蒼太つづき | 蒼空日記

蒼空日記

しあわせダイアリー


蒼太の腸は約10センチ。
徐々に、体内の臓器の働きのバランスが保てなくなり、体に異常が出始めた。

肝臓に大きな負担がかかり、顔や体に黄疸が出始めた。
瞳の白い部分は、会う度に黄色く染まっていった。
便には、大量に血が混じるようになった。

そんな、明らかに症状が悪くなる中でも、蒼太は相変わらず元気に水を欲しがり、飲み干す気力を見せた。

そう、私が後ろ向きにならなければ、蒼太はちゃんと応えてきてくれた。
絶対に蒼太は負けない。
休む間もなく闘い続ける小さな蒼太に、私はまたもや生きる事をやめるな、頑張れとお願いをした。

どんなに痛々しい姿の蒼太を目の前にしても、諦めの気持ちなど少しも生まれなかった。

「蒼太と一緒に生きたい。」
それだけだった。

時々、蒼太に添い寝をした。
蒼太の寝息と温もりに包まれながら目を閉じると、ここが病院である事を忘れ、家の中に居るような感覚になれた。

隣で、すやすやと眠る蒼太。
いつしか私も眠りにつき、目を覚ますと、蒼太は私をじっと見つめていた。
私の腕の重みがのしかかろうと、泣きもせずに、いつも私を見守っていてくれていた。

面会時間が終わり帰宅しても、蒼太に会いたくなれば真夜中に病院に忍び込んだ。

独りきりの不安や寂しさから、人の気配に過剰なほど敏感になっていた蒼太は、
私が一切物音を立てずに近づいても、必ず目を覚まし、優しく微笑んでくれた。
そんな蒼太を見れば、居た堪れなさと愛しさがどうしようもなく込み上げた。
笑う蒼太を、逸る気持ちで抱き上げる。

蒼太を抱きしめながら感じる、
ふわふわでやわらかい髪の毛、あたたかい頬、耳、吐息。
伝わる鼓動。
蒼太は、こんなにも優しく、強く、生きている。
愛しくて、愛しすぎて、
何時間もその場を離れられなかった。


しかし、日に日に増える出血と体重の急激な減りには目を覆いたくなるほどだった。
蒼太の顔はひとまわり小さくなり、腕や足は、骨と皮のような状態になっていった。

先生に今後の治療を問うと、肝臓の働きを良くする飲み薬と、血を固める為の血小板の点滴、輸血との事だった。
先生の表情からもはっきりと受け取れたが、その治療は焼け石に水のような感覚だった。


「この子には、時間がないのでしょうか。」

私は先生に直球を投げた。

「もって、一か月でしょう・・。」


大きな目を輝かせて私を見つめる、
ミルクが欲しいと元気よく泣く、
腕の中で穏やかに夢を見る、
小さな細い指で私の頬に触れる、
日々成長し、生きたいと叫ぶ、
目の前に確かにいる、私の可愛い赤ちゃんは、もうすぐ死んでしまうと宣告された。


どんなに願っても、蒼太の体が限界に達しようとしている事は、受け止めなければならなかった。
蒼太を毎日見ていれば、その急激な変化に目を背ける事などできなくなっていた。

頑張りすぎた蒼太は、徐々に笑顔を見せなくなっていた。


「残りの時間は、一日でも多くご家族でお家で過ごしてください。」


先生からの言葉は本当に突然で、頭では解っていても、とてもすぐには答えが出せなかった。

まだここで、病院で、命を救うための治療をしてほしい。
蒼太の命を諦めないでほしい。
この子と一緒にいたい。
一日でも、一時間でも、一分でも長く生きてもらいたい。

答えを出せないまま、私は叫び続けた。
どこにぶつけていいかわからない怒りと悲しみを、心の中で叫び続けた。


何かが弾け飛んだ。
固くなっていた気持ちが解き放たれた気がした。
諦めとは違う、いつしかもっと優しい感情が芽生え、私の背中を押した。


七ヶ月もの間、真っ暗で冷たい夜を、目を腫らしながらたった一人で乗り越えてきた蒼太に、やわらかく温かな時間を過ごさせてあげたい。
これからの毎日を、これ以上ないほどの家族の温もりで包んであげたい。

心の葛藤が決意に変わるまでは、あまり時間はかからなかった。


数日間は病院で、家で行う為の点滴の交換の仕方や諸々の注意点を教わり、
外泊という形で蒼太を連れて帰る日を迎えた。

産婦人科から退院する日の為に用意した白いドレスを、やっと、蒼太に着せてあげる事ができた。

可愛い。可愛い。なんて可愛いんだろう。
本当によく似合っていた。
夢が叶った瞬間だった。


病院の外に出ると、蒼太はずっと空を見ていた。
真夏の真っ青な空と会話でもしているかの様だった。

キラキラと光が反射し、輝く海を一緒に眺めながら、家へ向かう。
車の振動ですぐに眠りつく蒼太。
こんなあたりまえが、嬉しい。
蒼太から伝わる体温が、嬉しい。


蒼太と初めて家の中で過ごす夜は、絶え間ない笑い声に包まれていた。
一緒に歌を歌ったり、蒼太の好きなアンパンマンのDVDを観たり、
花火をして過ごした。
蒼太は常に目をきょろきょろさせて、初めて見るたくさんのものに興味を示していた。
その顔が、なんとも可愛いかった。
私の鼻を何度も何度もつまむ仕草は、嬉しさを伝えてくれている様にも見えた。

家中が、蒼太のいる喜びで溢れていた。
あたりまえのようで、奇跡みたいな日。
不思議と初めての感じがしないのは、蒼太の心がいつもそばにいてくれていたからだろう。

買ったままになっていたベビーベッド。
この日、蒼太は初めて自分のベッドで眠る事ができた。

昨日まで蒼太は、時間がくれば病室から出ていく私の背中を見て泣いていた。

振り返れば絶対に離れられないと解っている私は、
拳を握り締めて、蒼太の泣き声を背に立ち去る毎日だった。

今日からは、そんな悲しい涙は流させやしない。
お母さんは、いつだって蒼太と手を繋いでる。
暗くて長い長い夜も、もう独りじゃない。

これから一緒に、もっともっと色んな事をしよう。
色んなものを見よう。
片時も離れずに、生きていこう。

蒼太のいる幸せに包まれながら、蒼太の手を握りしめながら、眠った。


翌朝、退院の準備の為に病院へ戻った。
午前中の処置が終わるまでの間、蒼太から離れた。
前日よく眠れなかったこともあり、私はうたた寝をした。

夢をみた。

蒼太は、とても大きな女性に抱かれ、眠っていた。
それを取り囲むのは、見た事もないような美しい花々。
全てやわらかなピンク色をしていた。
蒼太の体からは点滴は外れ、穏やかな表情でミルクを飲んでいた。
苦しみとは無縁の、とても幸せそうな蒼太がいた。


私は、感じた事のない胸騒ぎと共に目覚め、病室へ向かった。

蒼太には酸素マスクが付けられていた。


看護師さんが言う。

「お母さん、今日はそうちゃんから離れない方がいいかもしれない。」

私は全身の力が抜け、その場に崩れた。

さっき見たあの夢は、今蒼太が見ている夢ではないかという思いがよぎった。


思い返せば、病院での延命治療を強く望んでいた私が、
蒼太を家へ連れて帰ろうと心が動いたあの瞬間は、
蒼太の強い願いが、私に伝わった瞬間だったのではないだろうか。
蒼太は、自分の体の限界を感じ取り、最後の力で、家での思い出を残してくれたのではないだろうか。

呼吸もままならずに、みるみる青ざめていく蒼太を抱きながら、
「ありがとう、ありがとう」と、繰り返した。

蒼太は、口と鼻から泡を吹いた。
視点の定まらない目からは、黄色く染まった涙が流れた。
それでもただひたすら息をしようともがく我が子に、
頑張れなどという言葉などかけられるはずがなかった。
もう、本当に、十分過ぎるほど、頑張ってきたのだから。

私は、蒼太が燃やし続ける「命」を目に焼き付けた。
目を逸らさず、蒼太の最期であろう生き様を私の中に焼きつけた。


虚ろな瞳で、
もうろうとする意識の中で、
蒼太は一体何を見たんだろう。

幸せだと感じた瞬間を、思い起こしてくれただろうか。
家族で、家で過ごした昨日を、思い起こしてくれただろうか。

こんな体で産んでしまった母親を、許してくれただろうか。
苦しみや悲しみばかりの自分の人生を、愛する事などできたのだろうか。


蒼太が腕の中で最後の息をする瞬間、
蒼太を強く抱きしめ、伝えた。

蒼太と出逢い、蒼太と共に生きられた事がどれだけ幸せだったかという事を。
蒼太のお母さんになれた事が、どれだけ幸せだったかという事を。


あの日、あの暗闇の中から必死に這い出て、
その目でお母さんを見つめてくれた。
その指で、お母さんの頬を撫でてくれた。
その口で、うたってくれた。
その心で、包んでくれた。

その小さな体で、おしえてくれた。


「そうちゃん。うまれてきてくれて、ありがとう。」



蒼太を最後のお風呂に入れた。

いつものようにタオルにのせ、
いつものように体を拭き、
いつものようにオムツを替え、
いつものように鼻をくっつけて笑った。
いつもの、そして最後の愛しい残り香に、しばらくの間包まれていた。

小さな体に刺さっていた針は全て取られ、
蒼太はやっと、痛みや苦しみから解放された。


外が、明るくなり始めていた。

蒼太を抱き、帰宅する途中に見た眩しすぎる朝日は、蒼太の命の輝きそのものだった。

蒼太を高く高く持ち上げて、どこまでも蒼い大空を仰いだ。


蒼太と過ごす最後の夜。
長女は、動かない蒼太に、一生懸命絵本を読んであげた。
どこにでもいる姉弟のように、思いを、分かち合っている様に見えた。
長女は蒼太を、弟を、抱きかかえるように眠りについた。


蒼太をかえす日。
この日はとても暑く、
雲ひとつない空が広がっていた。


蒼太を乗せた白い煙が空に届くまで、
私はただ、いつまでも空を見上げていた。

あの日見た朝日を、
この空の蒼を、
七か月を闘い抜いた蒼太の命の輝きを、忘れない。

また逢おう、蒼太。

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うだる暑さの季節になれば、最後に息子と見た青空を、風の匂いを、より鮮明に思い出します。


わかったことは、いくら月日が流れても、
気が狂うほどのかなしみは変わらないという事。
息子の無念を想像すらできずに、それでも生きている薄情者はわたしなのです。

昨日レジにいたいつものおばちゃんと同じように、
さっきすれ違った見ず知らずの人と同じように、
わたしも、おっきな荷物をわっせこらせと抱えながら、毎日を過ごしておるわけです。


とても贅沢です。
とてもかなしくて、
とても幸せです。


発狂して泣きわめいて、
ああ、生きてるなあ。
なんて幸せなんだろう、と思います。



一日の終わりに、娘の目を見て伝えます。
「生きていてくれて、ありがとう。今日も幸せをありがとう。」


偶然この場所に来てくださったあなたに、同じ気持ちでこの言葉を贈ります。

生きていてくれて、ありがとう。



息子を綴るたびに、
息子がうまれる気がします。

どうか留まり、あなたを優しく包み込む瞬間がおとずれますように。