競馬にはギャンブルの面だけではなく、その裏には数々のドラマがある。

騎手、競走馬、そして人と馬など様々だ。

今回紹介する競馬本は、そんな競馬ドラマのノンフィクション9編の短編集。

 

「天馬を眺ていた少年」

著者:松田隆

発行元:(株)三心堂

発行日:1992年11月20日

 

・南十字星の下で

体重制限でJRAの騎手試験に落ち、ニュージーランドで騎手になった横山賀一。

父は天皇賞や宝塚記念を勝った横山富雄元騎手で、弟は今も現役ジョッキーの典弘。

後にJRAの騎手となったが、心が折れなかったのは弟への対抗心だったという。

 

・少年は天馬を見ていた

厩務員である父の担当馬だったトウショウボーイを見て育った長沼昭利少年。

「トウショウボーイのような馬に乗りたい」と願うが、身長が伸びすぎて騎手は断念。

高校を中退して牧場で修業し、後に厩務員となる。

 

・天皇賞降着事件 あの瞬間の真実

史上初の、G1での1位入線馬の降着となった1991年の秋の天皇賞。

レース直後の審議のランプ点灯からレース後の降着決定までの舞台裏を、裁決委員が冷静に語る。

 

・1着シンボリルドルフ

史上最強馬・シンボリルドルフと新馬戦であたった9頭のその後を追う。

新馬戦でルドルフの2着となり、中央で5勝を挙げるも移籍した高知で故障して予後不良となったブロークンヒル。

新馬戦から10年足らずの取材で、生存が確認されたのは繁殖牝馬となったヘイアンローズ1頭だけだった。

 

・生涯一騎手 増沢末夫

JRA初の2000勝を達成した、当時現役最年長騎手の増沢末夫。

当時も関東リーディング2位だった同騎手が、引退を決意するまでの葛藤。

 

・ヤエノムテキ物語

四白流星の大型馬、派手な馬体で皐月賞、天皇賞を制したヤエノムテキ。

その誕生から引退まで。

 

・日本の競馬を変えた12人

ジャパンカップの創設が一つのきっかけになり、競馬会内部に12人で発足した「競馬番組研究会」。

秋の天皇賞が3200mから2000mになった背景。

 

・ヨーロッパ競馬取材日記

・日刊スポーツ松田の南アフリカリポート

この2編は海外競馬の取材日記なので、あまり面白くない。

 

レース観戦も楽しいが、その裏にドラマがあるから競馬は面白いし、やめられない。