思えば遠くへ来たもんだ。

 

よく「社会人になると時の流れを早く感じる」という言説を耳にしますが

私はいまいちピンと来ません。

過ぎ去った日々のことを思うと「まぁ、いつもこれくらいのスピードだったんじゃないか」と感じます。

ただ、通勤中、「あれ?この駅、もう中高時代の駅より長く通っているんだ」という見方をすると途端に、

やっぱり短いようにも思います。

 

話がそれましたが、自分の人生を、自分の心を中心にして振り返りたいと思います。

私はいつも、自分のことが好きでいられるように生きていきたいと思ってきました。

今思うと、あの頃は酷かったなという時期ばかりですが、どれも生々しくて面白いなと思います。

 

幼稚園まではあまり記憶にないので割愛するとして…

小学生の頃は、特に高学年になったころ。

中学受験を控えた私は人よりテストの点数が高く、

運動もできて、学校行事に積極的に参加する児童でした。

それで一目置かれるような存在であったからか、完全に図に乗っていた…ものと思われます。

天狗の私に傷つけられた人も少なからずいたことでしょう。申し訳ない気持ちです。

 

中学校は(一応)進学校で勉強は中の中になり、運動は部活で差別化され目立つようなことはなくなり、

私はごく普通の世間知らずの生徒というポジションになりました。

いじめのターゲットになりかけることが何度もありましたが、自分の性格の悪さを考えると仕方なかったなと感じます。

 

高校生になるころには、他人を敬うことが「いいこと」ではないか、とようやく気付くことになります。

エキセントリックな面白さは脱色されましたが、人付き合いがいささかスムーズになりました。

それまでの私は、自身の考えを否定されるとすぐにムキになって、無理やりに自説を通そうとしてしまうきらいがありました。

しかしこの時期になると、ムキになりつつも、

「よくよく考えるとあいつの言うことが正しかったな、なぜ自分の誤りを認められなかったんだろう?」と

自分のことを疑問に思うことが増えていきました。

歯に衣着せず私を批判してくれる球蹴り部の仲間の存在は、私にとって最も大きな存在であったかもしれません。

 

そうして人格的に一定の落ち着きを見せた後に始まった大学生としての日々、

人によっては最も幸せな時代でしょう。

私はもう一段階、ショックを受けることになります。

中学高校といつも同じようなメンツで過ごしていて、楽しい思いをしてきたからか、

新しく出会う人々に魅力を感じられなかったのです。

何か思ってたのとちがう。話が面白くない。社会が私の望んだ形じゃない。

形式的には他人を敬っているようでも、

「お前ら、分かってないな」とでも言いたげな、いびつな形をした承認欲求が私の中にあったようです。

そうして中々大学での日々に慣れることができない中、当時は○クシィが流行っており、インターネット上で面白いことを

やりたいと思い、日記を書くようにしていました。

しかし思うように盛り上げることができず、そこで初めて

「そもそも誰も私に大して興味をもっていない」という着想を得たのです。

「そんな感じのこと」に気づいてからは、私は独り黙々と学問に励むようになりました。

敬うべき他人は他人、自分は自分、ありのままで、そのままでよいではないか…そんなように思うようになりました。

 

さて、次は就職かあるいはほかの選択肢にとるかという時期になります。

私は子どものころ、人にものを教えることや朗読をする仕事をやりたいと思ったことがありましたが、

生来すぐに体調を崩してしまう体質であることから、大学生になったころにはもはや「何にもなれやしない」という考えが

心の底に存在していました。

(倫理的に絶対に言ってはいけないかもしれませんが)とりあえず学問をよく修得しているし、院に行って、

司法試験を受けてみるかぁ、と思うようになったのです。

 

司法試験は、一部の優秀層を除いては、努力の試験という印象をもちました。

法科大学院性は来る日も来る日も似たような文章(小論文)をひたすら書きまくって勉強します。

この論点だったらこういう条文を、規範を、判例を書く、その際の論理展開はこうだ…と。

自分にはそれができませんでした。

それにしても司法試験というのは苦行というほかありませんでした。

月曜、火曜、木曜で論文8科目、金曜に択一という内容で、合格発表はおよそ4か月後。

私ですら合格発表にびびりまくっていたのに、私より遥かに努力をしていた学生たちはどんな思いだっただろうか。

合格者の絶対数が多いとはいえ、合格した方々の努力は本当に素晴らしいものと思います。

 

あまり、自分の心とは関係のないことばかり書いてしまいました。

面白くない日々だったからかな。

今でも、『休みの日なのに「勉強しなきゃ」と焦る』夢を見ます。いやはやすごい試験でした。

1度目に落ちた私は、2度目以降にうかっても就職が厳しいと聞いていたため、たまたま見つけた公務員試験の募集を見て、

2度目が駄目だったら公務員になろうと急ハンドルを切ることにしました。

院から就職までは、とにかく人格を「おろす」ような、かんなで削るような、そんな日々でした。

 

そうやってたどり着いた市役所は、私の現在の職場です。

社会は社会で、驚きでした。

「社会人ってこんないい加減だったの?」という感じです。

学生時代のバイトでうすうす感づいてはいましたが、まさかここまでとは。

大人なんて単に、子どもの時計を進めただけの存在だったんだ。

こういう考えが確信に至りました。

大学生時代に抱いていた歪んだものではなく、正義の観点から仕事も人も面白くないと感じるようになりました。

仕事からは逃げられないため、これでは自身もそうなってしまい、自分のことが好きでいられなくなってしまいますので、

何とかそうならないよう、仕事以外で、できれば仕事でも楽しめるよう、尽力しています。

 

今後の社会人人生をどうするかは特に考えておりませんが、

また急ハンドルをきるのもいいなぁ…となんとなく思ってはいるところです。

 

結局何を書きたかったんだろうか?

ろくに推敲もしないと滅茶苦茶な文章になってしまいますね。

論理的な文章を書く修行を何年もやっていたのに。

まぁ仕方ないでしょう。