函館の景色 | 夢の続き・・・

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法政ラグビー、映画、旅行、史跡めぐり、食べ歩き、犬、自然、世の中の出来事などを気の向くままつぶやこうかな。

函館の街はこれまで載せてきたとおり、食べ物がとてもおいしくて、


歴史もあり、そしてもう一つすごく景色が美しい。

1859年開港したとあって、いち早く西洋文化が入り、教会やお寺を

はじめとした様々な和洋の建造物が入り混じる面白い街だ。

まして海のない県出身の小生にとっては、

この港町の風景がとても新鮮で、そして美しくてとても気に入った。



明治時代に大分県の出身の実業家が函館にわたり開業した金森洋物店が起源という、赤レンガ倉庫。



実に美しく、多くの観光客で賑わって買い物が楽しんでいる。



ちょっと歩けば、同志社大学を開設した新島襄の象が。

(新島襄 密航の象)





若き日にアメリカに密航したのがここ函館だったんですな・・・。

命を懸けた密航。そしてその後の教育活動。

いやはや凄いパワーですな。


またすぐそばには、

赤い靴の少女 きみちゃんの像が・・。

(赤い靴の少女)





恥ずかしながら赤い靴の少女の話は無知で、

てっきり横浜だと思ってたけど、函館にもゆかりがあるんですな。

この少女の母は未婚の母で、函館に渡って、そこで男性と結婚。

北海道の開拓に携わっていたんですな・・・。

でも母は病弱で・・・。

そこで母は、きみちゃんをアメリカ人宣教師に預け養育を

お願いしたそうな。

そしてここ函館が、きみちゃんと母親の今生の別れになった地とか・・・。

きみちゃんはてっきりアメリカに行ったと思ってだけど、

結核を患い、異人さんと渡米できず、わずか9歳で東京麻布の孤児院で

母にも会えず死亡。なんと悲しき少女だったんだろう。

歌は知ってたけど、ほとんど中身は知らなかった。

(いろいろ説はあるようだが)

この像を見て、その場で調べて、見事にブルーになってしまった。

函館旅行の中で唯一ブルーになった時間帯だ。


多くの観光客に同情されてか、翌日には少女にマフラーが巻かれて

いた。

優しい人は日本にはたくさんいますな。



更には石川啄木。

26歳と短命ながら函館にも放浪し、新聞記者などして一時いたらしい・・・。



生前もそうだったようだが、海を観ながら今も句を考えているのだろうか?


(石川啄木像から)




↑函館山の南端に突き出たところが立待岬。

ここからの景色も素晴らしい。



↓(立待岬 うっすらと下北半島が見える)





津軽海峡をはさんで下北・津軽半島を遠くに確認することが出来る。

地図を感じることが出来る場所。

夜の津軽海峡はイカつりの漁火を確認できて、

海のない県の人間にはとても新鮮で感激。



最後に函館山。

日本三大夜景の一つ。ロープウェイで登るとそれはそれは

素晴らしい夜景が楽しめる




函館の美しいくびれた地形が一望できる。素晴らしい。

月夜に浮かぶ海面の波も美しさを引き立てる。


バブリーな中国人がいっぱいいて、豪快に土産を買い、

そしてこの美しい夜景に興奮していた。


11月上旬の見学だったが夜は寒い。

小生は知人から聞いていたので、防寒具装備で完璧。

よく見ることが出来た。


なければめちゃくちゃ寒い。

この夜景をしっかり拝む為にも季節によっては対策が必要だ。

ずっと見ていても飽きない美しさ。



海外も行きたいところいっぱいあるけれど、

日本の中ですら行けてない素晴らしいところ、

まだまだいっぱいある。


体、お金、時間があればいくらでも行きたいところある。


また次の機会まで頑張ろう。



さてさていつになるか分からんが、

次は・・・西郷どん、黒豚の薩摩か、龍馬、鰹の土佐か?

はたまた・・・とにかく次は西を攻めようか?