照井悠麒
僕が野球に関わり始めたのはいつのことだかもう覚えていない。兄が野球をやっていてそれの影響で始めたと思う。保育園の時から少年野球チームの光ヶ丘コメッツに関わっていた。そこから今に至るまでの野球人生が始まった。
小1のときのことはもう覚えていない。小2の時に小4以下の試合でピッチャーをした気がする。なかなかストライクが入らなった。小2もこれ以外のことは覚えていない。小3はショートをやったりセカンドをやったり、ピッチャーをやったりと割と主力ではあった気がする。小4になり小4以下のいわゆる育成と呼ばれる年代のキャプテンになった。キャプテンになった経緯は自分が1番最初に入ったからである。この年に今でも忘れられない、これからも忘れないであろう試合があった。自慢話みたいになるが話していきたい。
あれは光ヶ丘リーグのvs光ヶ丘パイレーツとの試合である。自分はその試合に先発をしていた。育成の試合は5回までで1−4で負けていた。相手のピッチャーがとてもよかった。5回裏8番から始まる攻撃でもちろん打てるわけもなく簡単に2アウト、正直諦めかけていたが1、2番が四球やヒットで出て3番の僕に打順が回ってきた。この時はたぶんものすごく集中していたと思う。結果はレフト前ヒットで2−4とした。そのあと4番がツーベースヒットを放ち4−4の同点となった。そして延長に入った。このときの育成の延長はノーアウト満塁からのスタートでどう考えてもピッチャーが不利な場面からのスタートであった。6回の表先頭打者を三振にとると、後続も三振に取り三者連続三振で切り抜けた。その裏自分は三塁ランナーで攻撃が始まると同時にタイムがかかった。打者と自分が呼ばれてキャッチャーの返球でのホームスチールが言われた。これが初めてホームスチールを知ったときだったと思う。結果はなぜか打者がスイングをしかけファールとなり失敗に終わった。このとき監督はブチギレ自分は驚きが隠せなかった。結局この回は相手投手の好投で無得点で終わった。勝負の7回、この回も先頭三振、次のバッターも三振にとった。ここまで延長で5者連続三振できていた。迎えた3人目のバッターはショートにボールが転がった。そのときにショートに守っていたのは今の淑徳のエースである蓮だった。正直に言ってあんまり守備は信頼してなくてショートに行った瞬間にやばいと思った。だけど危なげなく捌いてアウトにしてくれてほんとに助かった。その裏相手のパスボールでサヨナラ勝ちとなった。終わり方はあっけなかったけどほんとに嬉しい一勝だった。この試合の自分の投球内容は7回93球4失点16奪三振だった。この時の投球回や奪三振、投球数はキャリアハイの記録である。今でもこの時を振り返るとすげーなと思う。そして小5でも小5以下の試合がある時はキャプテンをつとめた。
小6になって誰がキャプテンになるかってなって今までやってきたしやりたかったから自らやると宣言した。
そこからは監督にキレられたこともあったしチームメイトがなかなか言うことを聞いてくれないこともあったが今となってはいい思い出である。
中学になって自分は板橋シニアに入った。板橋シニアは兄とチームメイトだった先輩が通っていていい縁だと思い入った。1年の時からベンチに入れてもらって3年生の圧巻のプレーに圧倒された。2年になって新チームになった時に3年生が4人しかいなかった。それで自分は未熟ながらもセカンドでスタメンでで続けていた。強いとは到底言えなかったけど八戸学院光星でエースとして投げていた岡本さんがチームを引っ張てくれてけっこう勝てたと思う。そして迎えた最後の大会自分はセカンドでスタメンで出ていた。ノーアウトかワンアウト満塁で自分に打球がきた。グローブと足が当たってしまいもつれてトンネルをしてしまった。その点が大きく負けてしまった。審判に恵まれなかったこともあったが自分のせいで負けてしまった。試合後最後のミーティングみたいな形でスタメンで出ていた人達や監督と話していた。エースであった岡本さんが自分のせいで負けてしまったと言っていた。自分はそれを聞いてそれは違う自分のせいで負けたと思って悔しくて泣いた。今までの野球人生で1番泣いた時だった。その後からは走り込みだったり、素振りだったり守備練習を上手くなりたいという一心でやっていた。3年になり自分は2番セカンドとして出続けた。内野手はみんな上手くてみんなで楽しみながらかつ互いに切磋琢磨しあっていた。めっちゃ楽しかった。時には何打席もヒットが打てなかった時があったが監督はそれでも信じてくれて2番として使ってくれた。本当に感謝している。この時の思い出といえば小さな大会になるが城北ブロック大会があげられる。そこで自分は全ての試合でヒットを放ちチームは接戦をものにして決勝まで上がった。決勝の相手は東練馬シニアとあたった。自分はヒットは打てたがチームは完敗。悔しかったがそれよりもここまで勝ち進めたことに喜びを感じていた。そして迎えた最後の大会、公式戦に強かったこともあり3番セカンドとして起用された。聞いた時はびっくりしたが嬉しかった。絶対に打ってやると望んだ。そして2アウト満塁で自分に回ってきた場面があった。。結果はサードゴロでホースプレー何も起こらず終わってしまった。最終的にチームは1点しか取れなくて負けてしまった。悔しかったがあまり涙は流さなかった。理由は今でもよく分からない。でもこのチームで戦えてよかったと思えるようなチームだった。
ここまで中学の事を話してきたが自分は中学で野球は辞めるつもりだった。高校では別のスポーツをやろうとしていた。しかしそう思っていた中で試合を見てくれていた小田先生に声をかけてもらいまだ野球を続けるという選択をした。この時の選択は間違っていなかったと思うし、続けていたからこそ新たな出会いが沢山あった。
高校に入って周りはシニア上がりの人が沢山いて簡単には試合に出れないだろうと思った。1年の最初のほうの時期に大きな選択をした。それはピッチャー転向である。これは学校でキャッチボールをしていた時に監督にやってみればと言われた。自分は面白半分でやり始めた。最初はなかなかストライクがはいらなかったが試合をこなすにつれて打ち取れるようになっていった。それがピッチャーの始まりだった。高2になり投球が安定してきて試合がつくれるようになってきた。そして夏の大会のメンバーに選ばれた。うれしかった。でも外れた3年生がいる中でプレッシャーも多かった。自分が3年生の夏を終わらせてしまう可能性もあり普通ではいられなかった。そんな中始まった夏の大会初戦から準々決勝まで全ての試合で投げた。特に先発をした目白研心戦では行きの電車の中でめっちゃ緊張した。それでもしっかり自分の投球をして4回無失点に抑えることが出来た。そして迎えた準々決勝の帝京戦自分は0-5で負けていて満塁の場面で回ってきた。ここでは神宮球場で投げれる喜びと抑えなければコールドになってしまうというプレッシャーの2つがあった。そして1球目スライダーが抜けてデッドボール押し出しとなった。やばいと思った。でもその後は冷静になれた。次のバッターは今まで投げてこなかったスロースライダーを投げて三振にとった。これも神宮でのひとつの思い出である。しかしその後は連打を浴び気づけば0-9となっていた。正直もう終わったなっと思った。そして案の定次の打者にセンターオーバーを打たれてコールド負けとなった。試合後悔しかったけど涙は流れなかった。そこそこの相手には通用するけど甲子園レベルだと通用しないこと初めて認識した。
3年生が引退してから自分の代になって夏の練習試合で監督に勧められてライトを守ることが増えていった。出れればなんでもいいと思っていたから特に抵抗もなく守っていた。守るにつれてライトが楽しくなっていった。そして迎えた秋の大会、自分はまさかの1番ライト、めっちゃうれしかった。そして2回戦、なぜか今まで練習してこなかったセカンドでスタメンになった。なんで?と思った。もちろん練習もしてなかったからエラーした。悔しいともなんとも思わなかった。でも勝てたからよかった。そして色々ありいつの間にか準々決勝になっていた。その試合で自分はリリーフとして8回から登板した。結果は2回1失点悪くはなかった。なんならいい仕事をしたと思ってる。そして準決勝早実線途中から登板して被安打2で交代。ライトの守備についた。悔しかった。それでチームは敗北。負けてから2月までは人が変わったかのようにトレーニングをして身体作りをしていた。しかし体調不良になってしまい4ヶ月間まともに野球ができなかった。最初の1ヶ月近くはお粥ですら食べれないほどの食欲不振、胃の不調で2週間ほどで8キロ痩せてしまった。ほんとに辛くて何もできなかった。3月の終わりくらいに一時期安定していた時があったが、4月に入ってまた再発した。最終的に冬の時期に比べて10キロ痩せてしまった。もともと細かった身体がさらに細くなってしまった。5月の終わりくらいになってほんとに少しずつだが良くなってきて試合にも出て投げれるようになってきた。でもろくに練習をしてなかったから、なかなかストライクが入らずに苦労した。正直夏大のベンチ入りも諦めてた。それでも試合をこなしていくにつれてだんだん感覚が戻ってきて再びストライクが入るようになった。練習試合で久々のストライク率7割を超えた。とにかく嬉しかった。そしていろいろあり延びに伸びたメンバー発表、12番で名前が呼ばれた。呼ばれて嬉しいっていう気持ちもあったがそれより体調が悪かった時によく声をかけてくれた監督への感謝が大きかった。最後まで復帰することを信じてくだっさっていてほんとに感謝しかない。
そして今に至る。
もうすぐ最後の夏が始まる。負けたら絶対に悔いは残ると思う。だけど信じてくれた監督や先生方のため、サポートしてくれた親のため、そして何より淑徳で野球ができてよかったと思えるような大会にする。
最後に
親へ
2年ちょっとの間、朝早くに起きて弁当を作ってくれてありがとう。全ての弁当がおいしかったです。ユニフォームも洗ってくれてありがとう。ほとんどの時間ピッチャーだったから中学の時よりかは楽だったでしょ(笑)最後の大会もそしてこれからも応援お願いします。
先生方へ
自分から質問しに行くタイプじゃなかったからあんまり話すことはなかってけど最後まで信じてくれてありがとうございました。優勝して胴上げしましょう!
後輩へ
風邪ではない体調不良になるとまじで何にもできなくなるからストレスを溜め込まないように。おれはギリ大会に間に合ったけど間に合わなくなるかもしれないから気をつけろ。言えるのはこれだけ。あとは頑張れ!
最後の最後に
長いようで短く、短いようで長く濃い高校野球の最後の大会が始まる。ひとつひとつ勝利を積み重ねて最高の夏にします。最後まで応援よろしくお願いします。