散文・喧嘩とカルメンと「君が代」と(2) | 珍説・「豐葦(タカツキノアシ)原の瑞穂の国」 

珍説・「豐葦(タカツキノアシ)原の瑞穂の国」 

古事記に載る「豊葦原瑞穂之国」の解釈に付いて、第三の解釈があってもいいのではないかと思い、イネ科ヨシ属の(セイタカヨシ)の登場を願い、此処に珍説を披露するものです。

 帰り道(その一) 


映画が終わっても、その感動は未だ余韻を残してはいたが・・・

家路を急ぐも又然りで、大勢の観客が一斉に帰り始めた為、幸助も友人とはぐれ、一人で帰る事になってしまった。


そして・・・

帰りの途中、藪から棒に起こったあの時の喧嘩の発端がそれとなく判って来た。


八月の上旬の事、恒例の盆踊りの準備の為に、子供達を会館に集め、踊りに使う唐傘の飾り付けをさせていた時、二階に居た幸助に、下の子供達から、


「幸兄さん、よそ村の小学生が五月蝿いから、上から怒って・・・」

と、頼まれたと事があった。


それで、幸助が二階の窓から顔を出して、

「こら!作業の邪魔をするな」

と、怒鳴ってやったが・・・


どうも、騒ぎが未だ治まっていない様子だったので、再度顔を出して、

「何時まで騒いでいるんだ、この馬鹿者が。とっとと帰れ!」

と、大きな声で怒鳴り付けてやった。


そして、その時になって、下の餓鬼供の中に三人の中学生が混ざっていたのに気が付いたが、今更、声を落とす訳にもいかず、その侭睨み続けていたのを思い出した。


それで、その時の中学生が村に帰ってから、その鬱憤晴らしを兄貴分達に訴え出たものと思う。


左様、幸助は今になって、あの降って湧いた様な喧嘩の原因に漸く辿り着いた訳だが、今更それはどう仕様も無い事・・・


「その時は、その時だ」

幸助は腹を括り、彼等と再び顔を合わす前に、心の準備だけは早めにして置こうと考えた。


 帰り道(その二) 


やがて、幸助は村を見下ろす峠に差し掛かった時、喧嘩とは別に映画の中に流れていた或る音楽を、ふと思い出していた。


その音楽とは、「そばの花の咲く」と云う挿入歌だった。 


その歌は穏やかで優しくて、暖かく、それでいて格調が高く、心に沁みる旋律だった。


幸助は思った。


あの歌が、今ある「君が代」に代わる、新しい日本の国歌になるのかな?・・・と、

正直、幸助はそのように思った。


そして、それなりの理由もあった。


映画の中で、カルメン達の派手な騒ぎで運動会が中断されていた時、幸助は、「日の丸」の旗だけが暫くの間映っていた場面があった事を記憶していた。


勿論、その時も「そばの花の咲く」は流れていた。 


だから、「日の丸」の旗とその歌、若しくはその旋律は一体化を暗示したものであり、この映画を作った監督等が、新しい国歌の姿を示唆していたのではないかと思った。


これが、幸助の理由だ。


だが・・・同じ幸助が別の理由を申し出ていた。


元々、あの場面では「日の丸」が掲げられた中央ポールから、色とりどりの万国旗が等間隔に連なって映る筈だったが・・・


悲しいかな、初の総天然色映画である故の技術的な問題で、万国旗の或る色彩が上手く出せず、その一二秒間を映せなかったばっかりに、結果的に「日の丸」の旗だけを映し過ぎてしまった、と云う事情だってある。


そう云われて見ればその様にも思え、それも、又、正しい。


「ああ・・・僕の考えは、何時も短絡的で肝心なところが甘いんだ」


と、幸助が自分自身で納得したところで、我が家はもう目の前にあった。


                            (終わり)