいわたし という
     架空の 「概念・観念」 に拘こだわることが
                            苦悩を生みだしている

  そして、「正しい(正の)わたし」という
    思い込みが「負のわたし」を切り離して、
  それ意識の影の中に押し込んでしまった。

  本来のわたし(本質 
             様々に異なる要素の集合ではなく、
  たった一つの 統合されたエネルギー体である

  だが それが切り離されたことで
         エネルギーの流れが 淀んでしまった

  そうやって生まれた「負のわたし 
   本来のエネルギーの流れを 阻害している

「わたし」だと思われていた誤った観念
        思い込みである自己イメージ気づいて
  その 「負のわたし(シャドー) 
           意識の下に照らしだされて 
                         統合(受容されたとき
  淀んでいた「負のエネルギー 
    感情エネルギーとして放出され(浄化され
  わたしは 再び 一つのエネルギー体になる

  浄化は  気づきマインドフルネスの中起こり、
  淀みがなくなった川は
  再び  イキイキゆったりと流れはじめる

浄化が起こるとき
  感情を支えていた思考が見直され
               それ(思い込み)が 手放される
  その思考とは
       「わたし」の過去の経験の集積であり、
  つまり 過去が見直されることになる。
  そうやって
  過去の経験の意味づけが 変更されていく

(思い込み)」 が 緩んで、 溶けていく
  鎧は不必要だった と知り、
  不要になった鎧は薄くなり はがれ落ちる。
  体の緊張も緩み
         心からリラックスできるようになる。


  しかし「を意識下に置こうとすると
  劣等感が刺激されて プライドが傷つき 
           強い屈辱を感じることになるため、
  この感情エネルギーは 
  怒り・非難・不安・恐怖・うつなど 
                    ありとあらゆる形をとって、
  統合に対して 激しく抵抗する

  そして ときには 巧妙な罠をしかけ、
  その姿を暴かれないように 
                   自分自身をも騙そうとする。

             それを観続けることができれば
  その感情を正当化し支えている 
  思考信念観念思い込み諦かになり、
  分離(の感覚)は解消される
  
  そのとき やっと、
              のエネルギーは力を失い
「わたし」は 平穏の地平に至る。
  自分が 何ものでもないことを知り
          安堵することができるようになる。

他者とは違う・特別な わたしが」 という感覚が
  歳を取ることなく 変わらず続いていた 
                  存在そのものに根ざしている
わたし 在る(I AM) という感覚に変わる


  一度 それを体感したなら、
  いつでも どこでも 一瞬で「いまここ」の
                   自分自身に戻れるようになる。
  それが、マインドフルネスだ。

  そのマインドフルネスが すべて解決する 
「自由:解放:解脱」という言葉は、
                      このことを表現したものだ。

  このエネルギーは 本来
   全体の中にある たった一つのものであり、
  それが 様々な形なって現れていただけだ。
  探求のエネルギーの源みなもとも 
                                  同じものであった。

  だから
       自己否定が 自己受容に変わったとき
    「真理の探求旅は 終わりを告げる
  そして、
    「真理を生きる新しい旅が    始まる



(最終改訂:2022年9月13日)