…そしてイタズラをする(...Ja teeb trikke)エストニアのアニメーション | 妄想印象派 自作のイラストや漫画、アニメ、音楽など

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【スタッフ】

・美術監督

Kunstnikud-Lavastajad

プリート・パルン(Priit Pärn)

スヴェトゥラナ・サックス(Svetlana Saks)

 

・作曲

Helilooja

オラヴ・エハラ(Olav Ehala)

 

・オペレーター

Operaator

アルヴィ・イルヴェス(Arvi Ilves)

 

・サウンドオペレーター

Heliloperaator

トイヴォ・エルメ(Toivo Elme)

 

・アニメーター

Animaatorid

マッティ・クット(キュット)(Mati Kütt)

リーナ・クット(キュット)(Riina Kütt)

マイム・マハル(Maimu Mähar)

メーリス・ライエント(Meelis Raiend)

クリスタ・タンミク(Krista Tammik)

アールネ・ヴァサル(Aarne Vasar)

 

・助監督

Režissööri assistent

シルヴィア・キーク(Silvia Kiik)

 

・映像監督

Filmi direktor

クルノ・ルフト(Kulno Luht)

 

・脚本、監督

Stsenarist ja Režissöör

プリート・パルン

 

【制作】

タリン映画(Tallinnfilm)

1978年

 

邦訳タイトルは直訳なんで、

これで合っているのかどうかは分かりません。

 

映像には『1979』と書いてあるんですけど、

『1978』『1974』などと紹介されたりしていて、

よく分かりません。

(追記:1978年の様なのでそれに修正)

 

『ラピュタ阿佐ヶ谷』に於けるエストニアアニメ上映会

に行かれなかったのがとても残念至極なんで御座いますが、

いずれにしても、バルト3国の中で唯一日本(の一部)で

まともに注目・紹介されているエストニアアニメ。

何故なのか、これを見れば納得であります。

 

このセンス、凄いです!!

テンポ・ノリのいいシュールな不条理アニメ!!

熊が、トリックによるイタズラが過ぎて皆を怒らせるが、

最後にはそのトリックでもって皆を喜ばせたというお話。

 

タヌキかと思ったら、熊でした。

「タヌキが化けたりして、妙に日本的だな」

と勘違いしてしまいました。

 

監督のプリート・パルンは、

エストニアアニメ界の巨匠で、数多くの賞を受賞。

日本でも(一部で)よく知られているようで、

検索すると関連記事が沢山ヒットする。

『ラピュタ阿佐ヶ谷』のエストニアアニメ上映会にも、

勿論パルンのアニメは出ていた。

2004年には、

神戸でパルンのアニメを扱った上映会が開かれていた。

グローバル Web アイコンプリート・パルン フィルム・フェスティバル - fc2web.com

 

それにしても、エストニアアニメには注目するけど

ラトヴィアアニメやリトアニアアニメに対してシカトする人は、

何なんだろう?

 

単に知らないだけなのか?

つまらないと思っているのか?

話題になっている話しかしたがらないのか?

 

まあ確かに、エストニアのアニメは、

バルトの中では一番面白いかも知れない。

 

ラトヴィアとかリトアニアのアニメは、

どちらかと言えば詩的な感じのが多かったり、

不条理にしてもヒネりが余り効いてなくて深みが無かったり、

エストニアのに比べたら刺激(毒)が薄いかも知れない。

 

でも一番の理由は、

国際的に認められているかどうか(権威主義)なのかも知れない。

エストニアのアニメは国際的に認められているところがあるけど、

ラトヴィアやリトアニアのアニメはそういった話を聞かない。

だから日本でも全く話題にされない。

熱く語っているのは私くらいしかいない?

 

弊ブログは基本、

注目されている話題は意識的に避けるので(一部を除く)、

余りパルンは取り上げない方がよかったのかな…?

 

否、全体的にはエストニアアニメもマイナーだと思うので、

取り上げて正解だったと思います。

 

又エストニアアニメ上映会やって欲しいですね。

次回は、エストニアだけではなく、

バルトアニメ上映会をやって欲しい。

 

【表記修正】

サクス → サックス

マティ → マッティ

【追記】

映像が削除されたので、埋め込み映像を削除。

 

【追記:2022/4/26】

…そしてイタズラ → …そしてイタズラをする

1979年 → 1978年

ネット情報では「1978」としている記事が多いが、

映像には「1979」と出ています。

制作が「1978」で、

初公開が「1979」という事でしょうか?

 

スタッフ情報に追記。

 

映像が削除されたので上げ直し。

画像6枚追加。

 

この記事を書いた2年後の2011年秋に、

「バルト三国記念週間」

が開催され、エストニアだけでなく、

ラトヴィアやリトアニアのアニメーションも

その時ラピュタ阿佐ヶ谷で上映されました。