散文・喧嘩とカルメンと「君が代」と(1) | 珍説・「豐葦(タカツキノアシ)原の瑞穂の国」 

珍説・「豐葦(タカツキノアシ)原の瑞穂の国」 

古事記に載る「豊葦原瑞穂之国」の解釈に付いて、第三の解釈があってもいいのではないかと思い、イネ科ヨシ属の(セイタカヨシ)の登場を願い、此処に珍説を披露するものです。

 喧嘩  


昭和二十八年の秋、利根川上流の○○発電所で映画の上映会があった。

関東地方北部に点在する発電所関係の施設を年に数回訪問する、労働組合主催の巡回映画会である。


天気が悪い時は講堂を使うが、今夜は月こそ霞んでいたがまずまずの夜空、隣の広場に莚を敷き大きな天幕を張って映画会は行われた。


更に、今回は日本映画史上初の総天然色映画、「カルメン故郷に帰る」が上映されると云うので、近郷近在からも大勢の観客が集まり、樋口幸助も友人と一緒に、村から小一時間も歩いて此処に来ていた。


労働組合幹部の挨拶が終わり、二本のニュース映画も終わって休憩時間に入った時、幸助は用を足す為に裏に竹薮に向かった。


そして、用を終えての帰り道、

「樋口の幸助さんですね、内の兄貴衆が呼んでいます。一緒に来て下さい」

と、暗闇の中から声を掛けられた。

見れば中学一年生位の小僧、見覚えは無かった。


「何だ、こんな時に・・・」

幸助は愚痴を云いながらも小僧の後に着いた。


すると、十歩も行かない内、前を行く小僧が急に駆け出したかと思った瞬間、突然、何者かに背中を強く押された。


二三歩よろけて振り返って見ると・・・

何時の間に来ていたのか、三人の若衆が其処に立っていた。


「何だ!」

「何だは無いだろう。この夏に、内の若い者を馬鹿呼ばわりをした、そのお返しだ」

「・・・」

「あの時は悪かったと、謝れよ」


真ん中の兄貴分が怒っていた。


だが、急には思い当たる節が出て来なかったので、その侭でいると・・・


「嫌か、だったら俺達が相手だ」

と、両脇の二人が腕を構え、姿勢を低くした。


「覚えは無いが、仕方ない」

幸助も一歩下がって構えたが、三対一、この喧嘩に勝ち目は無い。


「待てよ、三対一では駄目だ。今夜は止めた」

「止めた?今更卑怯だぞ」

「卑怯はそっちだ。今度は一対一でやろう、その時ならやる」


「・・・」

相手は言葉に詰って、少し間が空いた。


と、その時、映画をやっていた広場の方から、ワーと、大きな歓声が挙がった。

「カルメン故郷に帰る」が始まったのだ。


こうなれば、喧嘩どころの騒ぎではない。


互いに浮き足立ち、相手の顔を窺い、左を見て、右を見て、スクリーンに向かって一直線だった。


 映画 


 美しい総天然色で映された富士山を背景に、「松竹映画」と大きく描かれた文字も鮮やかに、「カルメン故郷に帰る」は始まった。 


煙たなびく浅間の山が、緑の広い高原が、たてがみを揺らす土着の馬が、おんぼろ列車が、一人立つ老いた校長が・・・


青い青い空が映り、待望のカルメンが登場、白いパラソルが踊り、真っ赤なワンピースが揺れ、踊り撥ね、太股も見え・・・


こうして、山深い北関東の夜空の下、心地よい音楽を伴って映画は進んで行った。


今迄見た事もない美しい総天然色映画に、集まった大観衆は固唾を飲み、「おう」「おう」とどよめき、只々圧倒されていた。


幸助も同じだった。


映画が進んだその途中、カルメン達ののストリップショウの場面では・・・

音楽が高まり、動きが早くなり、腰の小さな布がパラリと落ちた時、映画の中の観客と、こっちの観客とが一体となって口を開け、目の玉を丸くしていた。


一方、運動会の場面では、戦地で失明した音楽教師が、オルガンで挿入歌の「そばの花の咲く」を奏でる和やかな情景もあった。


その運動会は派手な騒ぎで中止となったが・・・

その時、「日の丸」の旗だけが一二秒間映っていたが、幸助にはそのところが何故か印象に残っていた。


やがて、楽しく美しかった映画「カルメン故郷に帰る」は、大勢の人達に夢と希望を与え、静かにその幕を閉じた。


                         (続く)