自分の子どもは憎いけれど、ペットはしあわせにしたい | 子ども産んで後悔している

子ども産んで後悔している

産まなきゃよかった!現在4ヶ月(2024,1)後悔しなかった日はなし。真っ黒な本音を吐き出すブログ。

まだ預けられると

決まったわけではないけれど

ステキだなと心から思える

認可外の保育園を見つけられたことで


すこしだけ気持ちにゆとりが

できたかもしれない


もし預けられたら

昼間はひとりで過ごせる

子なしだったときと同じように


しあわせな気持ちを

取り戻せるかもしれない


淡い期待は真っ暗な

わたしの心のともし火で

一歩先をすこしだけ照らしている


それと同時に

不安もある


子どもの存在が鬱陶しい

懐かれても困る

だけど夫にすっかり懐いたら


わたしの居場所は

やはりなくなってしまうのではないか。


子どもと夫が二人でいつもつるんで

わたしひとりは蚊帳の外にはじかれる


夫はそんなことはしないとわかっている

でもわたしは疎外感を味わうかもしれない


それでいいのか。


子どもが懐くように振る舞うべきか。


懐かせるなんてわけもないことだ。

たぶん簡単にできる。

わたしにとっては。


どうすればいいかわかる。

子どもとの関わり合い方が

わからないわけじゃない。

わたしは避けたいのだ。


子どもは言葉が通じないのだから

動物とのコミュニケーションと同じでいい


相手が求めてきたときに

反応すればいい


泣いているのに

泣き止め!と怒鳴るのも

床に叩きつけるのもムダ。



ただ泣いている理由を取り除けばいい



動物の鳴き声にも仲間同士で

通じ合うためのパターンがあるように

子どもの泣き声にも種類があると思う。


退屈で泣いてるのか

不快なのか

お腹が空いているのか

眠いのか

怖いのか


ヒートアップして泣きじゃくる前は

きちんと違いがあるのだから

応えればいいだけ。


ニーズを満たしてあげればいい。

そうすれば静かになる。

分かっているけど、イライラする。


相手が

動物だったら自然とそうするのに。



わたしは飼い主に虐待された

保護犬を家族にしたことがある。



一時保護先で「スワレ」と「マテ」を

覚えていたことと小型犬だったので

ひきとった。


引き取り手希望の人がお試し期間に

ことごとくNGをだしたため

殺処分一歩手前だった。

ひどい噛み癖があったからだ。


わたしの家にきたときも

彼を抱き上げるときに

少し痛かったことが引き金になり

猛り狂って噛みついてきた。


わたしの腕に穴があいた。

もう10年経つけれど

いまも跡が残っている。


彼がわたしの腕にぶら下がったからだ。

それはかなり衝撃的な絵面だった。

骨が砕けるかと思うくらい強かった。


一瞬でいろんなことを考えた。

小型犬だからひきとったのは

最悪、力でねじ伏せられると思ったからだ。

一度攻撃することを覚えた犬は

友達ではなく猛獣と同じだ。


武器を持たない人間は弱い。

対して犬は己の牙だけで

十分な殺傷能力を備えている。


壁に叩きつけるか。

だけど…叩きつけたら

きっと死んでしまう。



冬だったことが幸いした。

分厚いパーカーを着ていたから。

とっさに腕を引かずに口の方へ押し込んだ。

肉を引きちぎられないために。


目を見たら焦点があっていない。

パニックになっている。


本人もどうしたらいいかわからずに

ひたすら噛みついているのだろう。

わたしの腕を離したら

ただでは済まないと

必死に喰らいついているのだろう。


とはいえ、

このまま噛まれているわけにはいかない。

自分の腕から内部を伝って

骨のきしむ音が聞こえるくらいなんだから。



「スワレ」と叫んだら

少しだけ緩んだのがわかった。

「賢い」と見込んだだけのことはあった。



この状況で言うことを聞こうとしている。

本人もどうすればいいのか困っている。

このチャンスを逃すわけにはいかなかった。

「スワレ!マテ!マテ!」


必死に叫ぶと腕を離した。

マテを実行するために

彼はさらに後退りした。

読みは正しかった。

その隙にわたしは部屋から逃げて

扉を締めた。


あまりの腕の痛さに気をそらしたくて

壁を蹴ったら、壁に大穴が空いた。

めちゃくちゃ痛かった。

痺れて指が動かないくらい

脈打つたびに釘を打たれたような鈍痛がして

震えるくらい痛かった。



でもわたしは…じんわりと

喜びも感じていた。



冷静に対処できたんだ。

あの子の飼い主として、

リーダーとしてどう振る舞うべきか

指示を出し、

あの子はそれを受け入れてくれた。

新しいパターンと未来を

信じてくれたのだ。


このことは

わたしの自信になって

彼にとっても生活していく

希望になった。


彼は同じパニックを起こしかけても

ぐっと堪えられるようになった。

唸りながら牙をだしても

押しあててくるだけになり

腕に穴が空くことも避けることもなかった。

噛みつくのを避けたあと自分から壁際にひく。



それを繰り返して

パニックはなくなっていった。



彼をはじめとして

わたしと関わった動物たちは

混沌としたわたしの日常に

絶え間なく愛情を与えてくれたと思う。




わたしの「家族」が

いかにデタラメで嘘で塗り固められた

関係なのか教えてくれたのは

動物たちだったと思う。



相手が動物だったら噛みつかれて

跡が残っても苦痛でもないのに



世話をする相手が人間の子どもだから

ゆるせないような気持ちになる。



相手が動物だったら喜びとしあわせを

感じるこのコミュニケーションが

人間の子どもというだけで

わたしにとっては負担。



懐かれたくない

ずっといっしょにいたいと言われるのが

ほんとうに嫌。



その役回りは

子育てをしたかった夫が引き受ければいい。



そう思っても

2人が徒党を組んで

わたしを貶めるかもしれない。



わたしにとって家族は敵でしかない。

あざむいて、自分の居場所を

確保するためのサバイバルを

するところだった。


そう学習してきたんだなと

振り返るたびに

とめどなく涙があふれ

とまらなくなる。