体罰 | 闘狼荘日記

闘狼荘日記

乾坤を其侭庭に見る時は 我は天地の外にこそ住め

柔道代表チーム監督の体罰報道が話題になってますね。

暴力?暴言??体罰??
さすがマスゴミ
煽るね~煽りまくり。

流行を煽る。
世相を煽る。
衆愚を煽る。
偏向利権擁護を煽る。
戦時中は戦争を煽る。
煽る煽る。

人間の屑のやる事です。
屑共にとっては視聴率さえ上がれば、ネタなんて何でも良いんですね。
其処には倫理も正義も道徳もヘッタクレも有りはしない。
大体ね、芸能レポーターなどと云う下世話な職業?が罷り通ったり、ハモリも糞も無い集団ダンス・口パク・パフォーマーがアイドルに成りバカ売れする様な世界です。どうでも良い芸能人の惚れた腫れた売れた儲けたなど知ったこっちゃない。
ただ単純に有り体に時事報道すれば良いものを、必ずキャスターやコメンテイターの私的感情論を報道に挟み込む。
こんなゴミ放送、マトモな神経の持ち主なら正視に耐えない。

柔道代表チームの話しに戻ります。
指導を受ける側が暴力や体罰と感じるんなら、そりゃ体罰なんでしょう。

だけどね~・・・本当にそれだけなんですかね?
柔道って元々武道じゃなかったですかね?
いや、もとい、武術だったんですよね?
いつから仲良しスポーツになったんですかね??
あっそうか、オリンピック競技だったんですよね。
メダル取って地位も名声も手に入れて、イイ年こいたら引退ですか・・・

そう言えば、居合の後輩が昨年末からプッツリと稽古に来なくなりました。
居合の師匠には、仕事が忙しいとか体調が悪いとか色々言ってたらしいですけど・・・
別の後輩から聞いた話ですが、何でも其の子はハナから初段を取得したら止める積もりだったらしいんです。
私は其れを聞いて、開いた口が塞がりませんでした。どう考えても其の後輩の価値観と云うものが理解不能です。
其の子にとっては、初段位がオリンピックのメダルだったんでしょうね~┐(´ー`)┌。
まあ、其れも其の者の人生の価値観ですし、他人の為にやるものでも無いです。自分自身と向き合って行くのが武道ですから、師匠も私も来る者拒まず、去る者追わずです。居合の師匠も勿論居合で飯を食っている訳じゃ有りません、全てボランティアの様なもんです。徴収する会費も体育館の賃料と電気代のみですから、まさしくボランティアです。

また話しが少し逸れますが・・・
私は、極真空手の経験者です。
現在は空手の稽古自体は止めていますが、現役の頃は以下の動画のような稽古は当たり前の事でした。



かなり痛そうに見えますが、物凄くセーブしているのが良く解ります。
そんな程度の稽古でも、大抵は翌日にはトイレにもマトモに行けない様になります。でも少しづつ身体が慣れていって、そんなに痛く苦しく無い様になるんですよね・・・不思議なもんです。
江戸時代の囚人が取り調べで殴る蹴るの尋問を受けて牢に帰された際に、同じ牢内の同僚から介抱されて回復し、また尋問を繰り返される内に段々と強靭になり少々の拷問にも耐えられる様になったと云う逸話を目にしますが、これは私の経験から考えれば、満更作り話では無かったかも知れないと思います。人間の精神も肉体も試練を受ければ其れなりに強靭になるのは間違いない事なんです。

私は、そんなに身長(173cm)も高くはなくて、骨太でもなくて頑丈な体格でもありませんでしたので、いざ試合ともなると、そりゃもう怖くて仕方なかったですよ。
だって、顔面と金的攻撃こそルールで禁止されてますけど、それ以外は何でも有りの防具なしのボッコボコのドツキ合いですもん、いくら稽古を積んでも体を鍛えても怖かったです。
そんな恐怖に震える自分の背中を一押ししてくれたのは、先輩や指導員の口汚いゲキとビンタや竹刀による気合注入でした。しかし、其れが暴言や暴力だとは一度も思いませんでしたね。

人間には自己の精神力や稽古の積み重ねだけでは越えられないハードルと言うか、限界は必ず存在します。しかし、その限界を越える潜在能力は持っているにも関わらず自身では乗り越えられない事も有るのです。
例えば、ベンチプレスでどうしても挙げられない重量のバーベルで悪戦苦闘している最中、ケツに安全ピンの針を刺された瞬間にバーベルが持ち上がったと言う経験も有ります。
手段はどうであれ、「後押しする」、「ケツを蹴り上げる」、これは私自身にとっては必要でありとても有難い事でした。





確かに、現役時代は怪我や故障の連続でした。今でも後遺症や故障を抱えています。
でもそれは、決して「脳筋バカヤロ様」のアナクロで前時代的な事をやっていた事が原因ではありません。科学的にもスポーツ医学的にも考慮しながら修行を積んでいましたが、悲しいかな持って生まれた素質や身体能力が貧弱過ぎましたので怪我や故障が多く、素質も体格も恵まれている相手に挑むには精神的な「気合注入」も相当に必要だったのです。

試合とは、本来は「死合」だったと思います。
柔道の試合も、元来はそう云う気持ちで臨まなければならなかったのでは無いでしょうか?
ポイントを稼ぎメダルを取って、地位も名声も手に入れて、イイ年になったら引退する・・・・
そんな将来像しか描けない人間には、気合もゲキも只の暴力であり体罰なのかも知れませんね。いや、飽くまでも私の主観的推測ですけどね。ゴミの様なキャスターやコメンテイターの私的感情論の様でスミマセンね。

願わくば、空手道も剣道も居合道も、オリンピック競技にだけはなって欲しくないものです。
いや、なっちゃいけませんよ、これだけは切に願うばかりです。
脳筋バカヤロ様で上等!
少なくとも私は、オリンピックなどと云うものの価値観の蚊帳の外で人生を歩みたいと思います。

そして、ガチガチのガチンコを経験して来た私は現在は「力感の無い修行」と云うものに開眼し始めている様に感じます。

私の合気の師匠は、此の「力感の無い修行」を提唱されています。
今となっては、成程良く分かる観念なんですよね。








この動画の師匠が最後に行なっている技で、実は師匠の払い手が私の鼻っ柱に思いっ切りヒットしているんですけど・・・・・無茶苦茶痛かったですよ。

でも、私は痛い顔をしません。
暴力だなんて思いません。

もちろん、体罰やシゴキだなんて言う筈も有りませんよ・・・ねえ~師匠!( ´艸`)