私はこういう日はVTRの整理と
過去の放送なんかを見ます。
昨日星がよく見えなかったのか
宮沢賢治とよだかの星というドキュメンタリーを見ました。
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よだかの星のように生きた
まっすぐ苦しく生きて星になった宮沢賢治
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宮沢賢治の事が急に気にかかりました。
童話はもちろん大好きです。
生前評価されなかった宮沢賢治ですが
春と修羅は評価されたようです。
昨日の夜、初めてその詩を読みましたが
平仮名が多く、大正の言葉なので
意味が読み取れない箇所がたくさんありました。
何故春と修羅なのだろう
そんな疑問が湧き
修羅という言葉を正確には知らないで
調べてみると・・・
修羅と阿修羅は同義語で阿修羅は争いを好むインドの神。
ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーが中国で阿修羅という
音訳がついたそうです。
(ゾロアスター教は白黒ハッキリしている二元論の宗教です。)
阿修羅は須弥山の北に住み、帝釈天と戦い続けたそうです。
阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神らしいのですが
阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていたのに
なんと、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱?)。
それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになったそうです。
この戦いが面倒になった帝釈天は阿修羅を天界から追放しちゃう。
というのが概略みたいですが
仏教では、敗北者の阿修羅は正義の神なのに魔神にしてしまい
勝者の帝釈天は力の神なのに護法の神とします。
何となく釈然としない判断のようですが
仏教とは、二元論のどちからではない部分を深く考える宗教なのかもしれません。
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たとえ正義であっても、
それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。
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人は自分の世界は全て正義だと思っていますから
その正義を貫くために
人と闘うような気がします。
戦争なんて全てこういう理屈で戦っているような気がしませんか?
どの争いもそれそれの立場に耳を傾けると
皆自分の正義を語ります・・・。
神様ならどちらが正しいと判断できるかもしれませんが
相手の立場を深く理解すると正義の判断は絶対ではない事が多いです・・。
しかし闘う本人は正義だと思っているから
抜いた剣をさやに戻す事はとても難しく、相手を叩きのめすまで剣を振り回す・・・。
これは私にとっても耳の痛い話です・・・。
今までの人生で何度心が修羅になったか分かりません(涙)。
自分の娘を奪われた阿修羅の怒りは当然なのですが
帝釈天は舎脂を正式な妻となり娘は本当は幸せなのです。
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それなのに、過去の出来事をいつまでも根に持って、
自らの「正義」にこだわりつづけ阿修羅
あなたの周りにはそんな人はいませんか?
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白黒の世界だけで考える事
その心の狭さの方がもっとよくない、
仏教ではそう考えるているのだそうです。
帝釈天のエピソードの中で
負け戦で、逃げていく帝釈天の軍勢の行く手に
道の上を何万匹ものアリが歩いていました。
それを見て、そのアリを助けるために、
帝釈天は軍勢を再び元の逃げてきた方に引き返させているのです。
逃げている軍隊がとって返すなど普通はありえない行為ですが
それができるのは、帝釈天は力の神であって、
弱いものに対する同情し、憐れみの心があるからだというのです。
勝つ事だけに執着する正義の神である阿修羅には、それができないかもしれません。
正義のためには、少しぐらいの犠牲はやむを得ない、そう考えるのが正義の特色。
正義にこだわり、自らの正義ばかりを主張しつづけて相手の立場を考えない、
そんな正義は魔類の正義で本当の正義ではないという意味なのかもしれないですね。
本当に強い人は憐れみの心が生れるのかもしれません。
人は、どういうわけか強さを無知だと思い「
軽蔑したり笑ったりしがちですが
弱いと、自分を守るのに精いっぱいで過剰に武装してしまう事も
多いような気もします・・・。
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「おれはひとりの修羅なのだ」
宮沢賢治 春と修羅より
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素晴らしい童話を書いた宮沢賢治でさえも
ひょっとすると自分の心の中の修羅に苦しんだという事なのでしょうか・・・
興福寺の阿修羅像はたくさんの腕を持っていますが
厳しい顔をしていますが少年のような透明さと
どこか穏やかで品があり、静かにすっと立っています。

激しく闘う神なのに何故だろうと思いましたが
阿修羅が闘い続けたのは「自分の中で膨張する幻の敵」であり
自分の心を見つめ後悔している姿なのだそうです。
穏やかな春の日々は理想郷(イーハトーブ)でありながら
でも、人の心にも世界にも阿修羅はあるものだと
そう直観で悟った詩が春と修羅かもしれません・・・。
穏やかなGWの悪天候は
まさにそれを教えてくれる自然の姿なのかも
なんだか・・・そう感じてしまいました・・・。