今日は朝から晴天で気分がよい。

 

午後、池袋でインバル指揮の都響によるブルックナーの交響曲第9番を聴いた。都響の定期演奏会1000回記念ということもあるのか、「完売御礼」と出ていたが、空席もあった。

 

ブルックナーの交響曲第9番というと、近いところでは、上岡敏之/新日本フィル、井上道義/読響、大植英次/新日本フィルで聴いている。これらの演奏に共通するのは宗教的な「聖なる空間」をかたちづくっていたことで、それこそがこの作品にふさわしい雰囲気というものである。比べたら悪いが、本日の演奏は「俗なる空間」にとどまった感がある。テンポが速めで、抉りも効いていたが、強奏になるとホールが飽和した感じにもなったからだろう。その点では、39年前に聴いたケーゲル/都響のスタイルに近いのかもしれない。その時は前半がグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲とムソルグスキーの「死の歌と踊り」で、宇野功芳は「暗いプログラム」、「音の暴力がこれでもかとばかり聴衆の耳を痛めつけた」と批評に書いていた。

 

本日の演奏では、第4楽章の補筆完成版が演奏されたが、それまでの楽章の曲想と合致するのか疑問が残った。よって、これは一つの試みであり、「おまけ」といった位置づけになるのだろう。ちなみに、上岡/新日本フィルの時には、第3楽章につづけてブルックナーの遺言どおり、テ・デウムが演奏されるという興味深い試みが行なわれた(休憩はなし)。また小澤征爾/ウィーン・フィルの演奏では最初にテ・デウムで、休憩後に9番だった。個人的には、この小澤の試みがおもしろいと思う。