色即是空(12)負の 「わたし」:影(シャドー)スマホ版 | やすみやすみの「色即是空即是色」

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「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  負の 「わたし」 : 影(シャドー)


  思考により悪しきものと判定された 
                    自分自身の負の側面」は、
  否定され 抑圧され 
     無意識の奧底に閉じこめられてしまう。

  そうやって幽閉された  負のわたし」 
  受け入れられないまま 
                 大きなエネルギーに成長する

     そのエネルギーは「」 となって
   「わたし」の中に  脈々と生き続け、
     ときには
      芸術など創造の源泉 となったり、
      世俗的な成功の原動力 ともなる。

  だが 多くの場合
表のわたし奥底から脅かし続け
  苦悩という形で 復讐することになる。

 わたしの洞穴に隠れている限り
わたし」 が 「苦悩」 に別れを告げて 
  平穏な気持ちを得て
                         落ち着けることはない

  だから、
        その影が 個人的なものであれ 
  より普遍的で 集合的なものであれ、
         自分の意識の光の下に照らしだし、
「本当のわたし」の中に 
                  統合されなくてはならない

  気づきマインドフルネスの光の下で
                         自らの無意識を意識化し
  制限されていない 分離されていない
  自分(すべて:全体にならなくてはならない

  限定され 小さく収縮・緊張した
                              「わたし」が緩み、
  より大きなもの へと広がり、
                     全体そのものに到達する。

部分としてのわたし」 ではなく、 
      善と悪の両面(もしくは多面性)を持った
全体としてのわたしになるのである。

  そうやって やっと
すべてがわたし」 であり、
わたししかいない」【梵我一如】ことを 
                    思いだすことができるのだ。


「善い人のわたし・悟ったわたし」に
                        留まっていてはいけない。
  承認欲求のために
               「悟り」を利用してはならない。
ダメな嫌な酷い わたし
            受け入れて生きなくてはならない

  状況によって「善い人」のこともあるが、
  また「悪い人」にもなるのが当たり前だ。
  いつも善い人、  なんてあり得ない
「無常」 というのは、そういうことなんだ。

  ダメな自分を受け入れること なしに
  ダメな他者を受け入れること はできない
  自分であれ 他者であれ、
  そのダメな部分の受容なくして
                              「はあり得ない


  不快な感覚(苦)から逃げようとすれば 
    かえって 苦悩を形成してしまうように、
負のわたしを抑圧否定することが 
  元の苦より辛い苦悩を生み出してしまう
  これが 苦悩の普遍的な発現様式である。

  だから、
  ダメなわたし【苦】から逃げないこと
  当たり前のことだと、受け入れること。

  そうすれば統合(という目覚め)によって
  自分が 自分自身だと信じ込んでいた 
  自己イメージが解体され、 消滅してしまう
「正しさ・善さ」は限定されていて
                       仮のものであったと知り、
正義・善きもの」の呪縛(正しさという罠)
                                   から解放される

  すると いつの間にか、
  他者と世界のイメージも 変わっている
                           ことに気づくだろう。
  自分が変わったことによって 
  自分の投影である世界も 
            すっかり変わってしまったのだ。

  葛藤とは、
  分離・分裂したわたし繰り広げられる
                             「一人芝居」である。
  統合されて わたしが一つになれば 
        葛藤は消失し、それから解放される。

  闘いは終わり敵もいなくなる
「実は 最初から 敵はいなかった
                                      ことに気づく。
  そして、
  葛藤に費やされなくなった分の
                       エネルギーが満ちてくる

変容 というのは、 このようなことである。
わたし という自己イメージが解体されて
【無我】   そして
わたし は 何ものでもない ことを知れば
                          変容が起こるのである。


「善」 と同じように「
  思考(想)が創りだした虚構に過ぎない
           こと【色即是空】に気づいたなら、
「悪を受け入れることは容易になる。



(最終改訂:2022年2月15日)