一年前までなら考えられないほど、国内においてデモが多発しています。その中でもっとも気になったのは「就職活動反対デモ」です。
 このデモではリクナビやマイナビなどが取り上げられており、まさしく他人事ではありません。インターネット上では、このデモに対し、「甘えだ」「ゆとりがゆとりを望んでいる」など批判的な意見が大半です。
 
ですが、本当にそう言えるのでしょうか。

 現在の就職活動における問題点は、の活動時期があまりにも早い点が挙げられています。大学3回生の12月から就職活動をしなくてはならない状況が作り上げられています。これは、就職活動支援という名のビジネスにおいて構築されたものである、ということは間違いありません。もちろんビジネスである以上、反対意見はありません。

 では、四年制大学ではいつ頃、卒業内定に必要な単位を取得することが可能なのでしょうか。デモを行っている学生たちは、学業に専念することのできる時間を必要としています。すなわち、就職活動があまりにも前倒しに行われているため、学業がおろそかになっているということです。

 これで大学の定を成しているのでしょうか。大人たちは学業こそが学生の本分と言っていたのではないでしょうか。

 そして大学で行われている授業の大半が、多くの学生の就職活動にほとんど意味をなさないことも指摘されています。

 学生は誰に怒りと矛盾をぶつけてよいのか分からない状態でデモを行っているように感じました。地代による閉塞感、そのような理由は大人である社会人の勝手な根拠付けでしかないと思います。その証拠に、就職活動支援なるもののビジネスに各企業は参加しているのですから。

 この問題はさまざまな要因を含んでいます。例えば年金支給年齢の引き上げ。至急年齢を引き上げることで、企業は定年を遅らせる必要に迫られるでしょう。結果、新たな採用枠を設けることができなくなります。

 また、大学のあり方自体、非常に問題があると言えます。あたしは仕事柄、大学の教員の方や広報の方と話し合う機会があります。そしていつも感じます。
 教員たちは、専門バカで大学という存在を重視していないこと。各教員たちは考え方も対応もバラバラで、まったく組織として機能していません。ぞっとすることが多いです。
そして、広報は完全なビジネスとして大学を捉えています。広報ですから当然ですが、結局は大学長の意見に従うだけの僕でしかありません。大半の方が生徒の顔色ではなく、学長の顔色しか伺っていません。
 ここは何を教える、学ぶことのできる場所なのでしょうか。

 さらに商売を長く続けていた人間からすると、その皮算用があまりにも甘い。聞いていて恥ずかしくなるぐらいのことが多いです。

 国は企業に就職活動のためのさらなる費用を投じ、また大学には無駄な広告費を投じるだけの対策しかしていません。

 ここまで書くと誰が悪いのかは一目瞭然です。個人的な主観がかなり入っていますが、このような若者の問題は時代のせいにする大人は確かに卑怯です。自分たちの頃は、などと簡単に言いますが、自分たちの頃の時代と、現代はまったく違います。
 年を重ねると昔の武勇伝を語りたくなるようなものなのでしょう。

現代という背景を無視した意見が多い、就職難という問題だけではないと思います。
 自己責任などという日本語にない日本語を用いて、責任をすべて次の世代に押し付けているのが現状です。

時代の変化を受け入れることのできない人間が、この国の中枢世代であることが問題だと思います。