今日は一日晴天だったが、北風が吹いて寒かった。最低気温は5度、最高気温は12度。

 

「東京新聞」(2026年3月9日付)の「A to Z  日本独自、学校の特別活動」という記事を読んでの感想。

 

日本の学校には教科のほかに特別活動の時間がある。それは、①学級活動、②生徒会活動、➂クラブ活動(小学校のみ)、④学校行事の4つに分けられる。

①は高校では「ホームルーム」と呼ばれている。➂のクラブ活動は中学、高校では課外活動の扱いで、特別活動ではない(その扱いの違いについて以前、某県の教員採用試験でひっかけ問題のように出題されたことがあった)。

 

この特別活動、AI時代に機械に支配されないために重要性を増している、という。そこで求められているのは、批判的思考力、感性、合意形成力,協働性、などである。

 

このような指摘はもっともなことだが、読んでいて進歩がないなと思った。2021年5月3日放送の「NNNドキュメント」では、戦後間もない1950年、ホームルームの研究指定校だった松本深志高校の活動の一端が紹介されていた。ホームルームの理念は「生徒が将来民主社会の立派な成員になること」と規定され、その活動の担い手の一人、山本伍朗先生はホームルームを自由にものがいえる「intellectual discussion」の場だと位置づけていた。それが戦後のホームルーム活動の原点だった。

 

それから75年が経過しているが、この間ホームルームでは何をやって来たのだろうか。生徒はホームルームの時間に学校や社会に対する疑問や矛盾を話し合い、それを教師にぶつけることもあっただろう。それに対して、教師はまじめにに答える必要があるわけだが、答え方次第では教師の知的な力量が生徒の前にさらされることになる。教師の側がそうした知的な対話を楽しむことができなければ、ホームルームの理念は消えて形ばかりのものになってしまうだ。

 

この75年間、ホームルームとは何だったのか、その成果を検証することから始めなければならないのではないか。