産んで後悔している私が子育てでやらないと決めたこと | 子ども産んで後悔している

子ども産んで後悔している

産まなきゃよかった!現在4ヶ月(2024,1)後悔しなかった日はなし。真っ黒な本音を吐き出すブログ。

わたしは「よい親」になろうとは

思っていない。



どうせなれやしない。



よい親なんてどこにいるか知らないし

そんな親はみたことがないから。

神さまみたいなもの。


認可外の保育園に預けるためには

産後うつの診断書のほかに

夫の就労証明が発行されて

手元に揃う必要がある。



優先的に空けてくれているけれど

正式な手続きをなるべく早く

踏まないことには…

向こうも募集をやめられない。



愛着は3歳までの親との関わりに〜と

やたら書いてあるし

今でもささやかれている神話だ。



神話なんだけど…

早く保育園に入れてしまいたい。



専業主婦でずっと育てた

わたしの母親とわたしの愛着形成は

歪んでいる。



取り繕って小さい頃は騙せても

成年期、成人してから

大きな反動が出るだろう。



ひきこもりになったり

不登校になってみたり…

問題行動の原因になる。

認めたくないことだけど

そういうことだ。




わたしは子どもに好かれたいとは

思わない。

そもそも産んで後悔しているのだから。



子どもが適齢期になったら

自立してさっさと出ていってほしい。



そのためには

他人と関わる基礎力が必要だと思う。

その基礎力は「愛着」とよばれる

一対一の関係から作られるのだ。



昨日は気分が悪かったから

目を合わすのも控えてしまったけれど…

今日は気持ちも持ち直したから

その分優しく声をかけて笑いかけて…

という一貫性のない関わり方が

一番最悪の場合なやつだ。



わたしはギブアップ。

ストレスだ。



愛着は、必ずしも母親と

結ばれるわけじゃない。



この事実は多くの…

世話を担う母親のメンタルを削るから

伏せられているけれど



愛着の対象は…

関わっている身近な大人の中から

たった一人を子どもが選ぶものだ。



昼間に長く二人で一緒にいたら

選択肢がなくなる。

核家族化はこういうのに

逃げ場がない。



めちゃくちゃ性格の悪い姑だって

孫にはまともなケースがあるかもしれない。

一歩ひいて見てくれる姪やら

甥やらがいたかもしれない。

大所帯なら…



核家族こそ保育園のような

「外」が早くからあったほうが

いいとわたしは思う。



まともな人を早くから

選べるのはかわいそうじゃない。

この親、おかしいかも。

少なくとも自分とは合わないかも。


そう気がつくチャンスは

早くからあったほうがいい。




大学生だったとき

パートリーダーをやるくらい

長く働いた飲食店で


いろいろな「お母さん」と関わった。



パートのおばちゃんは

みんな誰かの「お母さん」だった。



その人たちが自分の子どもを褒めたり

庇ったりすることに衝撃を受けたことは

今も忘れない。




「うちのコこんないいところあるんだ」って

あまりにも明るく話すので

我が家とは違うんだなと思った。



自分の子どもの身に起きたことを

自分のことのように喜ぶ姿は新鮮だった。



わたしは今の夫と付き合いはじめたことを

自分の母親にではなく

パートのおばちゃんたちに話した。



自分の母親には言ってはいけない、と

直感が言っていた。



足場を固めてから

話すべきタイミングを

見計らって慎重に話をすすめなければ

上手くいかない、と直感していた。



おばちゃんたちはわたしの話を聞き、

彼氏の写真をみて


「いい人だと思う!」

「ちょっとここに食べに来てもらいなよ」

「結婚相手に選ぶならね…」


大切なことを教えてくれたのは

いつも家の外の人たちだった。



実際に万事を尽くして彼氏に会わせたら…


わたしの母親は

「いい人だから、あの人のために

別れてあげなさい」と言った。



上手くいきそうなとき

水を刺して

げんなりさせてくるのは

いつも母親だった。



どういう思考回路で生きているのか

判りかねる。



でもわからなくていい。

わからないことがいい。



わかるなら同じ穴のムジナなんだから。

違うことこそがのぞましい。



口では人のしあわせを願っている…

というか、

人のしあわせを喜ぶ自分が

理想なんだろうけど、

歳をとり、不倫されたあげく離婚をして…

取り繕ってきた

化けの皮も剥がれた感じなんだろう。



わたしは結婚してから

自分が嬉しく感じたことを

母親に話すのを一切やめた。



話したあと、

とても嫌な気分にさせられることに

気がついたからだ。



嬉しかったことを

まるで悪いことのような…

汚されるような感じ。

屈辱的な気持ちになる。



相談もしない。

弱みを握らせると

急に元気になる。



妹が鬱で入院までしたとき

この女のおかしさに震えが走った。



ひどくなると献身的に世話をして

「わたしがいけなかったの!

もっと早く気がついてあげれば」

とかドラマチックに泣き始め…


少しよくなると以前と変わらぬ態度で

叱咤しはじめる。



ほんとうに健康を願っているのか…?

良くなったことを喜んだか?

悪いままでいてほしいんじゃないか?

そう感くぐりたくなる。



父親は、思い通りにならないと

暴力を正当化するロクデナシだったけれど

はっきりそうだとわかるだけ

母親よりマシだった。



早いうちに気がついたほうがいい。

父親と反対の性格や価値観の人を選んだら

ほんとうによい夫と巡り合ったと思う。



わたしは自分の家族に

かばってもらったことはない。


どんなときも

「うちのコがすみません」

「うちのコはできが悪くて」

「うちのコがご迷惑をかけて」

そういう親だった。



わたしがモンスタークレーマーに

人格否定されるくらい怒鳴られたとき

「そんな言い方はないんじゃないですか」

庇ってくれたのはおばちゃんだったな。



わたしをかばっても全く自分にいいことなんてないのに、面と向かってその場でそのお客さんに言ってくれたこと。



こういう人もいるんだ。

報われなかった気持ちの穴が

少しだけ塞がった気がした。



わたしだけが

悪いわけじゃなかったんだなって。