AKB48の総選挙結果がヒゲの殿下ご逝去と同じく産経新聞の号外になっているのを知り驚愕した
多人数のアイドルユニットはおにゃんこクラブの時代からあったが
今回のブームを支えているのは所謂オタクであろう
裏返すとリアル生活において彼女を持たない若年層である
この現象の裏に非婚少子化の芽があると思われる
ワシントンポストはAKB一体何者ぞと評した
確かに特別美女でもなければ歌がうまいわけでもない
秋元康の売り方がうまかったという意味では日本の宣伝文化の反映にすぎない
やれやれ実態より外見やイメージに価値をおく困った時代が始まったものだ



iPhoneからの投稿

献血時になされる血液検査は、輸血患者に感染症を移さないために行われる。

その際新たな無症候性感染が発見された場合、献血者に通知するかどうかは大きな問題である。我が国では、献血時に通知を希望するかどうか同意を得てから通知している。だが、実際は通知の有益性が十分検討されたとはいえない。この同意もあまたのインフォームドコンセントと同様実質性を欠く空虚なものだからだ。

HTLV1すなわち成人T細胞白血病のウイルスの通知も問題点を含むものであった。本来は授乳の可能性のある妊婦でのみ通知することが献血者の利益にかなうことである。それ以上の通知は効率性から再献血を防止する目的があった。この点は、さいたま地裁で、ウイルス検査陽性の通知を受けなかった献血者が再献血時に採血副作用を発生し、通知を受けていれば副作用にあうことはなかったのと訴額500万円の訴訟において日赤側が安易に妥協したことに発する。

このとき問題となったHBc抗体、すなわちB型肝炎ウイルスのコア抗体の陽性者への全通知がこの4月始まったのは因縁を感じると同時に、大きな理念的問題である。なぜなら、HBc抗体陽性者の肝炎再発の可能性は免疫抑制療法などに伴っており、主治医がかかる療法を開始するときに患者ごとに検討すれば足りることであって、素人としての個人が通知を受けて認識しておくべき筋合いのものだはないからだ。したがってここにおいても、先の判決の呪縛が日赤に営利企業的防衛的態度をとらせていると考えざるをえない、

しかも予防接種によるHBs抗体並存者にまで通知をして再発云々をいいつのり、またその血液の感染性を論じるごときは軽率のきわみである、可能性とか恐れとは科学的蓋然性がいくらかでも存在することが前提であり、ゼロに限りなく近いものを可能性とよべば、もはや社会はなりたたない。なぜなら世界は物理的危険に満ちており、いかにそれを合理的に認識し負担するかがわれわれの生活であり、人生であるからだ。

ともあれ、知る権利と知らない権利を実質的に保障することこそボランティアである献血者の善意に答える道であると信じる

                                 




 院内感染というと病院内でおきるすべての感染を含んでいるように聞こえるし、また一般にはそう思われている。しかもこうした院内感染がおきると病院側が非難される。 しかしこれは一概に正しいとはいえない。院内感染には防止可能なものと不可能なものがあり、可能なものに限って病院の責任が問われるべきだからだ。みそもくそも一緒にして謝罪会見をさせるマスコミの大雑把な態度には我慢しかねるところがある。


 それゆえ、私は院内感染のなかから防止可能なものだけをとりだして医原性感染と定義することを提唱する。では防止可能な院内感染にはどんなものがあるかから見ていこう。


まず、血行感染は明らかに防止可能であり防止すべきである。その代表的な例としては古くは注射筒や注射針の共用、不適切な消毒があり、最近まで共通バイアルからのインスリンやヘパリンの利用があった。これらは特に免疫低下のある透析クリニックなどでおきていた。さらには作り置き点滴バッグにおける、汚染した酒清綿を原因とする混合注射薬による感染も報告されている。いずれも消毒抵抗性の高い肝炎ウイルスや弱毒性細菌が多かった。


つぎの防止可能なカテゴリーは経口感染である。たとえば食中毒、ノロウイルスの感染、これは第一例に病院の責任があるとはいえないまでも、その拡大は手指消毒、手洗い、糞尿の消毒等を徹底すれば原理的に防止できるものである。


 しかしながら、空気感染や飛まつ核感染はマスクや一般的な隔離で完全に防止できるものではない。したがって、禁忌と不同意を除いて患者・職員にワクチンが接種された医療機関におけるインフルエンザや水痘の流行(小児科病棟)は院内感染であっても医原性感染ではないことになる。


最後に微妙なカテゴリーにあるのは、実は院内感染という言葉の生みの親ともいうべきMRSA(メチシリン抵抗性ブドウ球菌)である。というのは、MRSAは抗生物質の多用によって出現した医原性細菌ではあるが、MRSAがすべて当該病院由来とは限らず、そのすべてが医原性感染とはいえないからである。実はB型肝炎ウイルス同様、MRSA感染は内因性の再活性化が多いのである。そうした再活性化は免疫低下や手術的侵襲に引き続いておきるから、医原性感染のように見えるだけである。同じことは抗生物質耐性の腸球菌や緑膿菌、セラチア菌などにもいえるが、こちらのほうは外因性のほうが多い。


現代日本社会は医療界に限らず、極度に個人や組織の責任を追及し、結果として組織はいかに免責されるかに文書とエネルギーを費やしているが、これはゆゆしき事態である。社会に生きるすべての人間がその立場と知識に応じてできることを行い責任を分担することが肝要である。けだし、有熱者や咳くしゃみのあるものが入院患者の見舞いをしないことは、クラシックの音楽会で咳をしないことよりはるかに重要なことである。最近、マスクにかわって咳エチケットが強調されていることは好ましい傾向といえる。


一方医原性感染の撲滅のためには、ユニバーサルプレコーションや滅菌技術の進歩もさることながら、不必要な医療行為をしないことである。私が35年前に医学部を卒業したとき、すでに感染症の専門教員が抗生物質の乱用を嘆いていた。今は不必要な観血的検査や手技の乱用を嘆くかもしれない