夢の城 五稜郭 | 夢の続き・・・

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函館の名所 五稜郭に行ってきた。






榎本武揚たちが描いた夢の拠点がこの城だ。

今年で五稜郭は150周年を迎えたという。


1868年 大政奉還で幕府がなくなり、鳥羽伏見で幕府軍を撃破した

官軍は、江戸に攻め上がる。

勝海舟の無血開城で官軍は江戸を抑えると、会津をはじめなお、

幕府側勢力の討伐に掛かった。



幕府の海軍副総裁だった榎本武揚は、幕府側艦隊8隻とともに江戸を

脱出。

途中仙台で幕府側の残党を収容し、幕臣たちが安心して暮らせる地

として蝦夷地を目指した。



そしてそこで、榎本は旧幕臣の保護と蝦夷地を開拓して自給自足の

農業立国と、あわせて北辺の防備を目的とした俗に言う蝦夷共和国を

樹立した。



もっとも蝦夷共和国というのは後世の呼び名で、榎本自身明治帝に

弓を引き、独立を宣言したものではない。

武士の居住区みたいなものだろうか?

いずれにせよオランダ帰りの榎本が、追い詰められた幕臣たちを

活かしながら、近代日本に見た壮大な夢の地が函館だったんですな。


その象徴的な拠点が、五稜郭だ。

1866年に完成したオランダ式の城。星形の大きな堀。



ただ、この形。莫大な予算がかかるため、当初の構想とはだいぶ

違ったようだ。

もっと星形というより太陽の形のようにギザギザだったようだ。

当初の構想図。はっきり言って格好悪く、きれいではない。

まあ、軍事目的で作ったのだから当然だけど、

こうして函館の名所として後世の為になっているのだから、

結果的にこの美しい星形で良かったと思う。





開国後、日本の国防強化のために作られたようだが、

ヨーロッパとしてはもう時代遅れの築城方式だったとか。

確かに大阪城のような難攻不落のような感じはしない。

蝦夷地に上陸した榎本軍は、五稜郭を占拠し、夢の実現を目指す。

榎本のような夢を求めて、あるいは意地として、

はたまた死地を求めて。

様々な思いを持った幕臣たちがここに集まったと思う。



しかし新政府はそれを許すはずもなく、ここ函館を舞台に戊辰戦争

最後の戦い 函館戦争(1968年~1969年)が勃発する。



幕府時代に招かれたフランス軍人ブリュネ含め5人のフランス人も

榎本とともに戦った。

まさに様々な人が生き方を賭けた戦いであったように思う。


圧倒的な戦力の違いにより、榎本軍は1969年降伏する。



その熱い想いをかけて戦った激戦地も、150年の月日が流れ今は

美しい星形の城として観光客に親しまれている。

公園として整備され、周囲を歩くと2km近くあり、

歩いてみたがいい運動になる。

中に入ると、中央に大きな建物がある。ここで政務が行われた。






残された写真や資料などで忠実に再現された建物。

雰囲気が出ている。

この建物は砲撃されないよう、堀や壁などで建物が

見えないような位置に建てられていて、確かに外からは見えない。

中にも入れて、当時の様子が出来る限り忠実に復元されている。



この五稜郭。

要塞能力という面では怪しいが、近くの五稜郭タワーに登ってみると

実に美しい星形を見ることが出来る。

榎本をはじめとした、多くの幕臣たちが命を懸けた夢の☆だ。