競馬における競走馬と騎手の比率は「馬7人3」と言われる。

「馬8じゃないか?」とか、「一流ジョッキーは人4だ」とか、考え方は人それぞれだ。

競馬本も競走馬を扱ったものの比率が多いが、今回は騎手に関する本3冊を紹介。

 

「スーパージョッキー」

著者:鶴木遵

発行元:(株)コスモヒルズ

発行日:1991年10月21日

 

“ジョッキーはアーティストである”

当時の現役騎手から、岡部幸雄、増沢末夫、河内弘らベテランから、若手だった武豊、横山典弘、松永幹夫ら、取り上げられたスーパージョッキーは二十数名。。

実際のレースを交え、表現者=アーティストとして騎手を紹介している。

 

「伝説の名ジョッキー」

著者:島田明宏

発行元:ゴマブックス(株)

発行日:2008年2月10日

 

「初代ダービージョッキー・函館孫作」から、「記録を塗り替える天才・武豊」まで、10名の騎手を紹介。

他には、「最年少ダービーJ・前田長吉」、「幻の女性騎手・斉藤澄子」、「モンキー乗りを輸入した男・保田隆芳」、「ミスター競馬・野平祐二」、「花の15期生・福永洋一、岡部幸雄、柴田政人」、「元祖天才・田原成貴」など。

 

「消えた天才騎手」

著者:島田明宏

発行元:(株)白夜書房

発行日:2011年4月25日

 

前出の「伝説の名ジョッキー」と同じ著者だが、その中から「最年少ダービージョッキー・前田長吉」だけを取り上げた一冊。

著者は、「私のライフワークと言うべき作品」としている。

 

前田長吉が最年少で制したダービーは1943(昭和18)年の第12回で、この時20歳3ヶ月。

騎乗馬は牝馬のクリフジで、牝馬によるダービー制覇は史上2頭目、この後は64年後の2007年のウオッカになる。

クリフジはダービーのあとにオークス、菊花賞を勝ち変則3冠を達成。

生涯11戦11勝で、そのすべてに前田長吉は騎乗している。

 

ダービー制覇の翌年(1944年)、太平洋戦争の戦況により「競馬停止」が発表。

同年10月、召集命令により旧満州に出征。

終戦後はシベリア抑留、1946年2月に当地で栄養失調により病死。

2006年、収容所跡から発見された遺骨の中から、DNA鑑定により長吉の遺骨が発見され、遺骨が生家に戻った。

 

自分は「馬7人3」どころか「馬8人2」くらいに思っているが、一流ジョッキーの物語を読むと「馬6人4」もあるのでは無いかと思ってしまう。