東京駅で限定版スイカの購入で色々とあったみたいですね。
『東京駅記念スイカに客殺到、大混乱で販売中止 飛び交う怒声、囲まれる駅員』
なんなんでしょうね(ヽ´д`)ハァ-
まぁ、欲しい方には堪らない商品なのでしょう。
しかしながら記事を拝見したうえでの私見でありますが、運営の色々な甘さもあるとはいえ、ルール違反(前日からの行列等々)の横行や、購入できないことに対する怒号などは、なんとも「欲望丸出し」といいますか、居心地の悪さを感じたのです。
これに対して思い出したのが、某国営放送のドキュメンタリー番組です。
『地球イチバン「世界一服にお金をかける男たち」』
見られた方もおられるかもしれません。
“あのポール・スミスも刺激を受け、コレクションに反映させたというコンゴの紳士たち。土煙舞う道端を、色鮮やかなスーツに身を包みかっ歩する。彼らはサプールと呼ばれ、ひとたび現れると、人々が家々から飛び出し、喝采を送る街のヒーローだ。しかし、その正体は平均所得月2万5千円の一般の人たち。給料の半分以上を衣服につぎ込む、その情熱の正体とは!?漫才師のダイノジ・大地さんが、「着飾る」意味を探る。語り:役所広司【公式サイトより引用】”といった番組でした。
人によって受け取ることは様々ですが、僕は登場するサプールの人たちが『サプールだから◯◯なんだ」的な雰囲気のトークをすることが実に印象的でありました。
「サプールだからエレガンスな振る舞いを大事にする」
「サプールは平和を愛し、人と争わない」
と、いった感じでしたでしょうか。
むかしから「◯◯だから」といった言い回しはよく聴くことであります。
「男の子だから」「女の子だから」「大人だから」「子どもだから」
僕はこういった抑圧的な決め付けは「らしさ」や「個性」を潰してしまうようであまり好きでは有りませんでした。
ただ、こういう「決め付け」を忌避するあまりに、何かを忘れているのではないかと感じたことであります。
「武士は食わねど高楊枝」という諺があります。「気位を高く持って生きるべきだ」とするいい意味にも、「ただの見栄っ張り」とする悪い意味にもとれますが、そこからは「武士だから貧しくて空腹でも胸を張るプライド」を感じることであります。
今の僕達の生活において、
「僕は◯◯だから、こういった事で怒鳴ったりはしないよ」
「◯◯の僕は上品に振る舞うべきだ」
ということはあるのでしょうか。
◯◯に入るのは、「紳士」であったり、「淑女」であったり、「日本男児」であったり、「大和撫子」であったり……。
昔なら「武士」であったり、「江戸っ子」であったりなどがあったかもしれません。
そこに入るのは色々な立場や職業などがあるでしょう。
もし、今回の東京駅の混乱において、
「鉄道ファンとして、東京駅の記念に混乱を招くのは良くない」という雰囲気などがあったら素敵だったのにと思うことです。もちろん、ほとんどの鉄道ファンの方は冷静に対応された事かと存じますが……。
また鉄道ファン以外にも、転売などを目論んでいた方もおられたそうです。そういう目的自体も如何なものかと存じますが、それでも「大人」として、その行動に品位を保っていたければと思うことであります。
結局に何が言いたいかと言いますと、
今の子どもたちへ、そういった「矜持」を示していくきたいと、恥ずかしい日々を送るオッサンの僕は反省することであります。なんまんだぶ。