音楽の記事は久々です。
今回は、大分前から書こうと思っていてストックしてあったネタです。
カール・コッラン(Karl Collan)
1828年1月3日、イーサルミ(Iisalmi)生まれの作曲家、作家。
ユーハン・ルードヴィーグ・ルーネベリ(Johan Ludvig Runeberg)
サクリス・トペリウス(Zachris Topelius)などの作品に曲をつける。
1847年に最初の音楽作品集である、
ピアノ伴奏つき歌曲集(Sånger vid pianoforte)が出版され、
人気を博す。
フィンランドの民俗詩に曲をつける。
フィンランド民謡を蒐集し、
1854年と1856年にフィンランド民謡集出版。
文芸誌を創刊(1863-1865年)
フィンランド民族叙事詩「カレワラ」のスウェーデン語訳を出版。
ハインリヒ・ハイネのスウェーデン語訳も行う。
1859年、ヘルシンキ大学でドイツ語の講師となる。
1866年、大学図書館の司書となる。
1871年9月12日、ヘルシンキにて没する。
Karl Collan - Wikipedia Svenska
ヴァーサ行進曲(Vaasan marssi)
コッランの代表作と思われます。
RPG要素を感じたので、
作曲ソフトでフルオーケストラ版でも作ろうかと思いました。
http://www.youtube.com/watch?v=dLTe2u2Cf8w
吹奏楽版
https://www.youtube.com/watch?v=KMI4rsA8oks
ピアノ版
https://www.youtube.com/watch?v=GH13aDV23Sw
カール・テオドール・フルディーン(Karl Theodor Flodin)
1858年7月10日、ヴァーサ(Vaasa)生まれの
作曲家、作家、音楽評論家。
リカルド・ヴィルヘルム・ゴットリーブ・ファルティン
(Richard Wilhelm Gottlieb Faltin)
にピアノ、音楽理論、作曲を学んだあと、
ライプツィヒ音楽院で、
ザーロモン・ヤーダスゾーン(Salomon Jadassohn)
カール・ピュッティン(Karl Piuttin)らに学ぶ。
スウェーデン系フィンランド人の芸術家や音楽家等の集団、
「エウテルペ・グループ」(Euterpe-ryhmä)
に参画。
同名の雑誌が1900~1905年まで刊行された。
1925年11月29日、ヘルシンキに没する。
マツユキソウ(スノードロップ)(Schneeglöckchen)
https://www.youtube.com/watch?v=qk2sizOgcU4
セリム・ガブリエル・リンセーン(Selim Gabriel Linsén)
1838年7月22日ヘルシンキ生まれの、
作曲家、ヴァイオリニスト、合唱指揮者、オルガン奏者、音楽教師。
妹のヨハンナ・マティルダ・リンセーン(Johanna Matilda Linsén)は、
スウェーデン初の盲学校の創立者だった。
妻のマリア・ナターリア・ボレリウス(Maria Natalia Borelius)は、
写真家だった。
1856年、ライプツィヒ音楽院での研究のため、
政府の助成金を受ける。
帰国後の1860~1865年、音楽教師や、
フィリップ・フォン・シャンツ(Filip von Schantz)の劇場オーケストラや、
女子聖歌隊の合唱指揮などをつとめる。
1865年にポルヴォー(Porvoo)に移り、
1888年より教会のオルガニストとして働く。
1907年まで音楽教師をつとめる。
1914年4月5日、ポルヴォーで没する。
Gabriel Linsén - Wikipedia Suomi
カンガサラの夏の日に(En sommardag i Kangasala)
詩:サクリス・トペリウス
歌:マウノ・クースィスト(Mauno Kuusisto)
https://www.youtube.com/watch?v=5mogeRWqipU
ピアノ版編曲:オスカル・メリカント(Oskar Merikanto)
ピアノ:舘野泉
https://www.youtube.com/watch?v=jxhx4OzGeqA
ハンネス・コトカ(Hannes Kotka, 1898-1934)
彼についての情報がよくわからない、謎の作曲家。
東洋風メヌエット(Orientale; Menuetto)
https://www.youtube.com/watch?v=LNewbnObUR8
サムリ “サム” シフヴォ(Samli "Sam" Sihvo)
1892年10月30日、ヌルメス(Nurmes)生まれの、
作曲家、作詞家、軍人。
ヘルシンキ音楽院(Helsingin musiikkiopisto)で学ぶ。
1915年、
ドイツで第27猟兵大隊(Jääkäripataljoona 27)の軍事訓練を受ける前、
音楽家として働いていた。
第一次世界大戦の東部戦線に参加。
軍楽隊で演奏、指揮を行う。
1920年より、フリーランスの作家、作曲家として活躍。
1927年4月12日、肺炎によりヘルシンキで没する。
北の国の思い出(Muistoja Pohjolasta)
http://www.youtube.com/watch?v=WBwUur0xabI
フィンランドの軽歩兵(Suomen jääkäri)
http://www.youtube.com/watch?v=W-5WWyX7ez8
アルマス・ラウニス(Armas Launis)
1884年4月22日、ハメーンリンナ(Hämeenlinna)生まれの、
作曲家、音楽民俗学者。
以下、Wikipediaより転載。
ハメーンリンナ出身。
ベルリンとヴァイマルで学んだ後、
ヘルシンキ大学で教授として楽曲分析と作曲を教え、
1911年に同大学で博士号を取得した。
ラウニスは民俗音楽を収集し研究した最初の学者の一人であった。
1904年・1905年・1922年にラップランドへ、
1902年にカイヌーへ、1903年・1906年にイングリアへ、
1902年・1905年にカレリアへ、1930年にエストニアへ旅行し、
現地の人々から聞き取り調査を行い、民謡の採譜と録音を行った。
ラウニスは音楽教育にも関心があり、
民俗音楽院を創設し、1930年まで院長を務めた。
1930年よりフランスのニースに移住し、
フランスとフィンランドとの文化交流に積極的に参加した。
またフィンランドとのつながりを保つために
フィンランドの新聞に積極的に寄稿を行った。
作曲の中心は10のオペラであり、
フィンランド初のオペラ・コミックである『7人の兄弟』(1913年)、
『クレルヴォ』(1917年)、
『アスラク・ヘッタ』(1922年)などの作品がある。
また後期のオペラ『ユディト』(1937-40年)や
『テオドラ』(1930年)では
北アフリカで採取したベルベル人や
ベドウィンの音楽の影響を受けている。
オペラ以外には室内楽曲、カンタータ、
合唱、管弦楽組曲などがある。
また1921年には映画『カレリアの結婚』の音楽を担当している。
転載終了。
1959年8月7日、フランスのニース(Nice)で没する。
この作曲家は、かなり以前からWikipedia頁が作成され、
オペラのCDもリリースされているにもかかわらず、
私が確認した時には既に廃盤となっており、
またYouTubeには「アスラク・ヘッタ」が上げられているものの、
制限があって聴けない様になっており、
どんな感じの作品なのかずっと分からないままでした。
Naxosのミュージック・ライブラリーに、
「アスラク・ヘッタ」(Aslak Hetta)や
「北欧組曲」(Pohjoismainen sarja)
が上げられているのを見つけ、試聴してみました。
やはり、明快な作風で聴き応えアリでした。
Ondyne【ODE1050-2D】