「真実の行方(1996)」
エドワード・ノートンの演技力が評価されている作品です。

 特に演技が好評価なわけですが、アメリカではこの時代の裁判の現場においての社会問題となった事柄を扱っています。
そういった意味では、ハリウッドでの映画製作が多彩に輝いていた時代とも言えます。

主演は敏腕弁護士を演じるリチャード・ギア。特に思い入れのある俳優ではないですが、好演でした。

そういえば最近こういった類いの映画ばかり観ているなあと感じました。
こういった類いのという意味で言えば、邦画ではどのような映画があるでしょうか。
全然ないとは言えないですが、あまりにも少ないと感じます、観たくて、です。

あたしはこの映画のような、それぞれの国の時代背景が見える映画が好きです。

この映画はセリフが特に印象に残るといった類いではありませんが、確かに面白いです。どう面白いかと言うのはネタばれになるので書かないですが。

「真実」とはいったいなになのでしょう。
はたして「真実」を知ることがすべてにおいて、良しと言えるものなのでしょうか。
知らない「真実」は言い換えれば「知らない」真実と言えます。
知らないこともまた真実であると思います。

不条理でつらくとも真実に目を向けるということは、同時にそこに共存する闇の部分をも見ることになります。

こういう話になると、メディアなどの媒体による報道と捉えがちですが、そういったことだけではないのは当然です。

日常生活においての、例えば、物の値段であったり、隣人の心であったり。
追求するということは、心から信用して追い求めるのか、あるいは懐疑心とともに探求していくのか。

いずれにせよ、知る権利があれば、知らない権利もあるわけで、あたしは真実とは、自分の心の中にしかないと考えています。