関駿
はじめに
たまに、野球以外のスポーツをやっていたらどうなってたのかなと思うこともあったけど、さまざまなご縁のおかげで、たくさんのいい経験をさせてもらった。野球をやっていてよかったし、野球以外は信じられない。チームメイトにも恵まれ野球をやめようと思ったことはなかったし、お母さんが違ったら13年も続けられたかもわからない。野球を続けてこれた全ての縁に感謝しながら僕の野球人生を振り返ろうと思う。
僕が野球を始めたのは小学校入学前。先日亡くなった長嶋さんと松井秀喜が国民栄誉賞を受賞した日。そのテレビ放送に夢中でお母さんの靴下の履き方講座を聞いてなくて怒られたことを覚えている。何を思ったか、家の隣の公園にいた少年野球チームの代表に入りたいと声をかけ入団したらしい。こっちの話は全然覚えてないし、お母さんから聞いた話だからあってるかもあやしい
野球をやり始める前からKONAMIで体操をやっていた。KONAMIといえばお馴染みのパワプロがあるように野球ゲームにも力の入れている企業だ。そのパワプロのイベントで現広島東洋カープの秋山翔吾とキャッチボールをした。その時もらった直筆のサインは今も大事に取っておいてある。今思い出せば栗山英樹もいたような気がする。
小学生時代は忙しかった。月曜ピアノ、火曜くもん、水曜プールに金曜くもん。そして土日に野球。毎朝トロンボーンも吹いていた。いつかサッカーもやったけどキーパーのくせして疲労骨折をしかけたからやめた。
小学校の時はそれがどんな大会かわかってなかったけれどたくさん勝てたから楽しかった。チームとしても3年生の時に合併して、仕事場の言えないネズミの国で働いてる人、プロの審判員などクセの強いスタッフの人とバントしないとかサインがないとか今となっては信じられないような野球を楽しんでいた。野球の一番古い記憶は初ヒットを打った記憶だろうか。センター前、ヒットを打つ喜びを知った。一番印象に残ってる記憶は23区大会出場を決めた試合。当時7イニング制の6回裏だか7回表だか2点負けている状況の2アウト満塁で回ってきた。結果はなんと満塁ホームラン。もちろんランニングホームランだ。相手はその地域の強豪。6年生が4人しかいないチームだったがよく勝ったなと思う。そして23区大会の抽選で監督が1番を引いてきた。選手宣誓だ。みんなの中にもその場にいた人もいるのではないかと思う。すごく噛んだ。ちょっと苦い思い出だ。
小学校の野球は今でも知らないことが多そうだがだいぶ満足している。
中学校は品川区立荏原第一中学校に入学。そこの野球部で野球をした。入学当初は新型コロナの流行で部活どころか学校も通えなかった。その期間の間にも毎朝一緒に野球をして、教えてくれた友達と友達の家族がいた。コロナも明け部活が再開するとすぐ秋の大会でメンバーにも選ばれた。あの朝がなかったらすぐに動けずメンバーにも入れなかっただろう。とても感謝している。中学校の時の先輩もすごい人たちでこの秋と次の夏で都ベスト8だった。そのメンバーに入っていたこと、スタメンに名を並べたこと、そして試合を決める決勝タイムリーを打ったこと。とても嬉しかった。自分達の代の最後の夏は春にコールドで勝ったところにコールドでやり返されてしまった。あの流れが止まらない感覚が今も忘れられない。春に勝っていたから勝てるという油断もあった。試合は平日でお母さんも仕事がありお母さんに勝てると思って次の週末の仕事休みの時に来てと言ってしまった。食事も洗濯も掃除もやってくれて確実に俺より大変だったはずなのに中学最後の試合を見せてあげられなかった。すごく後悔しているし、家帰って見たお母さんからのメールを見た時に流した涙は今も忘れない。すごく長い夏休みが始まり、いやでも迎えたくなかった受験期が訪れた。
高校は同じ中学校出身の29期、石原凪の誘いもあり淑徳高校へ入学。10月の体験会(凌駕さん10月です)で一緒にノックを受けていた大谷凌駕がいて同じ軟式出身がいることに安心したのはよく覚えている。今よりもハイテンションのばかだったのによくみんな仲良くしてくれたね
3、4月の振ったらヒットになる僕の中で2年に1回ほど迎える絶好調の時がきた。この好調もあり1年生の時からAで試合に出してもらえ、夏の舞台に立てた。2試合ともスタメンで出してもらえたのに5回も出ず、自分の力が出せなかったことは悔しかった。けれどみんなが出れるわけじゃない夏の舞台に立てたことは嬉しかった。エラーしても優しく励ましてくれた木暮さん、永田さん、ゆずかさんありがとうございました。
そして迎えた次の秋は個人的にもチームとしても悔しい結果だった。次の春またスタメンで試合に出るべく冬には増量にも取り組んだ。結果春はスタメンに戻ることができたが1年生が入学してきて一転、夏はベンチを外れてしまった。メンバー決定の最後の最後までチャンスをもらえたのに、ものにできない弱さが出てしまった。お世話になった先輩のためにグラウンドで恩返ししたかったがそれも叶わないなどいろいろな悔しさが残る夏だ。負けてほしいとは思わなかったけれど早くベンチ外というものから抜け出したいという葛藤と戦っていた。ただ帝京に圧倒的な差を見せつけられた時はシンプルに悔しかったし、帝京が関東一高に負けた時は甲子園っていうもののレベルの高さをちゃんと知った気がする。いよいよ最後の1年が始まった。
自分達の代になるとサードへコンバートした。飯能戦でやったら適性を見出されたのだ。最初は所謂ビギナーズラックでうまくこなしていた気がするがついに弱点に気づいた。とてつもなく肩が弱いことだ。信じられないほど全ての送球がショーバンになった。さらには横の動きも弱く三塁線も三遊間も全部抜かれ、集球ネットの方がいいんじゃないかとまで言われた。はたして本当に適性はあったのだろうか。そんなサードがいるチームが淑徳史上初の秋大予選を突破、八重尾を中心とした守備力と絶好調の内野手下位打線もあり勝ち進んだ。個人的にはランニングホームラン未遂事件も印象深い。國學院久我山戦で三塁線も取った。大会中で成長も見られ、4つまで残れて良かった面もあった。けれどヒットもなかなか出ず、守備でもミスを重ねた。特に早実戦5回、ホームでアウトにされて点が取れなかった後、ホームへの送球が浮き刺せなかった。刺せていたら流れは確実に違っていた。悔しさの方が大きい大会だった。
早実と戦い体の細さに危機を感じ今年も増量して強く振れるように、ホームランが打てるようになろうと頑張った。体重も10キロ増えた。びっくりだ。問題のホームランが打てたかという点だが春先の試合で下居筆頭にチーム全員に消された。まじ許さない。
関西遠征も経て迎えた春、自分の守備のミスから法政が止まらなくなってしまった。9回下居が同点打を打ったあと打席が回ってきた。結果が出なかった。初球を振らなかった後悔。最悪の大会だった。颯太をはじめみんなへ本当に申し訳ないと思っている。
最後の4ヶ月は本格的なスタメン争いをしたことがなかった僕には本当に苦しい期間だった。1プレー1プレーの重みが急激に重くなった。そのプレッシャーに最初は耐えれなかったのだが段々と慣れてきた。今なら春のあの球を振れる。そんな自信がついた充実した期間でもあった。
この期間を過ごしチームのレベルも上がったと思う。そしてなによりみんな背番号の重みがこんなにも重かったのだと知ったと思う。
いつか誰かのためにもう一本ノックを受けるチームがあるという話をされた。誰かのためにやると力が出るらしい。15番だったという悔しさももちろんある。けれどもらった背番号には何番とも変わらない重さがある。仲間のために、周りの人のために。その想いの強さは全国1だ。いつ呼ばれてもいいように準備を怠らず、今までの全ての縁に感謝して淑徳史上最高の夏へ挑む。さぁここに最高の結果を書き足そう。
終わりに
仲良くしてくれる友達へ
野球だけじゃなく学校での時間も僕の人生の大切な時間です。四季Tでもたくさんの人が野球頑張れって書いてくれました。ありがとう。公欠のためには頑張らないけどこれからも仲良くしてください。
29期の先輩方へ
いろいろアドバイスをもらったり、ミスした時も励ましてくれたり、時にはふざけあったり、とても楽しい時間でした。また一緒に野球をしたいです。ありがとうございました。
30期のみんなへ
いろいろ迷惑かけた時もあったけど、最後までこんな俺と仲良くしてくれてありがとう。みんなのおかげでベスト4まで行けたと思う。感謝。凌駕、あの試合は負けても俺のせいだ、うん。動物園みたいな賑やかな代のそれぞれの色をその場その場で出して最後みんなで最高の夏にしよう!頑張ろう!
下居へ
多分野球以外の下居しか知らなかったら俺はガチの方で嫌いだったかもしれない。でも1番チームのことを考えて行動してくれていたしたまに泣くんだよな笑そんな下居だから信頼できる、信じてる。野球終わって話さなくなる方が心配だよ。また勝手に風呂入って布団入りにいくわ。こちらこそ2年半ありがとう
先生方へ
入学当初からいろいろな場面で使ってくださりありがとうございました。野球以外の面でもたくさん指導いただき、確実に中学の時より人間的にも成長できました。教わったことを胸にこれからも頑張ります。
ママへ
女手一つっていう表現は嫌いそうな雰囲気を感じるけどそれでも女手一つでここまで育ててくれて、さらに13年も野球を続けさせてくれてありがとう。栄養素の勉強までしてくれてたね。おかげでなかなか病気も怪我もない丈夫な体に育ちました。高校入ってから仕事が一番忙しそうだった時、俺が寝た後に帰ってきても洗濯もご飯もいろいろやってくれて感謝してます。苦しい時も悩んだ時も家に帰れば忘れるぐらいママが喋りつづけるからぶっ壊れずにすみました。最後の夏、ちゃんと活躍するからこの夏は全試合観にきてね。今まで支えてくれたこと全てにありがとう。これからもよろしくお願いします。今度何年か振りのキャッチボールしよう
心をひとつに夢の先まで
57人の部員とその保護者さん、先生方淑徳高校野球部チーム一丸で甲子園へ。どこよりも長い夏にしましょう。
応援よろしくお願いします。