散文・垢と糸屑と哲学と(2) | 珍説・「豐葦(タカツキノアシ)原の瑞穂の国」 

珍説・「豐葦(タカツキノアシ)原の瑞穂の国」 

古事記に載る「豊葦原瑞穂之国」の解釈に付いて、第三の解釈があってもいいのではないかと思い、イネ科ヨシ属の(セイタカヨシ)の登場を願い、此処に珍説を披露するものです。

 (四)  


今日の午前中で勤労奉仕は終わりである。

心も爽快、空も快晴。


三郎は畑で午前の仕事が終わると、握り飯を食べた後、一人で家に帰り、待望の内風呂へと向かった。

途中、薪拾いの梅子と進一の二人と擦れ違ったので、「頑張れよ」と声を掛ける。


既に、小父さん達と畑で別れを告げ、土産に貰った薩摩芋もズックに入れて置いてある。


そして、畑での別れ際に小母さんから、

「表に積んだ粗朶は片付けてあるから、上の明かり取りを開けて、ゆっくりと入りなさい」

と、云われていたのを思い出し、風呂に入ってその明かり取りの引き戸を開けた。


パーッと眩しい陽が射し、土間が急に明るくなった。


三郎は湯の中から顔を出し、煤けた天井や土間の農具に目をやった後、子供達が沸かした湯加減に満足しつつ目を閉じた。


すると、暫くして、胸の回りが妙にこそばゆい感じがするので、ふと目を開けて見ると・・・


何と其処には!灰色の浮遊物が胸を囲んで漂っていた。

一瞬それは、学校で使う、あの消しゴムの摺り滓に見えたが・・・


そんな筈は無かった。正真正銘、それは人間の垢だった。


垢はぶよぶよと浮かび、黙って漂っていた。


以前、友達から聞いた話では・・・農家の風呂の湯は糞尿と同じ様に肥料として利用する為に、相当長く取り換えないと聞いた事がある。


だとしたら、この風呂の湯は、十日近くも取り換えていない事になる!

三郎は鳥肌が立ち、愕然となって動く事が出来なかった。


嗚呼、楽しみにしていた内風呂は、一変に天国から地獄にへと落っこった。


三郎は、嫌でも風呂から出る羽目となり、体に付いたその忌々しい垢を水で綺麗に洗い落とすと、早々に帰り支度を終え、土産の薩摩芋を提げて遠藤さんの家を後にした。


遠くで、姉弟達の何時もの争い声が聞こえたが、今は、それだけが救いであった。


 (五)   


遠藤家での勤労奉仕は楽しくもあり、きつくもあったが、三郎が家に帰ってから悩んでいたものは・・・


垢と糸屑と云う、似て非なるこの二つの物質の関係に付いてである。


あの夜、梅子のズロースを直していた時、指先に感じたものは、確かに糸屑だった。それは断言出来る。


しかし・・・あの時は気が転倒していて、混乱していたのも事実。


だとしたら、「糸屑だった」とは断言出来ないではないか!


否々、糸屑だった。


だが?


あの垢の浮いた風呂に毎晩入っていた梅子が、果たして、綺麗に垢を洗い落としていたかどうか・・・


若しも、簡単に済ませて寝てしまったとしたら、間違いなく、垢はお尻に付いた儘である。


それを、糸屑だと思ったのは、己の錯覚か?

それは悪夢だ!


否、それは違う、間違いなく糸屑だ。


否、流し忘れた垢だ。


否、糸屑だ。


否、垢だ。


・・・


・・・


斯くして、我等が沖田三郎は、その後数ヶ月間、「彼方立てれば此方が立たぬ」「鶏が先か卵が先か」の、難しい哲学の中に迷い込んで仕舞ったのである。


                          (終わり)