兼子ただしの、やわらかBody=メリハリBody
←先日、友人&お客様方のダンスイベントに行って来ました。

写真は、芸能関係のバックダンサーも務める、千葉さんとマリさんです。

その他、スリーエスのクライアントの方もダンスに参加していて、皆さん一生懸命で心を感じましたー!!


前回もお話しましたが、成功者というより僕は充実者です。またそれを今でも目指しています。

仕事は生活の為にするものですが、それだけでは充実感がありません。そう感じるもの、あのショックな経験があるからかも知れません。

前回も書きましが、バスケットを小学校4年から中学3年まで鬼のようなコーチと共に辛い練習を通して、「言い訳せずに行動」を強く学びました。

高校もバスケット特待生で入学したわけですが、高校にいざ入ってみると練習は生ぬるく口だけが達者な指導者と先輩しかいなかったことを不満に思い半年で高校は辞めました。

その後、特に目的を失った僕は「とにかく目立ちたい」理由で「改造自動二輪愛好会」に加入しました。(笑、ようは暴走族です。)

高校を辞めても仕事もろくにせず、無免許でバイクに乗り、暴走行為という法外な「遊び」にはまっていました。そんな半端な生き方も2~3年続いた頃には飽きていました。そろそろ真面目な生き方をしようかなと思いながらに参加した最後の暴走集会・・・・・派手にやりました。

暴走族には未練無く終わり、数ヶ月たって東京に上京し専門学校に行く準備をしていた頃、「けじめ」がやってきました。数ヶ月前のことですからすっかり忘れていた頃・・・地元の駅前で数人の刑事に逮捕されたのです。最後の暴走集会の件です。そこからが辛かった・・・・・

長くなるので、短めに書きます。(箇条書きで)

・留置所では不自由な生活で、暇な時間が気が遠くなるほどあり、漫画などはすみからすみまで、あて先まで読みました。

・裁判で許してもらえるかと思ったら裁判官に「少年院にいきなさい」と言われた。手先には力はいらず、目の前が真っ白でした。挫折感は今でもこれが最高です。再び塀の中へ。親には「早く出てこれるようにがんばりなさい」と言われたこと、今でも鮮明に覚えています。

・母親が面会に来た際、あまりの情けなさで、涙で声がつまり、30分の面会時間に2~3言しか話せませんでした。

・少年院は「軍隊」のような生活。トイレに行く際も行進で進み、大声で「大便御願いします」と叫びます。

上記の体験は当時の僕にはとてもショックででしたから、少年院生活中に人が変わりました。まずは少年院を好成績で退院しようという目標で、見事に記録的日数で退院しました。(院内の生活態度は全て監視され、成績がつけられ、好成績者は早く退院できます。)

上記のような体験をして世の中に約半年振りに帰ってきたとき涙が止まりませんでした。人生最大の屈辱感と挫折感でしたから。同時にもう二度と塀の中に入るようなことはしない。と思いました。またあの生活ほど世の中は辛くはない・・・・とも思いました。

社会復帰してから、2日後・・・地元の仲間には誰にも連絡をとらぬまま東京に上京しました。もう再び過ちを起こさない為に。必ずこのことが気にならないぐらいの成功をしようと考えたからです。

少年院入ったことで、更生しない仲間の現実います。スポーツしても心を学べない人もいるでしょう。しかし、人生の過程で「けじめ」を学んだ人間とそうでない人間とでは大きな差があり、何も行動体験しなければ、けじめを学ぶ可能性は低くなります。

僕の甘えた人生に裁判官・少年院に完全な「喝!」と入れられました。このようなことはあまり公にしない事かもしれませんが、僕の場合この体験で学んだことが多く、今では感謝できる内容なので今回書いています。

しかし、このことは人前で話す事は随分出来ずにいましたが、今では胸を張って話せます。

街でふらふらしている若者を見ると、気持ちがわかる部分もあります。彼らも昔の僕も「エネルギーがあるのに、何をしたいかわからない?」のです。わからないから、けじめがない。周りに過保護又は無関心に接せられた代償に、心の軸足「けじめ」という根っこを植えられない。

親のしつけもも大事ですが、社会からこそ大きな影響がある教育です。教育は社会で、社会は教育です。

僕の場合はしつけを親にしてもらいましたが、社会の厳しさ・けじめの教育はスポーツと法律にされ、運良く根っこを植えることが出来ました。

僕と同じような経営者で、数字だけを追いかけるような経営をして犯罪を犯しているやつは、年齢に関係なくこの「厳しさ・けじめ」を学んだ経験が無い人です。哀れにも見えますが、可哀想でもあります。甘えしか知らないおかげで「自分」だけを考えてしまう。自分が誰かの役に立つ事の尊さ、公的な事柄の誇りなど考えもしないし、知らない。物質的なものだけを財産と考えるから無理をして、脱税、汚職、インサイダーなどを思いつく。

僕も給料の高い仕事をしたことがありますが、本当の「充実」ではありませんでした。そのことは次回書きます。

兼子の場合、苦い経験が心を強くしてくれ、それを社会に還元しようと言う考えが生まれました。それが自分でも「充実の源」と思います。

東京に出てきて、知り合いが一人もいない時期から考えると、今こうして運良く「スポーツストレッチ」と「キックボクシング」に出会い、SSSスタッフ・クライアントの皆さんとストレッチ屋を前へ進ませている事が、幸せだと感じます。

人生は楽な近道を探すのが、遠回りで

厳しさはあっても、その遠回りが本当は近道なのかもしれません


次回は教育最終章

兼子