ルール。
先日のブログにも書きましたが、ルールは近所の人でも差があり、異文化となるとそれは「差」ではなく「違い」になります。

フランスの土産話をやっくんから聞かせてもらいました。
彼は出張でフランスとイタリアに行っていました。
その中でも特にフランスには非常に違和感を覚えたようです。

あたしも欧州には行ったことがなく、興味を持っていなかったので調べたことがありません。
予備知識がないためか、驚く話ばかりでした。

例えば、みなさんもご存知のある「シャンゼリゼ通り」
この大通りはフランス曰く「世界一美しい大通り」と唱っています。
ですが、現実はというと、少々違ったようです。

また町中ではタバコのポイ捨てが習慣としてあるようです。
そして、外国人観光客に群がる物売りなどがあちこちにいるとのこと。

日本では考えられるような風景ではなかったそうです。

ですが、ここで一言気になる言葉を発しました。

公衆トイレがない。

もちろんまったくないのではないでしょうが、観光地なのに不便さを覚えたそうです。

これらを踏まえて考えると、公共的な部分において国としての政策が日本とは大きく違うなあ、ということです。
少し砕いて言うと、あえて不便さを残し、なんらかの仕事を発生させているのではないか、ということです。
これは調べたわけではありませんので事実とは違うかもしれませんが。
ただ、そういった方向に考えを深めていくと、なるほど、不便さの中の需要というものがある、と改めて認識します。

この方式を現代の日本に当てはめることが不可能ですが、一概にルールが違うということで否定することはできないと思います。

とかなんとか話しているうちに、他の飲み仲間がやってきました。
まあそこからわいわいと騒ぎながら飲んでいました。

午前0時を回った頃、以前の会社の企画長と九州の店長と合流し、飲みました。
本当に久しぶりです。
久しぶりだけに、二度と一緒に飲むことはないのだろうと考えていました。
ですが、彼らは変わらずのスタンスであたしと飲んでくれ感謝しました。

もちろん以前の会社の話を山ほど聞かされるわけですが、前向きに働いている人の話を聞くのは楽しい。
もちろんグチもあれど、一生懸命なその姿にあたしも触発されます。
戻るとか言う意味ではなく、毎日ひとりで仕事をして、いつの間にか「自分ルール」なるものに縛られている自分に。

違うルールやモラルであろうが、どこに向かっているのか、ということが非常に重要だと考えさせられました。