テレビでの体験も生兵法ではダメと知る | 山本祥一朗の酒情報

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今やマラソンブームで東京都主催の大会など人数制限されるほど。ではそのきっかけはいつの頃だったか――と振り返ってみれば、昭和40年代のはじめの頃ということになる。

カットでは当時「旅行読売」に私が連載していた話で、その出版社から出した『好奇心呼ぶ体験旅行』に収めたものである。

青梅マラソンがはじまってから9回目になる昭和50年2月17日に参加した。これは青梅市役所前をスタートしてから青梅線に沿って、つまり多摩川の流れに沿って15㎞上流まで走り、その15㎞のところで折り返す30㎞のコースと、5㎞のところで折り返す10㎞のコースがあった。
この日の参加者は4,047人でそれまででは最多だった由。テレビの取材も兼ねていたので、走りながら参加者にマイクを向けたが、60代が99人、70代でも15人と高齢者もあった。

私も走ったものの2㎞あたりで次々とお年寄りに追い抜かれる。79歳だという人にまで抜かれたのにはビビッた。生兵法ではダメなことを痛感した体験だった。