もっとも身近な友 | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  一番身近にいて、もっとも長い時間をともに過ごす「自分自身」
  自分自身に出会うために、旅に出るものなのかもしれませんね〈浦崎雅代〉


もっとも身近な友よ
  君は怖かったんだね、君の辛さのおおもとはそれだったんだ ...

  とつぜん見知らぬ国に連れてこられたとき、君を守るべきお母さんもお父さんも、自分たちのことで精一杯で、とても君を大切に扱ってくれるだけの余裕がなかった。おばあちゃんもいたけど、君はとくに好きでも嫌いでもなかった。おばあちゃんにも余裕がなかった。君を取り巻くみんな、自分のことで手がいっぱいで、余裕がなかったわけだ。
  とっても小さな頃は、何がなんだか分からなくて、ただ泣いてばかりいたね。泣いていても、だれも君がなぜ泣いているのか気づいてくれなかった。家族も親戚の人たちも、まわりには理解しようとしてくれる人は、一人もいなかった。
  でも、いつまでも泣いているわけにはいかない。君は泣きやんだものの、やはり不安から逃げることはできなかった。いつも、いつも母親にまとわりついていた。母親だけが頼りだった。
  でもその母親も、自分自身がいつも不安で、みずからの居場所を見つけることができなかった。君をありのままに受け容れてくれる余裕は、いつまでたっても生まれてこなかった。

  だから君は、いい子にしているしかなかった。だれからも攻撃されないように、だれもが君を守ってくれるように、ひたすらいい子を演じるしかなかった。
  自分が何をしたいのかよりも、他人によく思われるためにはどうしなくてはならないのかを、考えるのではなく感じるままにいい子にしていた。
  そしてたぶん、他者との心の交流から生まれる喜びを知る前に、傷つかないために他者に近づくことをやめてしまったということなんだろう。

  小学校に上がると、先生のいうことをよく聞き、勉強していい成績を取ることが、自分を守ることなんだと学んだ。たまたまだけど、なんとかそこそこ勉強ができて、よかったね。べつにだれかから言われたわけでもないのに、授業をちゃんと聴いて、宿題だけはちゃんとやっていた。
  でもガリ勉していたわけじゃない。いつも家に帰るとランドセルを放り投げて、すぐに遊びに出かけて、暗くなるまで遊んでいた。友だちも普通にいたし、イジメられたこともなかった。
  小学生のころは、本を読めと言われたけど読書が嫌いで、読もうとはしなかったよね。作文も苦手だった。理科と算数が得意な理系の子どもだった。プラモデルを作ったり、切手を集めたりしていたけど、とくに何がしたいということはなかったのかな。
  三つ年上のお姉ちゃんがいて、仲は良かったと思うけど、まあ普通の感じか。家は裕福ではなかったのに、田舎のまわりと比べて、なんか恵まれているようだと誤解してたよな。ハデ好きというか、ハイカラな暮らしに憧れていた父親のせいで、君の姉さんは中学から都会の中高一貫の女子校の寄宿舎に行ってしまい、小学四年生からは一人っ子になってしまったね。

  高学年になると、さすがに母親にまとわりつく必要はなくなったけど、今度は反対に母親がひどく煩わしく感じるようになってしまったようだね。母親とは合わなかったもんな。
  その後ずーっと、母親のことは好きになれなかったみたいだね。ぎゃくに母親がまとわりついてくるようにも思え、自分が老後の面倒を見なくてはならないのかと、まだ小さいのに君はそんなことまで心配して、気が重くなっていたね。

  小学六年生のとき、図書館に新しい理科の本がやってきた。そこには、物質は原子からできているとか、星の一生はどうで、宇宙はこうなっているとか書いてあった。
  すげー、そーか そうだったんだ、って夢中になって読んでいたよね。そうか、世界はこんな風になっているんだって、心が震えてるみたいだったな。
  いま思えば、人や日常生活やまわりの環境に関心がなかったので、そんな抽象的な世界に惹かれていったってことか。この頃から君は、観念の世界にどっぷりと浸り込んでいったような気がするな。
  ヨシ!これだって、君は思わずそれにしがみついてしまったわけだ。科学とか論理とかという「正しい」と思われる「幻想」に。まあ、それが好きだったんだろう。
  そのおかげで、この世で君が生きてゆくために、そのことがどれだけ大きな力になってくれたことか。たしかに、それはありがたかったよな。
  でもまさか、それが君の辛さのおおもとでもあったなんて、ビックリ仰天だね。


  しかしまあ、ちょっと遅かったかもしれないけど、それに気づいたんだから、良かったじゃないか ...
  そうか、遅かったなんてこともないよな。「遅い」とか「早い」とか、そんなことはどうでもよかったんだって気づいたんだから。過去も、両親も、環境も、いまここにいる君にとってはどうでもよかったんだ、関係なかったんだって分かったんだからな。それはただのストーリーだったってわけだ。
  いまは、お母さんのことも受け容れることができたみたいだしね。

  なーんて、気やすく言ってみたけど、「気づく」の大変そうだったな。
『今までの人生、なんだったんだ?』とか『自分には何にもない』とか言ってたよな。『ずーっと夢を見てたんだ、夢から覚めるってこのことか』って。『夢から覚めてみたら何にもない、これはひどい、いくらなんでもあんまりだ。こっちの方がウソなんじゃないのか? でももう、夢の中へは戻れない』って言いながら、ウツにもなりそうでならずに、よくその状態に耐えていたもんだ。
『サティだけが頼り』って、わけの分からんことを言いながら。
  だけど、勝算はなかったようだな。『このまま自分の一生は終わってしまうのか』なんて、思いつめてるというより、開き直った感じだったもんな。

  でも、ちょっとしたキッカケのせいか、それともただ時間がたったせいか、いつの間にか、ふっとその「大変さ」がなくなったんだって? でも、やったー 抜け出たー って思ったら、また舞い戻り、そんな行ったり来たりで、少しずつ落ち込んでいくような一年半だったね。長かったかい? それとも、短かった?
  それを何回か繰り返して、その「大変さ」ってやつも、「やって来ては、去るものに過ぎなかったんだ」って気づいたんだって? よお分からんが、まあ良かったな ...


  ここで種明かししとくけど、君は一人ぼっちじゃなかったんだよ。結局のところ、僕らはべつの人格なんかじゃなかったのさ。
  君は、この世のサバイバルを担当させられてたんだ。「わたし」の中の、サバイバル担当係ってやつさ。
  一人だけにしといて、すまなかった。よく頑張ってくれたね。でもこれからは、なるべく僕が前面に立つようにするよ。それでも緊急事態が起きて大変なことになったときは、君も出てきてくれよな。