厚労省は来年の薬事法改正で癌患者などが外国製(その多くは米国製)の未承認薬を使いやすくすることにした。患者の選択肢が広がること自体はよいことだが、その前に自己責任についてのリテラシーを確立しておかないと、患者にとって福音となるかどうか断言できない。


 そもそも薬を国家が承認する制度は、患者の自己処分権ないし自己決定権を制約するものとして公共の福祉、つまり日本国民が有効で安全な薬物を利用でき、有害な薬物にさらされないように定められたものであり、この制度がいわゆる薬害事件によって泥にまみれたからといって安易に緩めるべきものではないであろう。それは有害な薬物としての覚せい剤の自己使用さえ罪に問われることの意味を考えてみれば明らかではないだろうか?


 米国は個人主義の国家であり、保守的な国民によって国民皆保険制度さえ攻撃されているような国情である。そのような国で承認された薬が日本国民に医学的のみならず社会学的に無条件で適合するかどうか疑問なしとしない。つまり単なる民族学的な相違だけに留まらず、薬の使い方や医療制度といういわばインフラストラクチャの相違があるのである。


 最近ドラッグラグとかマシンラグといって、わが国の承認遅れを非難する声があるが、ではだれが米国産の薬や機器の安全性を保障するのであろうか?米国の治験結果をぬ条件で受け入れるというのは、政治の世界でよく見られるぽち的態度であろう。一方で、エイズ薬害事件やドイツ製硬膜事件、フィブリノゲンによるC型肝炎感染事件のようにいったん薬害が発生すればすべてを国家の責任にして税金によって補償させるのが常道となっている。これらの態度は矛盾するものではないか?


 一方癌の新薬はそんなにいい薬なのだろうか?そもそも癌の化学療法は、精巣腫瘍、悪性リンパ腫、一部の白血病などを除いて有効な治療ではないという説も根強い。多くの抗がん剤の臨床試験における慶応大学の近藤講師にいう統計的な解析の誤りもかなり本当である。米国ではNCIHPで一般人が抗がん剤のデータを閲覧でき、効果と副作用を自ら比較して新薬を使う、あるいは治験に応募しているが、ふりかってわが国民はそこまで腹をくくって抗がん剤と向き合っているであろうか。藁をもつかみたい気持ちで新薬をまちのぞんでいるのではないだろうか。癌の治療は薬だけではない、ヒマラヤのトレッキングに象徴される心理的な効果もまたNK細胞を増加し、癌の増殖を阻害する方法である。われわれ臨床医は、利ざやがあったためかどうかは別として薬に頼ってきた過去を反省し、こうした適切なアドバイスを患者さんにすべきだと思う。


 結局のところ、未承認薬の使用容易化より、有効で安全な新薬を迅速に承認するシステムこそ肝要なことである。病に苦しむ患者さんの声にほだされて、予算や人員のかかるこうした改善を放棄して安易に未承認薬の使用を緩める道はいつか来た道、つまり新たな薬害につながる道であると信じるものである。