パチンコ屋
昭和二十八年初夏の日、この春二十二歳になった中条清は、横浜市でパチンコ屋を営む叔父貴の中条源蔵の家を訪ねた。
清の両親は健在で熊谷市の外れで農業をやっていて、その父親の弟が中条源蔵である。
横浜市は昭和二十年五月の大空襲で焼け野原になってしまったが、幸いにも、叔父貴が住む借家は中心部から離れていたので、焼夷弾攻撃からは免れた様だった。
戦後になり、叔父貴夫婦は食料品等の担ぎ屋をやっていたが、一年程前からは、住んでいた借家を改修してパチンコ屋を始めた。
子供は二人、小学六年と四年の坊主だ。
実は、叔父貴の仲間の五十嵐さんと云う人が、近くで同じ様にパチンコ屋をやっていたが、都合で店を閉める事になり、それではと、叔父貴が清を呼び寄せ、そのパチンコ屋を継がせる思惑の様であった。
その様な訳で、翌日には早速叔父貴に連れられて、山川町一丁目にあるそのパチンコ屋に行った。
店は閉店してから未だ日が浅かったので、一通り下見した叔父貴がこの分なら二三日で開店出来ると保証してくれた。
店内には、二十五台のパチンコ台が凹並び、中央の突き出た処が、玉の売り場兼ね景品の渡し場である。
パチンコ台には真鍮の釘が規則的に打ってあり、色とりどりの小さな風車がくるくると回り、弾いた玉が当たりに入れば二倍三倍五倍と玉が増える。
パチンコとは中々面白いものである。
奥に、台所と便所と三畳間があって寝泊りは出来たが、暫くは叔父貴の家からの通勤であった。
付近の様子はと云いますと、店から二丁目三丁目と行く両側には一応の商店は揃っていたが、田圃や畑、工場の社宅等も見えていたので、商店街と云える程のものではなかった。
三丁目が終って右に折れると私鉄の「山川駅」に着くが、周りは倉庫群と一軒の売店だけで、駅舎を含め閑散とした場所だった。
私鉄の線路に沿う格好で、通りの後ろ側には「桜ヶ丘」と呼ばれている丘が連なり、「山川駅」に近い小高い場所には、アメリカ軍が接収管理している旧日本陸軍の高射砲陣地があった。
又、例のマッカーサー元帥が東京に行く時に使った厚木街道は、その線路の向こう側で、近くにはアメリカ軍が整備した広大な車両基地があり、その為か、アメリカ兵とパンパン嬢の連れ立っている姿をよく見掛けた。
翌日、叔父貴が三輪トラックで新式のパチンコ台(出玉が一度に十五個出る)五台を運び入れ、旧式五台と交換した。
新台も入り、玉も補充、景品のキャラメルも揃い、これで開店準備は全て整ったと思いきや・・・
夕方になって、赤いアメ車に乗った気障な紳士が店先に現われ、「大型店の工事が遅れているから、是非、応援を頼む」と云って、叔父貴をアメ車に乗せて何処かへ行ってしまった。
そんな訳で、翌日店は開けず、清は昨日に続いて山川町を散策した。
路地を挟んで隣が乾物屋、三軒置いて畳屋と八百屋、少し離れて魚屋と菓子屋、角に交番があった。
又、斜め前には、「小川屋」と書いた暖簾が下がるラーメン屋があった。
専ら出前が多く、座席の方は五人も坐れば満員である。
その「小川屋」で、鶏ガラを煮込んでいた親父さんに挨拶をしてから路地裏に廻り、「小川屋」の小母さんが張り板を立て、ふ糊を使った洗い張りをしていたので、それを見物してから店に戻った。
一寸、実家の母親を思い出す。
予定より二日遅れて、清のパチンコ屋は店を開いた。
初日から三日間はお客さんが少なく心配したが、四日目以降にはお客さんも増え、二週間経った今は順調で、奥の部屋で寝泊りをする様にもなっていた。
売上金は夜九時に店を閉めてから叔父貴の家に届け、その時に必要な連絡を貰う事になっていて、それは毎日実行していた。
花子との出会い
清はやっと日々の生活にも慣れ、店の前で日課となっているパチンコ玉の洗浄をやっていた。
細長い布袋に玉と石鹸水を入れて大きく揺らしながら洗い、三回の水洗いの後、乾いた布で水分を拭き取れば終わりである。
これを五回繰り返せば店の全部の玉が洗えるので、毎朝のこの作業は欠かせない。
そして、それ等が終わり、清がその後片付けをやっていた時・・・
「パチンコ玉の洗濯?」
と、いきなり声がしたので振り返って見ると、両腕も顕わな、赤いワンピース姿の花子が其処に立っていた。
二日前の夜、叔父貴の家からの帰り道、清が「山川駅」近くの『幸福食堂』でビールを飲んでいた時、離れたテーブルでアメリカ兵二人とパンパン嬢二人が同じくビールを飲んでいたが、彼等の英語混じりの会話の中で聞こえていたのが、花子と美佐子の二人の名前で、それぞれの顔も自然に覚えていた。
その花子が、可愛い笑顔で、目の前に立っていた。
「うん、毎朝の日課だ」
「パチンコ屋の商売って、面白い?」
「未だ始めたばかりだが、面白いよ。毎日、パチンコ台の裏側から人を見ていると、人間の物欲と云うのが丸見えだからな、で、今日は?」
「暇だから一寸散歩。わたし、山路花子。家はこの横の路地裏だから、何時でも遊びに来て」
「分かった。俺、中条清」
「じゃ、今度ね」
会話が終って花子は帰って行ったが、間近で見た花子の可愛さに、何故か清は胸に動揺を感じ、路地裏に消える花子の後姿に暫し見入ってしまった。
と、隣の乾物屋のラジオから、今朝も『リンゴ追分』の甘い歌が流れて来ていた。
♪ リンゴの花びらが 風に散ったよな
月夜に 月夜に そっと えええ
(続く)