愛犬がいなくなって2年 | 夢の続き・・・

夢の続き・・・

法政ラグビー、映画、旅行、史跡めぐり、食べ歩き、犬、自然、世の中の出来事などを気の向くままつぶやこうかな。

ネットの不具合やら法政のラグビーやらその他諸々のバタバタ状態で

ついつい今日になってしまったが・・・

2013年10月3日 愛犬 ゆうが天国に旅立ってちょうど2年が過ぎた。


(ゆう坊 5歳の頃 川を渡る)



17年と言う時間を共に過ごした訳だから、居て当たり前だった。

突き刺す心の痛みは消えたものの寂しいという心の穴のようなものは

2年経ってもまだ埋まっていない。

当たり前だった時間が永遠になくなってしまうと、あれは夢だったのかと

不思議な感情も沸く。

未だにそこにいそうな感覚も残っている。


庭の犬小屋を見れば、今にも散歩に連れて行ってくれるのか期待して、ゆう坊が小屋から首を出し

てきそうな気がする。


(ゆう坊 17歳)



(最後の花見)





そう・・・小屋、水を飲む容器、おもちゃ、首輪、散歩用の紐、毛布・・・等々

未だにゆう坊が使っていたかけらを処分出来ずにいる。



でも、ゆう坊には癒しをいっぱいもらった。

寂しいという感情だけでなく、感謝もいっぱいだ。



だからもうしばらく複雑な想いと付き合っていこうと思う。


小生は犬が大好きだから、ゆう坊を忘れるという意味ではなく、それは別物として、

また飼いたいとも思っている。


だけどその反面、愛情をもつほど、自分より早く時間が流れている犬をまた失うことへの

怖さもあって、なかなか踏み込めない自分もいる。


まあ、きっかけだな。


また犬を飼うことになったら決めていることがある。


小生が犬を飼うとき、その犬との出会いはペット屋に非ず。

保健所とか里親を探している処分前の子犬にするつもりだ。


どうせ飼うなら救える命にしたいと思っている。


ゆう坊がいなくなってはっきり言えることは・・・・

ペットを飼われている方には、愛するペットとの時間を大切にして欲しいということですな。


ペットの周りの時間はとても速いので、蝋燭のように、あっという間に消えてしまいます。


だから癒しをもらうだけでなく、同じ分の喜びをペットにも与えてあげて欲しいと思う。


小生もまた飼い始めたらその事を肝に銘じて過ごしたい。


ゆう坊 ありがとう。

そして安らかに。