里永尚太郎のココロ想うままに!!

里永尚太郎のココロ想うままに!!

憲法・安全保障問題と島興志(地域活性化事業)への取組みを中心に書いていきます。

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戦争放棄に関する草案の下敷きとなったのは、マッカーサー・ノートである。三項目あったマッカーサー・ノートの中で、天皇の地位に関する条項と封建制度の廃止についての条項がただ方針を示しただけの文案なのに対し、戦争放棄の条項は、定義、哲学が包含されたかなり推敲されたものだった。

【マッカーサー・ノートの原型】 

 <国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。

  日本が陸海空軍をもつ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が日本軍に与えられることもない。>

【ケーディス大佐】

 「重要な変更は、草案を数カ所カットしたことです。それは私がやりました。自分でやったのを覚えています。」

 まず、<自己の安全を保持するための手段としての戦争をも>という部分をカットしました。さらに、<日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる>の部分もカットしました。あまりにも理想的で、現実的ではないと思ったからです。そして、<武力による威嚇、又は武力の行使は>という文言を、前段に挿入したのを覚えています。

 ケーディス氏は、この大胆な処理を誰にも相談せずにやったという。絶対的権限の持ち主である上官のマッカーサーの原稿を書き直したのである。その重大変更の理由は以下の通り。

 「自衛権の放棄を謳った部分をカットした理由は、それが現実離れしていると思ったからです。どんな国でも、自分を守る権利があるからです。だって個人にも人権があるでしょう?それと同じです。自分の国が攻撃されているのに防衛できないのは、非現実的だと考えたからですよ。

 そして、少なくとも、これでひとつ抜け道を作っておくことが出来る、可能性を残すことができると思ったわけです。(草案の中には)はっきりと<攻撃を撃退することはできない>とは謳われていないわけですからね。

 この条項について、皆で議論していたら、一週間かけても結論は出ないだろうと思ったのです。それで、これは自分一人でやってしまおうと心に決めました。」

 つまり、法律家としての立場から言っても、国家に固有の自衛権を否定するようなことを憲法上に明記するのは、非合理で不適当であるというのである。

 ジャスティン・ウィリアム氏によると、「ケーディス氏はマッカーサー・ノートの修正を自分の判断によるものののようにいうけれども、それはホイットニー、マッカーサーの考え方に添ったものだったはずだ・・・。」

 実際に後日、1957年から活動が始まった憲法調査会が出した質問書簡に対する答えの手紙の中で、マッカーサーは


 <戦争放棄の条項は、もっぱら外国への侵略を対象としたものであり、世界に対する精神的リーダーシップを与えようと意図したものである。(略)第九条のいかなる規定も、国の安全を保持するために必要なすべての措置をとることを妨げるものではない。>(憲法調査会資料)

と書いている。理想と現実を踏まえて処理した現場の仕事を、見事にフォローしたものといえる。

そこには、フィリピン攻防戦で惨敗と勝利を経験し、戦争の実像を網膜に焼き付けたマッカーサーの思いがあったのであろうか・・・・。

  (※鈴木昭典 『日本国憲法を生んだ密室の九日間』 創元社 1995年 123-130ページ。)




 天皇に関する草案は、マッカーサー・ノートというはっきりとした指針があったため、一応の方向づけはできていた。とはいえ、この憲法草案の作成を急ぐ趣旨そのものに、「天皇を戦犯として問え」という国際的な世論をかわすことと、日本占領のために巨大な軍事力を使いたくないというマッカーサーの思惑があった。


 マッカーサーは、天皇は百万の兵力に匹敵する潜在的能力を持つと評価していたが、それに加え、昭和天皇と会い、その人柄に感動して命を助けることを決心したという、個人的な感情の問題もからんでいた。


 前日の2月4日の会議で、ケーディス大佐は基本的な指示をしている。

 「現行の明治憲法では、天皇の権限と権利とについては、明確な規定があり、保障がなされている。われわれの草案では、これを覆さないといけない。新しい憲法を起草するに当たっては、主権は完全に国民の手にあるということを強調しなければならない。天皇の立場は、社交的君主の役割のみとされるべきである


 統治権と統帥権が両立していて、軍人が内閣総理大臣を経由せずに軍事的な国家方針を遂行できる明治憲法こそが諸悪の根源である、という指摘は、SWNCC文書やポツダム宣言などの、アメリカの日本分析の中核をなしている。日本の軍国主義化の根源は、そういった憲法上の問題に端を発した陸海軍大臣の現役武官制にあった。


 アメリカ側の方針は、日本国民の欲する天皇制という「冠」そのものを拒否するわけではなかった。しかし、それが民主主義のルールにのっとった新しい冠であること、また、それを、日本国民が納得して戴くことが必要だったとケーディス氏は回想する。


 「1946年の元旦に、天皇の人間宣言がありましたし、天皇の地位はどのようなものであればよいかという、国民の考えはできつつありました。

 しかし、日本政府が作成しつつあった憲法草案は、明治憲法の<神聖にして侵すべからず>が、<至尊にして侵すべからず>というふうに修正されたものに過ぎませんでした。当時の政府の中枢の人たちの考えは、その意味できわめて保守的でした。

 天皇は、新しい存在として護られるけれども、神格化された天皇制は払拭されなかればならないというのが、一貫したマッカーサー元帥の考えでした。」

 

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 問題の「象徴(シンボル)」という言葉は、1931年制定のウェストミンスター憲章の前文に出てくる。

<クラウンは、イギリス連合(コモンウェルス)所属国の自由な連合の象徴であり、連合所属国は、クラウンに対する共通の忠誠によって結合されている。>

 

 このような、イギリス国王が国民統合の「象徴(シンボル)」であるということは、西欧社会で教育を受けた人ならば、常識レベルで定着しているという。


 担当したプール氏に確認すると、「象徴(シンボル)という言葉は、旗とか紋章とかの物質を連想しやすいのですが、英語では、精神的な意味も強く含んだ言葉です。日本の憲法学者は、現行憲法第1条の<シンボル>という表現がどこから来たか非常にこだわっているようですが、アメリカ人ならば10人が10人とも、<精神的な要素を含んだ高い地位>という意味を、すぐ理解する言葉です。<シンボル>というのはよい表現だと思いました。」


 (※鈴木昭典 『日本国憲法を生んだ密室の九日間』 創元社 1995年 112-123ページ。)



 

 里永尚太郎のココロ想うままに!! <懇親会にて小川先生と> 

 里永尚太郎のココロ想うままに!! <同志社OBメンバーと記念写真>


 3/3(土)に第80回日本論語研究会http://www.rongoken.jp/report/report201203.html が開催された。その日の講師は、あの有名な小川和久氏(国際変動研究所理事長 軍事アナリスト)。

 講演のテーマは、「小川流、生き方―動機は常に不純、「すき間産業」で生きてきた―」。

 

 日本では珍しく、組織に属しない、生き方でとても勉強になった。プライベートも含めると、まさに波乱万丈の人生であったが、人生の節目節目、勝負所で、小川氏独特の譲れない個性が、顔を出していることが成功に繋がり、それが現在の高名な地位にまで、結果的に周りが押し上げていった、という感想を抱いた。

 

 日本社会の既定のレールに乗らなかったものの、そもそも、頭がよく、センスの良さを、講演を実感することができた。 小生自身が勉強になるのと、備忘録も兼ねて、当日のレジュメ1枚を以下に記します。

1)動機不純編:

・少年自衛官になる(1961年)

  →「自衛隊を嫌いになるなよ」と言われ、自衛隊を出る。

・同志社大学神学部に進む(1969年)

 →入学する時もドラマがあったが、退学する時も凄かった。学生運動に参加。

・地方新聞記者から週刊誌記者へ(1975年)

  →記者としての腕は認められていたが、大卒でないことが原因で就職できず。休んだら給料の無い生活が続く。商売も経験する。

・軍事アナリストとして独立(1984年)

  →軍事評論家(国家の命運を決める軍事を評論するのはダメ)とは一線を画した、軍事アナリストという肩書で活動を始める。

  →35歳までには処女作をださいといけないという業界の目安を考えて、著作を出版し、独立。



2)すき間産業編:

・車検制度改定(81):週刊誌でも、法律制度を変えられる(2年⇒3年、ユーザー車検)

 →なぜか車検を受けるとクルマの調子が悪くなる原因を調査し、日本自動車工業会と対決し、勝利。

・在日米軍基地調査(84):誰も「日米同盟」の実態を知らなかった

  →大手メディアが取材要請に来ているにも関わらず、小川和久氏個人に優先的に取材許可を出す。専門的知識を有していたため。アメリカはそこを評価。

・カンボジアPKO(92):陸上幕僚監部と宮澤首相を結ぶ

  →国会で、PKO法案が通過見通しが立っているのに、陸幕は準備ができていなかった。熱帯地の知識や、そこに行く際の装備もなかった。

・阪神淡路大震災(95):消防当局の研究不足を指摘、消防審議会委員に

  →消防当局は、ヘリによる火災の空中消火は技術的にムリと抵抗し飛ばなかった。それで何百人という方の命が助かるかも知れないのに・・・。鳥越俊太郎と特番を組んで、検証。今では、飛ぶようになった。そもそも、戦場には明かりがないのだから、薄明りでも飛べるような訓練をしておかないと・・・。

・普天間飛行場返還合意(96):政府ができなかったのを取り返した(首相補佐官に・・・と)

  →当時の梶山官房長官が記者に漏らし、日経一面トップに。橋本総理が激怒・・・。

・対人地雷廃絶(97):米中露を巻き込めることを実感

・情報収集衛星(98):日本が偵察衛星を持つ場合の論理を構築、国産化と専門家の配置

  →仮に情報収集衛星を打ち上げたとしても、分析する人がいないといけないということで、大学の先生にチームを依頼。

・内閣官房危機管理研究会(01):「巧遅拙速」「巧遅は拙速にしかず」

・イラク復興支援(03):小泉首相と陸上幕僚長で安全な環境を構築(首相補佐官に・・・と)

  →「ヒゲの隊長」佐藤さん達が、安全に活動できるように、様々な手配をする。佐藤さんは後から知ったみたいだが・・・。

・日本版NSC(国家安全保障会議)(06):不思議なことが起きた(なぜ、自民党部会は反対から賛成に転じたか)

・再び、普天間飛行場問題(09):2010年5月6日、決着寸前。鳩山首相の悔恨。(首相補佐官に・・・と)

・国際変動研究所(NPO)と有料メルマガ『NEWSを疑え!』(09):豪州政府の助成で『平和の構築と国益』

・地方自治体の危機管理(11):「全部、やってくれ」(副知事に・・・と)

  →この頃から、国会議員や、高級官僚の待遇を考えた時に、助言することに嫌気がさし、地方自治体の活動をするようになった。お金をもらわないから、言いたいことがいえるという強みがあったとのこと。


・当面は、大学の先生で外交・安全保障・危機管理に手と口を挟む(12):調査研究と実践を「拙速」で同時進行

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【3月の論語】

子貢君子を問ふ。子曰はく、先ず其の言を行うて而して後之に従ふ。

子貢問君子。子曰、先行其言、而後從之


[通釈] 子貢が君子の実際を問うた。孔子が曰われるには、「君子は言わない先に行って、行ってから後に言う  ものである。」


[語釈] ○君子=人格の完成した人。


[解説] この章は言よりも行いを先にすべきことを述べたのである。 子貢弁才のある人であるから、行いが言に及ばない幣に陥り易いのである。孔子の語はこれを救うために投じた薬である。世の口先は達者でも実行のこれに伴わない人たちは毎日この語を三誦(サンショウ)すべきである。



子曰はく、君子は周して比せず。小人は比して周せず。 

子曰、君子周而不比。小人比而不周。

[通釈] 君子は博く衆人を愛して、己の気に入る者ばかりを親しむようなことはしない。小人は己の気に入る者ばかりを親しんで、博く衆人を愛するようなことはない。


[語釈] ○君子=人格の完成した人。 ○小人=君子とは反対に人格のなっていない人。 ○周す=普遍で、広く衆を愛するのである。 ○比す=私情に従って人に親しむのである。


[解説] この章は君子と小人のとの差別を述べたのである。君子と小人とは心を用いることの公私によって別れる。


(※宇野哲人 『論語新釈』 講談社学術文庫)