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晴れときどきにわか雨

辛かったことも、振り返って見るとちっぽけなこと。いつだって青空を信じて歩いていきたいね・・・。気が付けば、この小さな南の島国ニュージーランドの住人になってたわたし。そこでの暮らしや思いを書き連ねたぶら~ぶら~ ぶら~日記。


$晴れときどきにわか雨



ジムに行く途中、BPへガソリンを入れに行った。



看板を見ると、ガソリン代がまたも値上がり?! 先週まで$1.70 代だったのに・・・。



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為替レートは、NZ1ドル63.15円だけど、コーラが一缶NZ$1.10だから日本円にするとリッター180円みたいなもの。



2008年に、リッターNZ$2.18まで値上がりした時は、全国民が大騒ぎ。



ガソリン泥棒なるものもあちこちで出現した。

それ以来、セキュリティーカメラが取り付けられ、キャッシャーが車のナンバーを確認してからでないと給油が受けられない所や、ガソリンを入れる前にお金を払うシステムを取り入れた所もある。




この国は、公共交通機関があまり充実してなくて、自分の車なしでは時間がかかるし、とっても不便なところ。

うちも、マミとわたしが一台ずつ自分の車を持っている。



$晴れときどきにわか雨



今日のガソリン代、$82.23。

わたしの愛車、スズキ・エスクードは、4WD の中でも燃費がいい方だからと自分を納得させる。



12.5%の消費税も、15%に上げようっていう話しが出てる。ガソリン代に含まれるその他の税金もどんどん高くなる一方だ。



ガソリン代が上がれば、食べ物はもちろんいろんなものが値上がりする。

困ったもんだ・・・。



上がらないのは、おばさんの右肩と収入だけか~!




3月に入って、朝晩の冷え込みが増してきた。もうこれで夏も終わりかなと思うと、淋し~くなってくる。

とはいうものの、今年の夏は50年ぶりにホットな夏だそうで、我が家のビアガーデンは今も健在だ。


先日も、友だちのリサが遊びに来たので、虫除けキャンドルをつけながら外で一杯。
夏の夜といえば、怪談話じゃないが・・・



最近、彼女の家で説明のつかない変なことが起こると言うのだ。


目の前で、突然グラスがはじけて割れたとか・・・。

タイで買ってきた仏像の首が回ってるとか・・・。

この前は夜中の2時ごろ、シャワーの音がするので様子を見に行くと、シャワーは止まっていて飼い猫の一匹がバスタブの中にいる。猫は濡れていないのに、その周りは水浸しだったそう。

猫が、いたずらをした?いや~猫の手では不可能。


「私、別に怖くはないけど。やっぱり世の中には説明のつかないことってあるのよね。」と平気な顔。




はっきり言って、わたしには霊感というものはそなわっていない。

そういう特殊能力がなくて良かったと思うのだが、そのおかげでビビリである。




リサの話しに刺激されてか、マミがポツリと言った。


「G.G.を怖がらせたくなかったから黙ってたけど、最近、なんか人影のようなものを見るのよ。」



2週間ほど前から、家の周りで変な影や光を見るらしい。




「大丈夫、悪い霊とかじゃないと思うから。何かのメッセージだと思うんだけど・・・。」とケロッとしてる。



怖がらせたくないのなら、ず~っと黙ってて欲しかった。





どちらかというと、マミは感が強い方だ。



わたしがシンガポールに赴任していた時に住んでいたコンドも、マミにとってはあまり気持ちのいいもんじゃなかったらしい。後から赴任してきた同僚も不思議な体験をしているので、やっぱりあそこには何かあるというのが彼女らの結論だった。



3ベッドルームのだだっ広いコンドで、同僚がやって来るまでの1ヶ月間を一人で過ごしたけど、毎晩ぐっすりと眠れたし、なんら不思議な現象は起こらなかった。いや~起こっていても気づかなかったのか・・・。


何かを感じる人にだけ何かのメッセージが送られるそうだけど、わたしみたいに鈍感じゃあ、霊の方もあきらめてしまうのだろうか。





ほんまもんでいきなはれ―「ごま豆腐天下一」の庵主さん一代記 (文春文庫)/村瀬 明道尼

¥570
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マミが日本から買ってきた本、 “ほんまもんでいきなはれ” を読み終えた。一人の尼僧の人生を描いた本だ。

久しぶりに、良い本に出会ったというか、この著者、村瀬明道尼(滋賀県大津市にある月心寺の庵主さん)の壮絶な人生、生き方に感動した。


村瀬明道尼のことは、以前NHKでやっていたインタビューを見たことがあったが、正直言って精進料理で有名な尼さんくらいにしか思ってなかった。


1924年(大正13年)生まれ。9歳の時に出家し仏門に入る。 
39歳で大きな交通事故に遭い、それ以来右手と右足の自由を失った。その後の人生は、思いがけない天からの贈り物であり、ありのままに生きなければ罰があたるという。


現在も、寺を訪れる人々のために、午前一時頃から料理の仕込みにかかる。
ごまを一時間ほどかけて摺りながらお経を唱えるのは、お経を読み終えるのにかかる時間と、ゴマがちょうど良い加減に摺れるまでの時間が合っているからで、お経はありがたく、読めば功徳があり、だからこのごまもおいしく摺れるなどとは夢にも思ってないという。


自分のことを“何事につけはっきりものを言いすぎるのが、よくも悪くも私という人間です”というように、尼僧でありながら、「ステーキが大好き」と公言し、タバコも、お酒も、恋愛もして来たとインタビューで答えていたのが思い出される。



どんな困難な状況を迎えても、それを乗り越えて行く姿を読んでいて思った。どこからこんな強さが生まれるのだろう。


人生を精一杯生きた人の言葉だから、素直に感動できるのでしょうね。



わたしの人生も、あまり穏やかな方じゃなかったから、「なんで、わたしばかりこんな目に遭うの?」と何度思ったことか。


でも、やっと最近になって、“その時はどんなに辛いことでも、後で振り返ればすべてに意味があって起こったこと’と思えるようになった。




終章から・・・


「すごろく」は、その進みかたに何通りあろうと、「あがり」がひとつしかないように、あちこち寄り道をしながらも、今、終生の場所に辿りついたような気がしています。これまでに歩いた道のりのどの部分が欠けても、ここまで来られなかったことを思えば、寄り道というよりも、長く入り組んだ一本の道というべきかもしれません。
そう、すべての一歩が今日につながっているのです - よかったことも悪かったことも、恋したことも怪我したこともすべて。