杜子春の話を覚えていますか?
示唆に富む話です
最近迷った時に読み直しました
「執着」という視点で読めば
お金持ちじゃなくても「成功」とか「安心」ばかり求めている自分の姿が
自然と話の中に浮き上がり考えます
LET GO
という考え方は学びの話の中でよく出てきます
日本語では手放すという意味にされていますが
以前自分のエゴも欲も執着もあるがままに手放さなければならない
という事を聴いたとき抵抗がありました
「捨てねばならない」と思うのも悟りや学びへの執着で
人は生きている限り執着もエゴも毎日たくさん生まれるし
生きたいと思うごく普通の気持ちも死を怖がり
生きる事に執着していてごく普通のことです
だから
あるがままに手放せ!と強いられると
何か生きている事自体も否定するようで
それは私の解釈の問題なのですが微妙です
杜子春の抵抗もそうだったのかもしれません
母を思う瞬間こそ
全てを投げ出して・・・そこに「LET GO」の感覚があった・・・のかも?
杜子春
何かに迷ったら
是非又読んでみてください