「幸せになる勇気」第四部:横の関係 2(尊敬と信頼) | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

第四部:与えよ さらば与えられん

仕事の関係 → 交友の関係[→の関係]
条件つき 信用関係 → 無条件の信頼関係
交友関係が共同体感覚へのスタート地点
信じることは   ありのままを受け入れること
 

人生のタスクとは

哲人 アドラーは、
  ひとりの個人が  社会で生きていくに       あたって、  直面せざるえない課題を
人生のタスク」と呼んでいました。
  ここで  タスクとは、  対人関係の課題を  指しています。
  そして、「なにをするのか(doing)」      という  「行為」 ではなく
「存在のあり方(being)」 である  「関係  に注目せよと言っています。
  それは なぜだと思いますか?

青年すべての悩みは、  対人関係の悩み    である」  からでしょう。
  赤ん坊われわれ目を開き、他者(多くの場合 それは母親)の存在を確認した瞬間、
  そこに「社会」が生まれる。  そして、    その社会は どんどん複雑化していく。
  社会の誕生、すなわち それは苦悩と幸福の誕生です。
  他者が存在しなければ悩みも存在しない
  しかし他者から逃れることなど  絶対に  できない
哲人 では、すべての悩みが対人関係であるのなら、
  その他者との関係を 断ち切ってしまえば  いいのか? 
  それは違います。  まったく違います。
  なぜなら、  人間の喜びも また対人関係から生まれるからです。
【だから断ち切るのでなく 課題を分離する

すべての悩みは対人関係の悩みである」  という言葉の背後には、
すべての喜びも また、  対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されています。
  だからこそ  われわれは、 「人生のタスク  (対人関係)」 に立ち向かわなければならないのです。
青年 それで どうしてそれが、
  わたしが 生徒たちと「交友」 の関係を築かなけりゃならない理由になるのでしょうか?
【それを教えるのが 教師の役割だから


なぜ 交友が大事なのか  そして 信用と信頼の違いは 何なのか

哲人 そもそも「交友」 とはなにか。  なぜ   われわれには「交友」 のタスクが課せられるのか。
  それは、われわれは 交友において  他者の目で見て、 他者の耳で聞き、 他者の心で感じる  こと(想像力・共感力)を学ぶからです。
  交友の関係を通じて 他者の立場に立つことを学んで「人間知を理解し
  共同体感覚を掘り起こすことが  可能になるからです。
  われわれは 交友の関係において他者への貢献を試されます
交友」 に 踏み出さない人は、    共同体に  居場所を見出すこともできないでしょう
  では、 いったい   どこで 交友を実践するのか? 
  子どもたちが最初に交友を学び、 共同体感覚を掘り起こしていく場所、   それが 学校なのです
  だから あなたがた教師が 真っ先に、 子どもたちと交友関係を築かなくてはならない の  です。
【教師と生徒の 現実の交友関係の  実践を  通して  交友関係の正しい在り方を教える
 
哲人 ところで、
  信用と信頼の違い」を覚えていますか?
青年信用」 とは、 条件つき信じること
「その人」 を信じているのではなく、その人の持つ条件(能力や状況)」 を信じている
  一方「信頼」 無条件信じること
  能力持っているもの【心の要素】ではなく、  「人間的な価値 = その人の存在そのもの
【心そのもの:心の座】に注目している
  人間として 尊敬する
  これは「その人を信じる自分を信じる、ということでもあります。
  自分の判断自信がなければ、 担保のようなものを求めますからね。
  自己信頼【自己受容】あっての、 他者信頼です。

哲人 では、   仕事交友の違いなんでしょうか? それは 信用信頼の違いです。 
  すなわち 
  仕事の関係とは    「信用」 の関係        【Give & Take】であり、
  交友の関係とは    「信頼」 の関係        【Give & Give】です。

青年 では アドラーは仕事のことを どう評価していたのですか?
哲人 仕事とは、  生き抜いていくための生産手段です。
生存」 に 直結した課題であると、   考えていました仕事をするのが 自我の役割
青年 要は 「食うため働く」 というわけですね。
哲人 ええ、自明の理といえるでしょう。

仕事の関係とは 生活のための関係であり、
   交友の関係とは 共同体感覚を掘り起こし、  幸せを実感するための関係である】

  その上 アドラー注目したのは、 仕事を成立させている対人関係のあり方でした。
  われわれ 人間は、    ただ 群れをつくった  のではありません。
  同時に、  「分業」」 という画期的な働き方を手に入れたのです。
  分業とは人類が その身体的劣等性を補償するために獲得した
  互いの足りないところを  得意なところで 補い合う、  たぐい希なる生存戦略なのです
  その分業に伴って複雑な社会構造が  構築されました
  したがって「仕事のタスクとは   単なる労働のタスクではなく、
  他者とのつながりを前提とした 「分業の相補的タスク」 だったのです。

分業は たんに 相補的な役割の分化であり、  そこに  優劣は存在せず、   比較競争するようなものではない

青年 他者との 相補的なつながりを前提としているからこそ、 「仕事」対人関係の課題なんですね。
【分業 = 生産関係 = 因縁 = interbeing =  五観の偈の第1項目】
哲人  「分業 という言葉を介することによって、  人間にとっての労働の意味
  そして 社会の意味が、心理学的に 明らかになったのです。
  われわれは働かざるをえないし、 分業せざるをえない。 他者との関係築かざるをえない。
  要するに 人間は  一人では生きていけないのです。
  生存のレベルで、 一人では生きていけない
そのために自我を生みだした
  そして他者と分業するためにはその人のことを信じなければならない
  疑っている相手とは協力することができないのだから。
青年 それが「信用」の関係ですね。
哲人 ええ。人間には信じないという選択肢などありえないのです。
  まさに「人生のタスク」なのです。
 

分業とはなにか

  それぞれが 自分の【心の要素である】得意分野を仕事にして、自分の利益を追求する。
  これが、分業を成立させている原理です。そこでは、誰も自分を犠牲にしていません。
青年 分業社会においては、「利己の追求が  結果として「利他につながる
  でも アドラーは、 「他者貢献」を推奨しています。  これと 矛盾していませんか?
哲人 まったく 矛盾しません。
  まずは 仕事の関係に踏み出す。他者や社会と利害で結ばれる。
  そうすれば、利己心を追求した その先に他者貢献があるのです。

【まず 仕事(信用)の関係を構築し、次いで 交友(信頼)の関係・「他者貢献」 へ と発展させる。

  まず   Give & Take の 仕事の関係   において「わたしの幸せを追求し
  次いでGive & Give」 の 交友の関係   において「あなたの幸せを考える
  それが 結果的には わたしの幸せ になる

青年 とはいえ 役割分担をしていけば、       そこに  優劣が生まれますよね? 
  つまり、重要な仕事を受け持つ者と、      どうでもいい仕事を受け持つ者と。

【なにが 重要で、なにが どうでもいいのか?  その基準は なにか?  
  それは、幻想(人間が 勝手に創りだした  概念)ではないのか?】

  それは「対等」 の原則から 外れませんか?
哲人 いいえ、外れません。
  分業という観点に立って考えるなら、 職業に貴賎はないのです。
  国の宰相企業の経営者農夫工場労働者あるいは 専業主婦に至るまで、
  すべての仕事は共同体の誰かが やらねばならないことでありわれわれは 
  それを分担しているだけ なのです。
  そして、「人の価値は、共同体において割り当てられる分業の役割をどのように果たすか 
  によって決められる」のです。
【置かれた場所で 咲けるか どうか】

  つまり 人間の価値は、「どんな仕事に従事するかによって決まるのではなく
  その仕事にどのような態度で取り組むか」  によって決まるのです。
青年 その「仕事に取り組む態度」 とは? 
【 「横の関係という態度で 取り組むべし

哲人 分業の関係においては、   個々人の   「仕事の能力【心の要素】重要視されます。
  これは、間違いありません。  しかし、
  分業している際の人物評価、 また  関係のあり方【心そのもの:心の座】については、
  能力だけで判断されるのではありません。
  むしろ、 「この人と 一緒に働きたいか?」  が大切になってきます
  それを 決めるのは、その人の 仕事そのものに取り組む 誠実な態度と 同僚との横の関係性なのです。
  われわれの共同体には   「ありとあらゆる  仕事」  がそこに揃い、
  それぞれの仕事に従事する人がいることが  大切なのです。
  その多様性【個性】こそが 豊かさなのです
  もしも 価値のない仕事であれば、誰からも必要とされず、やがて淘汰されます。
 

自立に向けた援助とは信頼すること

【2つの自立がある。生活の自立関係性の自立。  そのどちらもが  大切であるが、     
  関係性の自立のためには信頼が不可欠

  教育の目標は自立 であり、 教育者のなすべき仕事とは  自立に向けた援助 である
  では どうやって 子供たちの自立を援助するのか?   尊敬から始めるのです。
  尊敬とは「ありのままの その人を見る  (受け入れる)こと」 であり、
「その人が その人であることに  価値を置くこと」 です。
  これは、信頼しているからこそ可能となります。  尊敬と信頼は  同義なのです
尊敬と信頼の土台は 横の関係

青年 あなたは、すべての生徒たちを尊敬し、  すべての生徒たち無条件に信頼せよ言う。
  そんなこと、本当に 可能だと思っているのですか
哲人 もちろん 可能です。
  たとえば、 周囲の あらゆる人について  「あの人の ここが嫌いだ」
  「この人の こういうところが我慢ならない」  と非難する人がいます。
自分の視点だけから、 心の要素のみに注目していて、  悪いところしか  見ていない】
  そして 嘆くわけです。「ああ、 私は 不幸だ。  私は 出会いに恵まれていない」と。
  このような人たちは、ほんとうに 出会いに  恵まれていないのでしょうか? 
  違います。 断固として、違います。
【このように   批判ばかりしている人は、     やはり 悪いところしか見ていなくて 一面的
  仲間に恵まれないのではなく、ただ 仲間をつくろうとしていないだけ
  つまりは、対人関係に 踏み出そうとして  いないだけなのです。
【踏み出そうとしない理由を、なんだかだと見つけ出しているだけ】

青年 ・・・じゃあ、 誰とでも仲間になれると?
哲人 なれます。
  どんな相手であっても尊敬」 を寄せ、    「信じる」 ことはできます。  それは、
  あなたの 決心ひとつ【あなたしかいない、  のだから】によるもの なのですから。
  他者を信じることは、 なにかを鵜呑みにする受動的な行為ではありません。
  ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけです。
「私を信じてくれ」 と強要することはできません。
  信じるかどうかは、その人の自由(他者の課題)です。
  わたしに できるの(自分の課題)、        ただ 自分が語りかける相手を 信じること、 
  それだけです。


自分を信じられれば  他者も信じられる

  わたしは、   「わたし」 を 信じてほしいと  思っている。  ゆえに わたしは、
  先に あなたのことを信じるのです。 たとえ  あなたが信じようとしなくても
  われわれ「自分のこと信じてくれる人」  の言葉しか信じようとしません。
「意見の正しさ」 で、相手を判断したりは  しません。
  唯一の  「正しい意見」 など 存在しないからです。
  その中で われわれは、一致点を見出すことを求めている
  他者とのつながりを求めている。 手をつなぎたいと願っている。
  手を つなぎたいのならば自分から 手を  差し出すしかないでしょう。
  あなた わたし信じようと信じまいと、  わたしあなた信じる【わたししかいない】 
  信じ続けるそれが 「無条件」 の意味です

  自分を 信じることができなければ他者を  信じることもできない
  あなたが  しきりに  「他者のことなど  信じられないと訴えているのは
  あなたが  自分のことを  信じきれていないからです。
  自己中心的な人は、 「自分のことが好き」  だから 自分ばかり見ているのではありません。
  実相は まったく逆で、ありのままの自分を受け入れることができず
  絶え間なき不安さらされているからこそ、  自分にしか 関心が向かないのです。

青年 だからこそ、  わたしは  仕事を通じて  所属感を獲得しようとしています! 
  仕事で 成果を収めることによって、自らの価値を実感しようとしています! 
  それが、社会から求められることではないのですか?
哲人 違います。
  仕事によって認められるのは、あなたの  「機能:要素」 であって、「あなた:本質」 ではない
  より優れた「機能」の持ち主が現れれば、  周囲は そちらになびいていきます。
  それが 市場原理競争原理というものです。
  結果、あなたは いつまでも 競争の渦から  抜け出すことができず、
  ほんとうの意味での所属感 を得ることも   ないでしょう。

青年 では、どうすれば ほんとうの所属感を  得られるのですか?
哲人 他者に信頼」 を寄せて 交友の関係に  踏み出すこと。 それしかありません。
  われわれは、 仕事に身を捧げるだけでは   幸福を得られないのです。
仕事という場を介してそれを交友」 の関係に発展させることで幸福を得られる

わかりあえない存在」 として他者を信じること。 それが 信頼です
  われわれ  人間は、    わかりあえない存在  だからこそ信じるしかないのです。
 

アドラーは 人間を信じた

  アドラーが「共同体感覚」 の概念を唱えるようになったいきさつを、 お話ししましょう。
  アドラーは、第一次世界大戦を軍医として経験しました。そして、その悲惨な経験から
いかにすれば 戦争を食い止められるか」 を強く考えるようになります。
  人間は戦争を、殺人や暴力を希求する存在なのか?      そんなはずはない。
  人間が誰しも持っているはずの 他者を仲間だとみなす意識、   つまり
  共同体感覚を育てていけば争いなくすることができるハズだ。
  そして われわれには、 それを 成し遂げるだけの力があるのだ。
・・・アドラーは人間を信じたのです


目の前の 小さなことから 始める

  マザー・テレサは  「世界平和のために、  われわれ何をなすべきですか?」 と問われ、
  こう答えました。
「家に帰って 家族を大切にしてあげて下さい」
  アドラーの共同体感覚も、同じです。
  世界平和のために何かをするのではなく、  まずは 目の前の人に 信頼を寄せる
  目の前の人と 仲間になる
  そうした 日々の小さな信頼の積み重ねが、  いつか 国家間の争いさえもなくしていくのです。

青年 目の前のことだけを 考えていればいい  のですか?
哲人 いいも 悪いも、   そこから始めるしか  ないのです
  世界から 争いをなくしたければ、 まずは  自分自身が  争いから解放されなければならない。
  生徒たちに 自分を信じてほしい と思う     のならば、
  まずは  自分が 生徒たちを 信じなければ  ならない。
  全体の一部である 自分が最初の一歩を   踏み出すのです
青年 わたしの一歩で 世界は変わりますか?
哲人 (結果は) 変わるかもしれないし  変わらないかもしれない。 そんなことはどうでもいい

  人間にとっての試練 そして決断は、
  受験や就職・結婚といったシンボリックなライフイベントのときにだけ訪れるのでは  ありません。
  われわれにとっては  なんでもない日々が  試練であり
いまここ の日常大きな決断求められているのです。
  その試練避けて通る人、 ほんとうの幸せ獲得できないでしょう


物乞いになってはいけない

青年 生徒たちや 世の中の ほとんどの人間は、
  私を 軽蔑し、私に なんの価値も認めず、   その存在を 無視している。
  もし 彼らが 私を尊重し、  私の言葉に 耳を傾けるのなら、私の態度も 変わるでしょう。
  でも、現実は違います。
  そんな状況の中で  できることがあると    すれば、ただひとつ。
  仕事を通じて わたしの価値を 認めさせる  こと、それだけですよ。
哲人 つまり、 他者が先に わたしを尊重すべきであり、
  他者からの尊敬を得るために 自分は仕事で成果を出すのだと? 【それが 承認欲求
青年 そのとおりです。

哲人 他者に 無条件の信頼を寄せる、 尊敬を寄せていくこと。これは「与える」 行為です。
  他者に  なにかを「与える」 ことができる  のは、基本的に 裕福な立場にある人です。
  あなたは なにも与えようとせず、   「与えてもらうこと」 ばかりを求めている。
  さながら物乞いのように。    心が困窮しているからです。
  われわれは 心を豊かに保ち、 その蓄えを  他者に与えなければなりません
  他者からの尊敬を 待つのではなく、自らが  尊敬を、信頼を寄せなければなりません。
  心の貧しい人間になっては いけないのです
  与えよ、 さらば与えられん。 与えるからこそ与えられる  Give & Give という実践
「与えてもらうこと」 を  待っていては  ならない。  「心の物乞い になっては ならない
  これは「仕事交友に続く
  もうひとつの 対人関係を考える上でも     非常に重要な視点になります。
  それは「のタスクです。
 
 
   第四部のまとめ:

信用の仕事の関係
信頼の交友の関係へ発展させる

  信用とは、 条件つきで信じること。 「その人
  でなく その人の持つ 条件 を信じている

  一方 信頼は、  無条件に信じること
  地位や能力などではなく
  その人に 「内在する価値」 に注目し、         
       対等な人間として尊敬している

  仕事は信用の関係であり一方
  交友は信頼の関係である

  人類は、生存戦略として
         「分業」 というシステムを選択した。
  分業に伴って複雑な社会構造が構築され、
   人間同士の関係も  繊細なものとなった。
  この関係が「仕事の関係」である。

  われわれは  
  働かざるを得ないし、 分業せざるを得ない
  そして分業するためには 他者を信じざる
  を得ない。  それが「信用の関係」である。

  すべての仕事は、 
   誰かが しなければならないことであり
  人々は  それを分担(分業)している
                  だけのこと。    だとすれば 
  職業に 貴賎はなくすべて 対等である

  人間の価値は仕事の内容ではなく
  それに取り組む態度によって決まる

  それは  仕事に対する誠実さであり、
         横の関係でのチームへの貢献度である。
  どんな仲間であれ 尊敬信頼し、 仕事する
  それが仕事の関係」 交友の関係」 に  変える。

  そして 
  交友の関係に発展した関係の在り方
  さらに  「愛の関係へと進展するだろう。


  この愛のタスクについては 「第5部」 を参照



(最終改訂:2023年1月31日)