アメリカは戦前・戦中から、日本がファシズムに至った経緯を客観的に明確に分析していた。
しかも、戦中から占領後の日本の体制改革まで体制を整え始めている。
その研究の積み重ねがあったため、日本国憲法草案も9日間という短期間で、まとめることが出来たのだろう。
「今思えば・・・」という話になってしまうが、アメリカの戦略的大局観を知ることによって、今もなお引き続いている日本の先の戦争観もまた違った景色が見えてくる。それは、小生だけであろうか・・・。(→o←)ゞ
関連部分を以下に引用する。
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1943年の夏までに上部機構の領土小委員会に提出されたTシリーズと呼ばれる文書群は、アメリカ国立公文書館に保存されているが、占領の枠組みについてばかりでなく、さまざまな角度から検討している。これらの文書が、日本に無条件降伏を要求するカイロ宣言(1943年11月27日)以前にすでに書かれていることを考えると、いっそう興味深い。
T357という「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」()ブレイクスリー博士)を見てみると、ポツダム宣言の文言の原型や、憲法草案に反映した考え方が、この段階ですでに見える。
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例えば、日本が和解するための条件として、軍事占領地の満州はもとより、領土として持っている朝鮮や台湾は、「国家と民族自決の原則」の上に立って独立すべきであるとし、軍事力については、「日本が再び国際平和の障害になることを防ぐ」ことを絶対的な原則に置いている。
そして、その原則の実現のために、「日本の軍備撤廃」、「重工業の抑制」、「常設の国際軍事査察組織の設立」などを考慮すべきだと書かれている。
その条件を満たすために、政治・経済については、やむを得ず厳しい立場をとることになるが、「日本国民が繁栄できないような状況に追い込むべきではない」として、日本が平和的である限り「世界の天然資源の利用や、貿易への平等な参加の機会は与えられるべきである」と、温かい気遣いすら感じられる。
そして「究極の目的」は、「国際的な組織による効果的な防衛制度によって守られた、平等な世界ファミリーの一員として復活してほしい」と結ばれている。
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また、T354のロバート・フィアリーが書いた「戦後日本経済の考察」にも次のように書かれている。
<日本は経済的安定のために国内改革を遂行せねばならない。地主制と小作制度は長年の積弊であり、農地改革の必要は日本国内でも認められている。しかし終極的には農村の過剰人口を工場労働者として吸収する以外に解決はない。産業部門については、約7割の工場生産と貿易を支配する四大財閥とその他数個の財閥を解体せなばならない。>(五百旗頭真著『米国の日本占領政策』)
この最後の財閥解体の部分については、その後書いたT470で撤回しているが、当時の米国内の強硬派の主張であった「日本から近代産業を奪い去り、貿易も禁じ、農業経済レベルに後退させる」という方針をとった場合、日本の全人口の4分の1は死滅することになると主張している。
ロバート・フィアリー氏に、日本の財界人はもっと彼に感謝しなければならないだろう、と著者の鈴木氏は触れている。
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T358のヒュー・ボートン博士が書いた「日本-最近の政治的発展」(1943年7月28日)では、
<軍部への優先や、東条首相のもつ独裁的権力の集中は、明治22年発布の、君主制が確立された大日本帝国憲法の枠組みの中で達成された。>という書き出しから始まり、日本が軍国主義へ傾いていった道筋をたんねんに追っている。
<陸軍大臣と海軍大臣は、天皇に直接上奏するという習慣が認められている。したがって両大臣は、奏上した軍事的に重要なこと以外を内閣総理大臣に報告する。この軍部の独立した権限は、大日本帝国憲法の第11条(統帥大権)と第12条(編制大権)で明白にされている。>
<その結果、軍部は政治的に力を持つことになり、軍事的な政策、方針を政府に強制することができた。そして、日本現代史に特徴的な「外交の二元化」という現象を生み出した。たとえば昭和6年から外務省は、日本は満州や中国大陸で拡張的な意思を持っていないと強調していたにも関わらず、陸軍は同じ時期に違う目的で行動した。>
さらに、
<陸海軍大臣現役武官制は、軍の好まぬ政策を内閣が遂行することを阻止できた。普通選挙制度が実施された1920年代中葉以降においても、憲法が議会に与えた乏しい権限に加えて、治安維持法が強化され、官憲の選挙への介入が広汎に行われて、政党政治に対する国民の信望は十分に強化されなかった>
と日本の誤った歴史が、憲法とそこから発した制度にあったことを指摘している。
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T381のヒュー・ボートン博士が書いた「日本の戦後の政治問題」は、<軍部が二度と優位を奪えぬよう、日本の国内政治体制は再編成されねばならない。>と制度の変革を主張している。つまり憲法改正である。
そしてその骨子は、
(1)内閣の強化と軍部の抑制
(2)議会の強化
(3)天皇制の存続と改正
(4)報道の自由と権利章典(基本的人権の尊重)
で、この数年後、GHQが書いた憲法草案の原則が、この時点ですべて書かれている。ボートン博士にこの文書を書いた頃のお話によると、
「憲法の文章を書き換えるだけでは、日本の政治体制を改めることはできない。それは日本には法による統治よりも人による統治の歴史があるからで、日本人の考えを変える最も効果的な方法は、力によるやり方よりも道義的説得だと主張した」
「それに日本人は、優れた外来文化を素直に学ぶ一面も持っているので、民主主義のよさに触れるきっと砂漠が水を吸うように吸収するに違いないと考えた」
その一例として、「薩英戦争の時、イギリスの軍艦にさんざんやられた薩摩の武士たちが、その翌日には、威力抜群の大砲を勉強するために軍艦に押しかけてきた」という話を、愉快そうにされた。
日本にファシズムをもたらしたあまりにも悪い構造が、対岸から見ればわかりやすかったのかも知れない。
(※鈴木昭典 『日本国憲法を生んだ密室の九日間』 創元社 1995年 80-86ページ。)

