スピリチュアリストには
3種類ある

①能力が覚醒した状態で産まれた
産まれながら覚醒タイプ
②何かしらの出来事をきっかけに
能力が覚醒したタイプ
③自ら求めて
能力を覚醒させたタイプ

私は①

①のタイプは
導かれる流れ
(家柄やメンターとの出逢い)
がなければ
なかなか仕事にしにくいと言われている。

②③の人は
仕事にしやすいと言われている。

私にとって
スピリチュアルは日常だ。

目に見えない世界が見えている状態
聞こえない音が聞こえてる状態
匂わない匂いが匂っている状態
味がしないはずの味がする状態
ないはずの感覚がある状態。

みんなは
何故寝るのですか?
どうやって寝るんですか?
寝るってなんですか?
って聞かれて
詳しく説明できるだろうか?
難しいよね(笑)

それが私のデフォルト。
でも生きにくいから
閉じたり開けたり今はしている。

私がスピリチュアリストになったのは
メンターとなる人に
311以降急激に繋がったからだ。

それまでもなかった訳じゃない。

小さな頃あるおじいさんに
『お前はお釈迦様の遣いだからね』
そう会うたび会うたび言われていた。
それはやっちゃいけない
それはいっちゃいけない
お釈迦様がなんだかもよくわからないが
お菓子をくれる優しいじいさん
うん、うん、と聞いていた。

小さな頃日本は心霊ブームだった。
家族親戚に霊感強い人間が
普通にゴロゴロ居る
そんな環境だった。
霊感が強いいとこの兄ちゃんは
私を良く理解してくれて
可愛がってくれた。
私の不思議を嫌がらない。
ありがたい存在だった。

大きくなるにつれ
能力を持つことでの
マイナスな面ばかりがクローズアップされ
私は隠すを選択していた。

言えば一時
持て囃され重宝されるが
都合が悪くなれば
嘘つきだの、気持ち悪いだの
人間の勝手さに傷つけられた。
だから、隠すようになった。
何も解らないバカな振り
とても居心地が良かった。

見えないものが見えるとか
不思議な力がある人に出逢うと
『あなたは自分で解るのに
何故解らないふりするの?』
と言われたり
『自分で解るでしょ自分でやりなさい』とか
『真面目に修行しなさい』とか

確かに解る
でもそれが本当かなんか解らない。
確かに解るしやれる
でもそれが本当に
やって良いことかなんか解らない。
修行した方がいいのかな…
なんてしょっちゅう思うが
毎回修行はさせてもらえない(笑)

スピリチュアルが染み着いた東北ならではの
返しをされては
『めんどくさっ…』と
近寄らないようにしていた。

でも、当たり前に不思議は起こり続ける。

次男が産まれて
より能力が強くなったのを感じた。
閉じれない
蓋がぶっ壊れたみたいに。

東北を出てから余計に。

神様のエネルギーに
意識をぶっ飛ばされる
なんて事も増えてきた。

神社仏閣なんか
めんどくさくて行かなかったのに
神様に呼ばれて
行かなきゃなくなることも増えた。

なんなんだ一体…

そんな中
2011年3月11日がやって来た。

私はその日から
魂がすっぽぬけてしまった。
今も日常の記憶が断片的で
ハッキリ覚えているのは
毎晩夢の中で被災地に出向いては
亡くなった魂を宇宙に還し
供養して歩いていたこと。

そんなことを繰り返していて
現実世界でも色々重なり
人生が上手く行かなくなり

私は壊れた。

その症状が起きた瞬間
『あ、死ぬ』と思った。
それから
起き上がるのも食べるのも
薬が効いている時間だけ
いつ治るかも解らない
そんな暮らしが始まった。

自分を責めた。
他人を責めた。
それでもどうにもならなくて
死のうとした。

でも死ねなかった。
何度チャレンジしても
死ねなかった。

今考えたら
子供達もいるのにと思うが
もう限界だった。
自分の人生に。

死ぬことすらさせてもらえないのか…

そう思った矢先
『自分のために生きる』
そんなメッセージが頭に浮かび
私は私のために生きてなかったのか?と
また自問自答して
『自分のために生きる』を
やってみたくなった。

とにかく浮かんだことをやってみた。
どうせ死ぬなら死ぬ気でやれ
母の飛んでも理論が私を押して
自分を幸せにしてから死のう
そう思い始めた頃

ある不思議なことが起こった。

夜中寝ていると
体がグッと固くなる感じがあった。
おい、金縛りとかやめろよ…と
思っていた矢先
くらい部屋の中を
光の玉がグルグルと飛び回る。
はぁ…また厄介なものが来てる…
すると私の口があんぐりと開き
光の玉が口の中を目掛けて飛んできた。
『やめてー息が止まる~💦』
その瞬間、ゴクン…
玉を飲み込んでしまった(笑)
その瞬間思ったのだ
『あぁやっともとに戻った』と。
すっぽぬけてしまった魂が
ご帰還した瞬間だった。

そこからまたより一層
不思議なことが起こり始め
メンターとなる人達と出逢いはじめ
隠さずに生きて良いのだと知り

ある日サポートから
『お前が見ているものを絵にし
メッセージを書き入れなさい。』
そう言われて始めたのが
スピリチュアリストになるきっかけの
エネルギーピクチャーの始まりになった。

そこからは宇宙龍に導かれる
PlatinumDragonを開業

スピリチュアリストとして
成長するために
自分が今まで当たり前にやっていたことの
人間的な解説をもらいに
メンターと出逢い解説をもらってきた。
不思議な体験に
不思議と導かれ
いろんな場所に行った。

スピリチュアルを理解するためには
自分のプライベートでの体験が
何よりも重要で
体験しては理解してを繰り返してきた。

宇宙のメッセージへの解釈や
解析度を上げるには
知識ではなく
体験と体感しかないのだと知った。

長くなったがそれが私だ。

だから私は
③の途中覚醒者が苦手だった。(笑)

知識武装してくる彼等に
こっちが勝手にコンプレックス
だったのかもしれない。
私は宇宙に額面での知識は
邪魔になるから要らないと言われ
真面目に守っていたから余計に
知識のなさが自信のなさに
繋がっていた。
みんな知識や資格が大好きだからね。

そして③タイプの人は
欲しくて得たものだし
商売上手の見せ方上手。

③タイプの人に
『私はあなたの能力が欲しい‼️』
と言われた時は
怖くて震えたし
『何てあんたみたいなやつが
そんな能力を持たされるんだ
羨ましい、ムカつく』と
人生で初めて
エグいエネルギーアタック
(嫌あれは呪いだ)
を喰らったこともある。
控え目に言って死ぬと思った(笑)
知らないところで③の人に
占い?数秘?だかをされて
関わったことすらないのに
占い結果だけで
大ディスりを繰り広げられていたこともあった。

どれも
にこやかに近寄ってきた
私より有名な人達だ(笑)

だから余計に③の人達が
苦手になった。
正直、大嫌いだ(笑)

メンターになった人すら
足を引っ張ったり
潰そうとする人も居たりして(笑)

おっかねぇな…と
思ったことは数知れない。

スピリチュアルの世界も
人間臭いのだ。
臭すぎるのだ。
綺麗に見せる分
腐ってる部分がエグいのだ。

だからね
私からスピリチュアルを
学びたいと言ってくれる人
沢山いる。

過去に技術を教えようとしたが
変なことは教えたくないと
私の求めるレベルが高過ぎて
三ヶ月や半年やそこらで
教えようなんて無理で
プラス
自分の教える能力の低さに
私はプレイヤーで
コーチにはなれないと
諦めたことがある。

だけど
教えて欲しい
学びたいと言う声は
年々増えている。

そしてこれから
覚醒していく人は
益々増えていく。

私が教えれることは何だろうか…
スピリチュアルメッセンジャーとしてではなく
スピリチュアリストとして。

もういい加減
その良く解らないコンプレックスと
苦手意識は捨てろだな。

私の思うより良いスピリチュアリストを
コピーするんじゃない
その人らしいスピリチュアリストに
育成するんだ。

足を引っ張れない位置に行けばいい
潰れないだろ、潰されないだろ
今の私なら。

さぁ、船を動かすかな…。

PlatinumDragonの
スピリチュアルの学校
始めようと思います。

Coming soon…





私は嘘を見抜く。


だから嘘つきは怖くて怖くて

私の前に居られない。


ただそれだけ。

たったそれだけ。


嘘などつかなければ良いだけなのに。


悟ったと言う

嘘繋がったと言う嘘

わかると言う嘘。


嘘つくほどに苦しいのは自分だけなのだから。

忌み嫌われるのは誇らしい。



季節外れの雪。

スピリチュアルを生業にして
自分の本質で生きると決めた頃

『揺れないこと』が良いことで
穏やかであることが
スピリチュアリストである上で
宇宙と繋がり周波数が高く
より良いスピリチュアリストである条件で
感情的ではなく
全てに対して思慮深く許容した姿が
スピリチュアリストである。

みたいな呪いにかかっていた。

私は感情的な人間だ。
感情的が生きすぎている人間だ。
感情の陰陽がハッキリしている人間だ。

私はそんな私が大嫌いで
私はそんな私が苦手だった。

スピリチュアリストになったら
みんなが私に言った。
『スピリチュアリストなんだから
泣いちゃいけない』
『スピリチュアリストなんだから
怒っちゃいけない』
スピリチュアリストなんだから。

でも、私は泣き虫で怒りん坊。

心が揺れる。
揺らしたくないのに
揺れる。

あぁ、私はスピリチュアリスト失格だ。
だってどんなに向き合っても
泣き虫だし怒りん坊なんだもんな…

今思えば
私がそんな私を否定しているから
そんな私を変えたかったから
そう聞こえていただけなんだろうなと
思うのだけれどね。

『自愛』
それと向き合う流れの中で
様々な場所で出逢ってきた
神様や宇宙人が
私の考え方を変えていった。

『自然の中に全ての答えがある』

私は悩む度
自然の中に身を投じた。

『なぜ私は揺れてしまうのでしょうか…』

すると神様は高笑いして
『自然を見ろ。
揺れないものなどあるか?
一定で変わらないものなどあるか?
揺れていて自然なのだ。
ただし、軸がなければ
揺らされ過ぎて根本まで乱されてしまう。
軸がしっかりとしていれば
揺らされても乱されない。
軸とはなにか?
それは神や宇宙への信頼
自分への信頼
積み重ねて来た日々の暮らしへの信頼。
揺れまいとするから
揺らされるのだ
揺れて自然なのだと平気でおればよい。
揺れてこそ自然
揺れてこそ人間である
醍醐味なのだから。』

そう私に教えてくれた。

その日から私は
泣き虫で怒りん坊な自分を許した。
揺れる自分を許した。
自信のない自分も
不安や心配になる自分も
それで良いよと許した。

揺れまい揺らされまい
とするのを止めた。

恐かった。

誰かに
『スピリチュアリストのくせに』
と言われるんじゃないかと
でも私は神様の言葉を信じて
そのまんまの自分を許した。

揺れまい揺らされまいとしていた時は
揺れることばかり起きた
泣くまいと思う程
泣きたくなることが起き
怒るまいと思う程
怒りたくなることが起きた。

まるで
在ると認めろよ‼️
そう叫ぶように。

揺れても良いと許したら
揺れる自分を俯瞰できるようになった。
揺らされて揺れる自分を俯瞰すると
大事なことが見えてくる
揺らされれば揺らされる程
大事なことが見えてくる。

私の心は平気で穏やかになった。

悲しみに揺れても
怒りに揺れても
乱されることなく
飲み込まれることなく
在れるようになった。

でも、今もたまに
乱されたり
飲み込まれることもある。
その瞬間自分を見失う。
しかし、ハッと我に返り
客観視して
あぁ、疲れすぎていたなと反省する。

今地球は大きく揺れている。

イメージして欲しい
大きく揺れる船の中で
揺れまいとあれこれ必死にするのと
揺れるもんだと許容して
あれこれ工夫して揺れを楽しむのと
どちらが揺れに
乱され飲み込まれないだろうかと。

熱心なスピリチュアル信者程
清らかに見せたその内側が
腐っていたりする。
熱心なスピリチュアル信者程
許容しているようでいて
批判的で差別的で悲観的だったりする。
熱心なスピリチュアル信者程
選民思想に取り憑かれ
雲の糸を必死に掴む。

そのスピリチュアルは本当に
あなたを幸せにしていますか?

大概私の言うことを
信じてやる人は少ない。
皆揺れないことを求めるから。

でもハッキリ言う。

揺れることを許せば許すほど
そのまんまの自分を許したほど
『喜び事で変われる』のだと。 

ジャッジを手放せた方が
人生は楽になる。
それでもジャッジをしたい
自分も許したら
何故ジャッジをしなきゃ居られないのか
俯瞰して向き合える。

そうしたら
あなたをジャッジしてくる人も
ただの恐れる弱い人なのだと
揺らされても乱されずに俯瞰できる。

そしてこういえば良い
『あなたは何を恐れているの?』と
そして笑えば良い
『そんなん知ったこっちゃねぇ』と。

これから揺れは強くなる。
揺れまいとすればする程揺らされ
足元がおぼつかなくなる。

揺れを逆手にとり
踊れば良い。

踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら
おどらにゃ損損

どこまでいっても私達は
悟れない未熟で愚かな阿呆なのだから
悟ったふりも利口なふりもしなくて良い
ただ楽しく踊れば良いだけだ。


どうせいつか死ぬんだから

楽しむだけだ。