アレクサンテル・ラッテ(Aleksander Läte)エストニアの作曲家 | 妄想印象派 自作のイラストや漫画、アニメ、音楽など

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アレクサンテル・ラッテ(Aleksander Läte)1860-1948


ピカシッラ村アークレ(Aakre vald, Pikasilla küla)生まれ

タルトゥ(Tartu)歿

エストニアの最初期のクラシック音楽家、教師、音楽評論家。

1900年、エストニア初の管弦楽団をタルトゥに創設し、

その指揮者となる。

合唱団も組織する。


【代表作】

序曲『カレヴァラ』(Avamäng “Kalevala”)1897年

合唱曲『雲に』(Koorilaulud “Pilvedele”)

合唱曲『黄金の岸辺』(Koorilaulud “Kuldrannake”)


Aleksander Läte


【参考資料】

Läte, Aleksander | Eesti Muusika Infokeskus

Aleksander Läte - Miksike

Aleksander Läte - Wikipedia Eesti


序曲『カレヴァラ』(Avamäng “Kalevala”)1897年

演奏:エストニア放送交響楽団(現:エストニア国立交響楽団)

Eesti Raadio Sümfooniaorkester(Eesti Riiklik Sümfooniaorkester)

指揮:ヴァッロ・ヤルヴィ(Vallo Järvi)


これは、エストニアのクラシック音楽の

歴史認識の改変を迫られました。

それまでは、エストニア初の本格的なクラシック音楽の作曲家は、

ルトルフ・トビアス(ルドルフ・トビアス)(Rudolf Tobias)

と思っていました。

しかし、それよりも先の人がいたようです。


エストニアのクラシック音楽自体、

全体的にはマイナーな存在ですが、

有名な作曲家は一応いて、

エトゥアルト・トゥビン(エドゥアルド・トゥビン)(Eduard Tubin)

とかアルヴォ・ペルト(ピャルト、ピャールト)(Arvo Pärt)

やや知られているのではヴェリヨ・トルミス(Veljo Tormis)

辺りの現代音楽系です。


ロマンティックな作曲家では、

前述のトビアスとアルトゥル・カップ(Artur Kapp)

がエストニアクラシック音楽黎明期に活躍し、

ミヒケル・リュティク(ルティク)(Mihkel Lüdig)

がそれに続きましたけど、

トゥビンやペルトの様に国際的に認められていないのか、

知名度は低い。


エストニア近代音楽の父として重要な存在の

ヘイノ・エッレル(Heino Eller)が、

余り注目されていない感じなのも不思議です。

(地元ではどうか知らないが)


エストニアの管弦楽曲は、トビアスの

序曲『ユリウス・カエサル』(Avamäng “Julius Caesar” 1896)

が最初と言われており、カップの

序曲『ドン・カルロ』(Avamäng “Don Carlos” 1899)

が2番目だと思っていましたけど、ラッテの

序曲『カレワラ』(Avamäng “Kalevala” 1897)

がその間に作られていたわけですね。

というか、ラッテの方がトビアスよりも13歳も年上なので、

管弦楽曲をラッテがトビアスよりも先に

作っていたりする可能性は考えられなくも無い。

もしそうだとしたら、エストニア初の管弦楽曲の作曲家は

ラッテという事になります。


肝心の『カレヴァラ』を聴いた感想ですが、

滑らかにうねっているメロディやバロック音楽っぽいメロディ、

牧歌的メロディ、エレジー風メロディ、大胆なフレーズなど、

劇的で幅広い豊かな表情が中々聴き応えあり!!

カレワラの物語が展開していく様を音楽で表現しているのでしょうか。

そういう(古代の伝承物語的な)雰囲気は凄く伝わってきます。

特に、何度か登場するエレジー風のメロディが心に沁みます!!

おどけている様で尚且つ緊張感のあるメロディなどは、

トビアスの『ユリウス・カエサル』を彷彿とさせますが、

作曲年的にラッテが聴いている可能性は否定できない。

クライマックスはファンファーレ風で勇壮さに溢れています。


重要だと思うのは、民族的な題材を扱っている所でしょう。

『カレワラ』はフィンランドの民族叙事詩ですけど、

それを取り上げた理由は、

エストニアと兄弟民族だからなのかも知れません。

エストニアにも『カレヴィポエク』(Kalevipoeg)

という『カレワラ』に相当する民族叙事詩があるんですけどね。

どうせなら『カレヴィポエク』にすれば良かったような・・・。

因みに、アルトゥル・カップの息子の

エウケン(エウゲン)・カップ(Eugen Kapp)は、

カレヴィポエクを題材にバレー曲を書いています。




【お詫びと訂正】

ヨハンネス・カッペル(Johannes Kappel)自身も作曲家で、

カンタータ『太陽に』(Kantaat “Päikesele”)は彼の作品のようです。

ここにお詫びして訂正します。




【表記修正:2012/1/15】

ルドルフ・トビアス→ ルトルフ・トビアス

アレクサンデル・リャテ → アレクサンテル・ラッテ

エドゥアルド・トゥビン → エトゥアルト・トゥビン

リュディク(ルディク) → リュティク(ルティク)

エウゲン → エウケン


エストニア語では、

『b、d、g』の発音が濁らないらしいのですが、

『b』だけは気持ち濁っている感じなので、

『d、g』だけを濁らない表記に修正。


最初、無難に“Läte”を「ラーテ」と表記していましたが、

日本では一般的に、

”ペルト”と呼ばれている“Pärt”は「ピャルト」(ピャールト)、

プリート・パルン(Priit Pärn)の“パルン”は「ピャルン」、

という発音がより原音に近いという話を聞いたため、

“Läte”を「リャテ」と表記していました。

しかし、どうも音が詰まるようなので、「ラッテ」に変更。




【訂正:2016/9/3】

ドイツ語版Wikipediaでは、

序曲「カレワラ」の作曲年が「1901年」と出ていましたが、

こちらの頁によれば↓

Läte , Aleksander - Kreutzwaldi sajand / Eesti kultuurilooline veeb

作曲年が「1897年」、初演が「1901年」だそうです。


「Eesti Muusika Infokeskus」のサイトでは、

作曲年は「1897-1901」と出ていました。


ドイツ語版Wikipediaでは、1904年に書かれたという、

エストニア舞曲 - 管弦楽(Eesti tants, sümfooniaorkester)

という作品も紹介されており、かなり早い時期に書かれた、

エストニア国民楽派の交響的作品と思われます。


アルヴォ・ピャールト → アルヴォ・ペルト

原音は、どう考えても「ペルト」に近いです。

人によっては発音の差異があるのでしょうけれど。


それから、

「Läte」は「ラッテ」に近い発音である事を確認しました。




【追記:2018/7/11】

かなり以前に動画が削除されてしまっていたのですが、

運よく音源を保存していたので、YouTubeに上げ、

ブログの動画を差し替えました。

削除されたYouTubeの動画↓

http://www.youtube.com/watch?v=j3wcXAwpQpk