やっと記事が書ける状況になりました。 | 坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

No Bnuddhism , No Lifeをテーマにして面白いことを画策してます。

最後に書いたのは18日。
その日から今日まで、激動の日々が続きました。
まさか、前の記事を書いている時に、そんな状況になるとは夢に思っていなかったSShです。

18日は宿直。
先輩と後輩が宿直室に来て、深夜まで色々と話していました。
そして、寝不足のまま翌日は休日の出勤。
休日出勤の時は朝の10時まで、宿直明けという休憩がとれます。
家に帰って、ふと携帯を見ると実家からの着信履歴が早朝に入っています。

何事かと、電話をすると母方の祖母が逝去したとの事。
高齢でしたし、ある程度は予想していたのですが、さすがに驚きました。
しかも、密葬で行うので、その日に通夜、翌日葬儀というハードな日程!!
僕の家族はお寺の行事の準備のため山梨に帰っていたのですが、あわてて東京に戻ってくることに。
僕もとりあえず本堂に出勤し、事情を説明して、忌引をもらいました。
嫁さんたちが山梨から戻ってくるまで、本堂に詰め、戻ってきた時点で車に飛び乗り、一路大阪へ。
電車での帰省も考えたのですが、大量の荷物、4歳の双子を連れての新幹線は精神的に無理です。

休憩もそこそこに東名高速をひた走り、大阪へ。
到着後すぐ通夜。
しめやかに行われ、亡き祖母の想い出にひたりました。
翌日は葬儀、暴れまわる4歳の双子(男女)と僕の弟の子供(5歳男児と2歳女児)を抑え付けつつ、何とか無事終了。みんなでお斎をしながらも、ふと思ったのが、これで僕には祖父や祖母といった世代がこれで居なくなったということ。今年の3月に父方の祖母が逝去し、今回は母方の祖母。
祖父は僕が生まれる前に亡くなっていたので。

父が、お斎の席で「これで暫くは葬儀はないだろう」と言ってました。この言葉があとで重要な意味を持つとは、まったく思わないSShでした。

22日まで忌引をもらっていたので、21日は両親が孫とふれあう時間を提供。日頃、離れて暮らしているので、かなりカワイイみたい。それを知ってか、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの手を引っ張って玩具コーナーへ向かう双子。うーん、末恐ろしい。

なんやかんやでわいわいすごし、夜は弟家族と合流して、焼き肉大会。
おい、葬儀の翌日だってば。

がっつり飲んで、食べて、話してと楽しい時間になりました。
お祖母ちゃんが「死んだら葬式なんかに金を掛けずに、みんなで楽しくすごす事に使って」といった言葉が身に染みます。
坊さんの僕からすれば少し微妙な発言です(笑

そして、翌日早朝には大阪を出発!!
次は山梨へ。
昼には到着して、ゆっくりすごしました。
お寺の法要の準備のため家族を残して、僕だけ夜に東京へ帰りました。

翌日の23日は僕の所属する部署の歓送迎会!!
3日休んで、いきなり飲み会も大概だなと思いつつ、テンションは高目でした。
そして2次会へ。
そこに、実家から電話。
「なんだろう?」と思いつつ、も父親と話すと、
なんと僕の従弟が急死したとのこと。
えー、まだ28歳じゃん。
いわゆる突然死とのことらしい。
今、従弟が住んでいるのが東京で、大阪から従弟の両親(僕の叔父さん、叔母さんね。家の父親の弟夫婦)がとりあえず駆け付けてくるらしい。
自分の部屋で亡くなっていて、出勤して来ないの不審に思った同僚が部屋を訪ねたら亡くなっていたらしい。
ですので、とりあえず遺体は近所の警察署へ。病院以外での死亡をとりあえず警察署にいって死因の検案を受けるらしい。

最終に近い飛行機で叔父たちが東京に到着。従弟の弟も着いてきていた。
僕はガンガンに飲んでいたので、とりあえず羽田から築地まで来てもらい、僕の車を従弟に運転してもらい警察署へ。
時間は既に深夜1時!!
警察署で遺体に面会。
きれいな顔をしていました。

当然、叔父たちは放心状態。
翌日の検案の時間や、寝台車の手配等々は僕がやることになりました。
叔父さんたちは僕の家に泊まってもらうことし、知りあいの葬儀社に電話して手配をし、警察ともろもろを打ちあわせて帰宅したのが朝4時!!
叔父さんたちと色々話をして、寝たのが朝6時!!
そして、8時には起きて、取り合えず出勤しました。
ぼろぼろの僕の状態を見て、みんなは「二日酔い」だと勘違いしていました。
その日(24日)は仕事の打ち合わせ等々があったので、出勤するつもりでしたが、叔父さんたちが放心状態でしたので、急遽お休みをとって、付き添うことに。
故人の会社関係の方や、警察、葬儀社と色々話しをして、故人の部屋を片付けました。
特に死因に不審な点がなっかたので、警察署から寝台車で遺体安置所へ移送。
故人の友人、同僚等が東京に多いこともあって、葬儀は大阪ではなく東京ですることに。
会場の都合上、29日、30日で葬儀をすることになりました。

故人はガチガチに改造したインテグラタイプRに乗っており、故人宅からとりあえずの移動は僕が運転しました。
ちょー乗りにくいって。
オートマチックのファミリーカーに日頃乗っている僕からすればマニュアル車、しかもガチガチ改造は、かなりつらい状態でした。

夜になって遺体安置ののち、叔父さんたちは葬儀まで間があるので、とりあえず大阪に帰るとのこと。
まぁ、確かに着の身着のまま飛び出してきたみたいなので、一度落ちつくことが大事かと思いました。
けど、なんと、故人の車に乗って帰るとのこと!!
叔父さん曰く「この車に乗ってやりたいんやぁ」との事。
気持ちは分かりますよ、気持は。
けど東京~大阪約550㎞。
ガチガチのスポーツカーに大人3人ははかなりしんどいですよ。
といった、僕の説得よりも故人への想いが勝り、そのまま大阪へ帰宅。

僕は事務所に顔出して、事務仕事。
いやぁつらい。家に帰ったのち、すぐぶっ倒れました。
翌日土曜日(25日)は築地本願寺の総代さんの葬儀に出勤するようになっていたので、気合で出勤。
終了ののち、事務仕事をこなして、山梨へ。夜は義兄とちょっといっぱいのつもりがハードな飲みに成ってしまいました。
翌日日曜日(26日)は朝から、近隣のお寺さんの報恩講に出勤。
そして夜も違うお寺の報恩講に出勤。
翌日月曜日(27日)は昼間は近隣のお寺の報恩講に出勤。
夜は自分のお寺の報恩講の御逮夜に出勤。
御伝鈔を読みましたのです。
うちのお寺伝統のお汁粉が実に美味でした。
翌日(28日)も自分のお寺の報恩講。
雅楽を演奏しました。
うちのお寺の報恩講のお斎は未だに全部手作り。
仕出しはお願いしていません。
厚揚げの煮物、ひじき、白菜の漬け物、けんちん汁、と炊き立てごはん。
伝統の味です。
朝から門徒さんが大鍋で作ってくださった味。
これがかなり美味しいのです。
一度、食べに来てみてください。

そしてその日のうちに家族ともども深夜に東京へ帰宅。
翌日(29日)は午前中、事務仕事をして、午後はお休みして従弟の通夜のため移動。
初めてあう従弟の彼女の姿がせつなかったです。
30日は葬儀。若い従弟の葬儀には当然若い友人達が多数弔問に来て下さり、賑やかに勤めることができました。
そのお斎の席で、同年代の女性から声を掛けられました。
「おひさしぶりです、覚えています?」
うん?まったくワカリマセン。

その人は叔母さんの実家方の親戚で、故人の従弟にあたる人。
そして、叔父さん、叔母さんの結婚式で、花束贈呈を僕と一緒にした人とのこと。
って、わかるわけありません。
だって30年前ぐらいの話で、僕がまだ4歳ぐらいのこと。
けど、話しているうちに思いだしてきました。
うーん、なんか凄く恥ずかしかった記憶が。
二人そろって写真をパチり。
お互いオッサン、オバサンになりました(笑

大阪から来た僕の両親や弟、そして故人の家族もその日のうちに大阪へ向けて出発。

31日は久しぶりに出勤。うーん、日常に戻った。
11月1日は、分院さん(和田堀廟所)の報恩講に、楽人として出勤。
倉庫にある焼酎(一升びん)を強奪してきました。
11月2日は結婚式の楽人として出勤。夜は嫁さんの誕生日なので外でお食事。
家でケーキを食べました。
11月3日は、所用で東京町田市へ朝一番で出かけ、帰ってきたの昼過ぎ。
そくぶっ倒れました。
夜ごはんは嫁さんが初めて挑む「天ぷら」。
というのも僕が油モノが嫌いで、結婚して依頼、家で天ぷらやフライものなどする事がなかったのです。
しかし、双子のうちの男児4歳が「海老の天ぷらが食べたい」とのこと。
僕も揚げたてなら食べれるので、嫁さんの初めての体験となったわけです。
揚げたての天ぷらは美味しいものです。
御馳走様。

そして、本日4日!!
運転免許証が11月7日に失効することに気づき、明日更新に行ってきます。
そういえば、10月後半に行こうと思っていたのですが、激動すぎて、すっかり忘れていました。

失効はまずい、失効は。
ですので、明日は運転免許試験場に行って来ます。
合掌