ぜったい障害児は産みたくない | 子ども産んで後悔している

子ども産んで後悔している

産まなきゃよかった!現在4ヶ月(2024,1)後悔しなかった日はなし。真っ黒な本音を吐き出すブログ。

夫も妻も障害がある夫婦が

支援を経て子どもを産んだそうだが

応援よりも非難殺到しているらしい。



手助けされないと何もできないのに

まだ子育てで人の手を借りようというのか

迷惑と負担をかけないでくれ


というのが大まかな内容だろう。



障害児を甲斐甲斐しく世話をして

「この子がいてくれて…」みたいな感動

ドキュメンタリーを目にするたび

それはその親一個人の感想であるはずだが、


これが美徳だよ♪と植え付ける

意図があるように思えてしまって

やめてほしいなという気持ちになる。



そう思える人は

悟りを開いたようなもので

お釈迦さまがそこら中にいるなら

ここは楽園である。



というのも

わたしの妹は障害者手帳1級の

発達障害者。




最近は大人の発達障害…とか

怠け癖で障害者認定されたがってるような

人もいるように感じるくらい

わたしの妹ははっきりと障害者だ。




一生、この世界のルールで

自活していけることはないだろう。



もう28歳になった。

でも幼稚園児のほうが

達者に言葉を話す。



わたしからみると

幼稚園児のほうが

人に意地悪もいうし

嘘もつくし

悪意をもち

仲間外れをしたり

物を盗んだり

隠したり…


まあ人間らしい。



知能とは

悪意なのと思うほどに。



発達障害の妹は、



楽しい

嬉しい

悲しい

怖い

嫌な感じがする



妹には感情こそ豊かに備わっているものの

知能が低いので

人を傷つける行為がない。



理解できないからだ。

やり返すこともない。



嫌なことと感じると

怒った声を出す。

でもそれだけだ。




いつまでもネチネチ覚えておいて

今度ああやって言い返してやろう

こう言ったら傷つくだろうから…

なんてわからない。



そして、なぜ仕事があるのか

なぜお金が必要なのか



理解する日はこない。



企業の障害者枠の中で職を得ているが…

知的障害なので

言われたことをやっても

健常者と同じにはいかない。



清掃の仕事も

「まだ汚れてるよ」と言われても

本人は何が汚れているのか

わからないのだ。




わざとサボっている、

と考える社員がいると

イジメにあってしまう。



ちっともキレイにしてくれない妹にも

給料が発生しており…

おまけにその監督する時間が二度手間だ。




見た目はどんどんオバサンになっているのに

中身は永遠の幼稚園児。

屁理屈が言えないだけマシか。

いや…子供らしさもないから

一緒にいてつまらないともいえる。



こういう妹をもっていると、

障害者に嫌悪感は沸かないが

面倒を見るために一生を捧げたくないと

切に思う。



わたしはだからNIPTを受けた。

産んだら責任!なんていわれるなら

選別したい。

 


産んだら終わりとさえ思える。

見た目が天使なのは小学校の低学年まで。



日本で障害児を生んだら

白髪で腰が折れようとも

一生親のままで開放される日は

死ぬまで来ない。



親という罪が重すぎる。



フランスは、障害児を国が自動的に

世話してくれる仕組みがあり、

手元に置いて生活するかなどを決め

手厚いサポートがあるらしいけど

日本はとにかく「親」頼み。



勘弁してくれ。



親が面倒見きれなくなると

兄弟や親族に魔の手が忍び寄る。

絶縁でもしない限り

自分のしあわせは守れないといえる。



自由になるためには

お金があるかどうか。



こうやって障害者は

どんどん嫌われていくのだ。

逃げ道を奪われるから。



そもそもこの社会体制で自活できない人間は しあわせになれないとわたしは思っている。




妹は鬱になった。




職場のせいではない…

それだけではない。



妹は母親とずっと二人くらしだ。




母親は職場に迷惑をかける娘に

発破をかけるからだ。



「もっとちゃんと…!」

「もっと!もっと!」



自分が怒られているような気がして

妹が職場で注意されることを静観できず

心理的にフォローできる器もない。



わたしから見ると

母親もまた発達障害グレーなのでは?

と思う。



母親も母親で

共感力に乏しく、

自分ルールを世界のルールだと

勘違いしているフシがあるからだ。



一方的にしゃべり、

人と意見が違う場合や

反応が自分の期待したものからずれると

延々と同じことをいい続けて

曲げられなかったりする。



妹の障害についても

長い間まったく受け入れられず、

成人する頃になって

ねっちもさっちも誤魔化せず

支援を受けるといった具合だ。



鬱も入院するほどひどくなるまで

対処できなかった。




こういうグレーな親に育てられると

社会で苦しくなる。

まともなコミュニケーションを学べないので

学校や会社で浮く。




仕方のないことだ。

この親に通じるように話すのが

最初に覚えることだったんだから。



わたしと弟は健常者の知能だと思う。

けれど苦労しているのは

家庭環境が狂っているせいだと

結婚して実家から離れてやっと気がついた。



離れてみないと…

また比較対象がないと

知的障害がなくても負のループを

脱出するのは難しい。



健常であったところで「おかしい」と

気がつけないからだ。



障害者です、と公言しながら

人の手をで借りられるような人は、

そこまで人の迷惑にはならない。



人の迷惑になる人、

負担な人、

遠ざけたいタイプのめんどくさい人というのは…障害者に限らない。



「迷惑かけるな!」という発言までは

できるけれど具体的な対処はできないから

不満を吐き散らすだけの…

わたしの親のようなグレーなラインの

人なのである。



親ガチャをなくしてもらいたいものだ。



ただ作っただけの人の責任は

作ったところまでで完了している。

育てること、世話をすることと

結びつけるのをやめろといいたい。



社会が求めるような責任能力のない

大人だって身体が成熟していれば

子どもは作れる。



わたしは自分の親に

そだてられないほうがよかったと思う。

選べるならステイ先を決めたかった。



だから

作ったからといって子どもを

手元に置くのが当たり前というのも…

見直していい社会観念のような気がする。



昔は奉公先を決めたり、

農村からは売りに出していたわけだし。

子どもを可愛がるなんて言うのは

一過性のブームかもしれない。

そしてそれが常識となって首を絞める。



今の戸籍制動を維持できないから

国が嫌がるだろうけど。



産んだら

「自分で育てる・委託」という

選択があるのが当たり前だったら

どんな社会なんだろう…と思う。



もっと気軽に必要としている家庭を

探せればいいし、託せるとわかっていたら

選択肢は広がる。



今の養子縁組は使いにくすぎる。

ペットショップくらい、

あるいはブリーダーショップくらいに

身近になってほしい。



産まれてから家族になるのなら

選べたほうがいい。

障害児でもひきとってね…は

違うと思う。



子どもに限らず人が障害を負ったとき…

自分の足で歩けなくなってきたとき

その足を支えて助けてくれる制度が

ほしいものだ。



それは誰にとっても

平等に与えられるのだから。