中野さんへのメール | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  中野真作さんは、鳥取の境港市在住のセラピストです。「非二元」の考え方をベースに、ブレスワーク・ヒプノセラピー・箱庭療法・アロマセラピーなどの心理療法を取り入れて活動されています。東京・大阪・神戸などで、「非二元」を元にしたグループセッションとしての「お話会」もされています。
『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる』という本の著者でもあります。

  以下は、その中野さんに宛てて書いたメールです。

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  中野さん、返信をいただけて嬉しいです。ありがとうございました。

  今日もう一度、最近の中野さんのブログを読んでみました。「愛着障害」 と 「ありのままを許されたとき」という記事がいまの自分に強いインパクトを与えました。
  たぶん長文になり、中野さんにはご迷惑かと思いましたが、自分の気持ちを整理するのに相手がいた方がいいので、書いてみます。


『私は人に対して愛着を感じる、誰かに親しみを感じる、という感覚がよくわかっていませんでした。母親にも、父親にも、それ以外の誰とも心が繋がったと感じたことがなかったのです』〈中野さんのブログから〉

  私は人の気持ちが分かっているつもりでした。親しみを感じることもできました。ただちょっと積極的に人と関わったり、人の中に入って行くのは苦手な方だ、という自己認識でした。

  二年前に岡田尊司さんの「愛着障害」という本を読んで、「あぁ、自分にも愛着障害があって、それは回避型なんだな、でも程度は軽い方だろう」と思いました。同時に、妻にも軽い愛着障害がある、自分と同程度かそれより少し重いくらいかな、と。
  家族の問題を引き起こしてきたものは、たぶんこれなんだろうと思いました。そしてそのとき、今なら私は妻の安全基地になれる、と直感しました。それまで僕は妻に酷(ひど)いことばかりしてきて、そしてこの時点でもそのことをちゃんと分かっていなかったのに、とにかく安全基地になることが大切だ、そしてそれができるという根拠のない自信がありました。

  その結果は、自分が思ったほど完璧ではなかったものの、上手くいったようです。一年ほどたったとき、妻が一人で語り出しました。こんな風です。
「今までの貴方は酷かった。こんな事があった、あんな事を言われた、酷い態度だった ... 」 延々と続きます。「でもこれは恨んで言ってるわけじゃないの。ずっとそうだったけど、今はそうじゃないから、いいの」
  たしかに妻には怒りも恨みもネガティブな感情は何一つなく、幸せそうに話していました。それを聞きながら僕は、たしかにその通りだ、思い出せばそうだった。思い出せないこともあるけど、彼女の言っていることは、まったくの真実だ。普通であれば、とても聞きたくないこと、認められないこと、言い訳するか、否定するか、怒鳴り返すかしそうなことでした。でもそれを否定することなく、ただ聞いていることができました。

  私の、自分を見つめる旅が始まったのが、そのときです。三か月ほど、そうやって自分を見つめ続けました。ウツになりそうでした。なんとか気づきを保てると、ウツにならずに済みます。ウツにならないように(エゴに取り込まれないように) なんとかサティし続けようとしていました。
  そうこうしているうちに、その半年前に読んだアドラー心理学の「嫌われる勇気」という本を再読して、自分自身の問題がすべてそこに書かれていることを発見しました。「青年」は、私のことでした。はじめて読んだときは、それに気づいていなかったわけです。ビックリしました。そして、それを何度も読み直すために、サマリーにまとめてみました。そんな作業がキッカケになったのか、その状態から抜け出ることができました。
「ヤッター、ついにエゴを見つけた」と自分で淒いことをしてしまったように思い、逆にハイになってしまいました。しかしこのハイが三か月続いた後、この高揚感も実はエゴの巧妙な反撃であったことに気づき、再び落ち込むことになってしまったのです。
  二回目の落ち込みもまた三か月ほど続き、今度は中野さんの本との出会いがキッカケとなって、抜け出ることができました。

  今度はもっと慎重でした。これもまたエゴの反撃ではないだろうかとチェックしていました。でも大丈夫そうです。
  それから、今まで学んだことを文章にして、自分の覚書きとしてまとめてみようと思いました。それが以前にお知らせした私のブログ記事です。
  記事の更新を重ねて、自分の理解がどんどん進んでいったような気がしました。そのような状況での、東京での中野さんの「お話会」への参加でした。
  あとから思えば、やはりあの時も少々ハイでした。ずいぶん調子に乗っていました。「自分はもうかなり分かっているぞ、中野さんの言っていることもほとんど理解できるぞ」という気持ちでした(理解と実践はまったく違うものだったのに)
  ですがそれから暫くして、それもまたやはりエゴの反撃であったと気づきました。またまた落ち込みです。でも前のときよりは少し弱くなっていて、気づきが高まったせいかどうか、前のときほど辛くはありません。ウツと闘うために全力を必要とするのでなく、もっと自分を見つめる余裕が出てきているようでした。

  すると、自分の負の側面、自分が隠し続けていたもの、しがみついていたストーリーがハッキリと見えてきました。

  ここでやっと冒頭に帰ります。
『私は人に対して愛着を感じる、誰かに親しみを感じる、という感覚がよくわかっていませんでした。母親にも、父親にも、それ以外の誰とも心が繋がったと感じたことがなかったのです』

  リラックスした心で振り返れば、私も母にも父にも暖かな親しみというのを感じたことがありませんでした。特に虐待されたわけでも、邪険に扱われたわけでもなく、普通に面倒みてもらったので、こんなものだろう、これが普通だろうと思っていました。
  でも後年、ほかの家族の在りようを知るにつれ、それを思い出してみると、実は自分の育った家庭には親子の愛・気持ちの触れ合いというものがなかったのだ、と気づきました。その視点から出発して自分のことを考えてみると、いろんなことが納得できるのです。

  たぶんこれも自分のストーリーだとは思うし、両親を恨んではいないし、両親もそうしかできなかった、誰かがコントロールしてその状況をつくり出したわけでないことは分かっています。与えられたものだけを使って、運命にしたがって、自分の人生を切り開いていくしかないことも分かっています。
  それでも、「自分はなんて可哀想な子供だったんだろう」という思いはときどき浮かび上がってきます。これも否定せずに、そう思うときは思い、ただそうだったんだということを(捉われることなく)観ていけば、いずれそのエネルギーもしぼんでしまうのでしょう。
「中野さんの子供時代って大変だったんだろうな、だからこんな方法で生きる道を選んだ(自分の意思で選んだのではなく、そう運命づけられた)んだろうな」と、勝手に(申し訳ありません)思っていました。ですが自分自身の子供時代を思うとき、(もちろん比較などできないのですが)同じだけ大変だったんだ、と知り愕然としました。でも、すべての人とは言いませんが、多くの人がそうなんでしょうね(程度の違いはあるものの、たしか岡田さんの本には、機能不全でない家族は一割くらいしかない、と書いてあったと思います)

『今やっと、自分の一番深い痛み、一番深い傷にしっかり触れていけるだけの心の余裕、心のスペースが生まれてきたようです。その痛みとそれに付随する悲しみや怒りをありのまま感じとることで、これまで感じられなかった安全基地を自分の内側に作ることができつつあります』〈中野〉

  私もいま、中野さんの前半部分と近い状況にいるのかも知れません。後半の、自分の中に安全基地を作ることができつつあるということに関しては、微妙なところです。
  ちなみに妻はいま、私にとって完全な安全基地です。自分が問題だと見なしていた家族の問題はなくなりました。家族の問題だけでなく、自分の問題でもあるとは思っていましたが、そうではなく、実はすべてが自分だけの問題だったことが分かりました。
  あとは自分のことだけです。妻は「貴方はいまのままでもういいじゃない。家族はみんな心が繋がっているよ(家族は三人の子供、長女だけが結婚していて二人の孫がいます)」と言ってくれます。
  たしかに、もういいような気もします。ですが心の奥底で、やはりまだダメだ、もっと進めという声がします。あともうちょっとかも知れませんし、一生このままの状態が続く気もします。
  なにが大切かは、分かった気がします。であれば、それ(実践:日常生活への落とし込み)が一生続いてもなにも問題ないですね。それこそが、人生そのものですよね。

「ウツ」 も 「ハイ」も、実は心に浮かぶ雲のように実体のない、一時的な感情と思考の複合体に過ぎないのですね。感情や思考の雲は、すぐに現れてすぐに消えていくものというイメージだったので、比較的長く続くウツ的な気分やハイ状態を、雲や波のような一時的・仮のもの、雑念みたいなものと思えずにいました。
  ウツにしてもハイにしても、その状態にある自分をまさに「自分そのもの」と思い込んでしまうから、苦しいのですね。ハイのときは苦しくないけど、それは続かないですよね。だからいつかかならず「苦しく」なる。
  私は人生、ずっとハイを追いかけていて、ハイの状態(このときは傲慢さを伴っている)が比較的長い期間を占めていました。そのためにだけ努力してきた気がします。でも何か違う、そんな思いも同時に抱いていました。ときどき ウツ的な気分が頭をもたげましたが、数日で無理やり元に戻していました。ウツの時だけ少しだけ謙虚だと思えていたのに、いつもそこから逃げ出していました。
  ウツやハイのとき、表面を覆い尽くしているそれらに捉われることなく、それは雲に過ぎない、波に過ぎないと観きわめて、本当の自分と切り離すこと。それがサティ(ヴィパッサナー)の役割のような気がします。
  もう、ウツやハイとはオサラバしたいものです。抜け出す必要などなかったわけです。
 

  以下は、中野さんのブログの「ありままを許されたとき」からの抜粋です。

『苦しみからの解放のためには人間としての未解決の問題にきちんと向き合って、それを癒していく必要があります。
  多くの人は、自分の一部を自分ではないものとして自分から切り離し、無意識の領域に閉じ込めて、なかったことにしています。具体的に言えば、それは一般的に否定的なものだと考えられている性質を持った自分の一部、怒り、悲しみ、暴力、狂気、セクシャリティなどであることが多いです。

  癒しと悟りのプロセスとは、その切り離してしまった部分をもう一度自分に取り戻していく作業のことです。もちろん、そういった部分をそのまま表現することが必要なわけではありません。ただ、自分の中にもある、と認めればいいのです。すると、自分と自分以外を分けている境界線が緩んできます。すべてが私だったのだ、ということを思い出していきます。
  見たくなくて無意識に抑圧しているのですから、多くの場合、それをもう一度自分に取り戻していくプロセスは、苦しいものになります。そのため、人はその切り離してしまった部分を自分の外側に映し出し、他者や社会に問題があると考えてしまいます。

セラピーとは悪魔的なものだ」〈吉福伸逸〉

  切り離してきた自分の側面にどんなに一生懸命直面しようとしても、受け止める準備ができていないときには、それに触れていくことは不可能なのだな、と痛感しました。
  不用意にそこに触れてしまうと、一時的にせよさらに苦しみが大きくなって、日常生活が困難になってしまうことさえあります。
  とはいえ時がくれば、意識の光は自然と心の一番深いところまで屆き始めます。さまざまな形で見ないようにしていたエネルギーが、意識の表面に浮上してくるときがあるのです』

  いまの自分の状況はこれなんだ、と思います。この言葉が支えになってくれます。

  でもアジャシャンティはこう言います。
『真理への道・自由への道は信念体系ではなく、実践すべきものである。それを通して、元々そうだった自分自身を思い出すのである。気楽に無難に、真理に目覚めることなどできない。前途は予測不可能、積極的な関与は必須、結果の保証はない』


  そして、「最近思うこと」の以下の文章でした。

『だれもが皆が、本当の「私」を思い出す旅の途中にいます。そのことを意識しながら旅をするのと、そのことを忘れてしまって旅をするのでは、旅の楽しみがずいぶん違ってきます。そのことを意識しながら旅をすれば、旅の中で出会うすべてのことが、本当の「私」を思い出すきっかけになるのです』〈中野〉

  この文章に勇気づけられています。
[2017年12月19日]