失言問題が次から次へ起こります。
「そういう意味で言ったのではない!!」
誤解を解消するのに必死で説明するシーンが
ニュースで流れました。
誰でも誤解されるのは嫌です。
誰でも自分を守りたい気持ちがあります。
そのために言葉を重ねるのは当たり前ですが
どんなに長く状況説明を受けても
後付の言い訳のように感じてしまうのは何故でしょう?
人は言葉を頭だけで理解するのではありません。
五感の全てを使い
視覚・聴覚で言葉に伴うものをチェックして
総合的な印象と文脈から言葉の意味を決めます。
そして
言葉の判断も
言葉の意味の決定も
聴いた人の感覚が最終的に決めてしまいます。
人が感覚的に判断したことですから
思考の言葉での説得をしても
感覚が優位に立ち、意味を変えられません。
思考で言葉巧みに論破しようとしても
感情や感覚や五感での認知は
簡単に”はい。そうですか”とはなりません。
理屈や論理を受け付けない状態モードです。
特に不快な感覚のスイッチが入ったときは
不快からノーマルへの切り替えスイッチは動かせません。
逆に言い訳を言えば言うほど
言葉を重ねれば重ねるほど
心が引いていきます。
人間とはそういうものです。
言葉には限界があります。
コミュニケーションを言葉や思考だけでしているのではなく
情動的な感覚と直感的に感じる意味が
決定することは既に分かっています。
失言の撤回の記者会見や謝罪会見。
いつも勉強になります。
会社や家庭での会話も同じだからです。
上司が部下を叱責するシーンや
部下が自分のミスを説明するシーンも
母親が子供を叱るシーンや
夫が妻に言い訳するシーンも
似ています。
本質は同じ。
何を言うか
どう言うか
より
何故言うのか
言葉を言う前に、それを意識すると
選ぶ言葉が変わり、言い方や態度も変わります。
失言の謝罪会見。
自分が謝るときを想像したら
皆さんはなんと言って謝っていますか?
あなたの今の言葉は
何故その言葉を選び
なぜそんな言い方をするのか気が付いていますか?
あなた心の底の本当の目的。
それに気が付いていますか?
自分の身を守る目的だったら
言われた側は敏感にそれを感じます。
人間は瞬間的に生物的欲求で
自分を守ろうとします。
無意識にそうしてしまいますが
それは相手には嬉しいことではなく
皮肉ですが違和感や不快感を感じます。
選挙で皆に選ばれたとき
国を変えたい
人を変えたい
そう思った筈です。
その気持ちを思い出したら
言うべき言葉や
言い方は冷静で穏やかになるような気がします。
夫婦喧嘩も親子喧嘩も
会社でのコミュニケーションギャップも
本質はいつも同じ。
言葉が変われば福来たる。