不忘山(わすれずやま)その3 | ビスタリー パロパロ ル・シーナのブログ

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不忘山の話、最終回

ガレバの山頂から北の方角に水引入道という場所がある。
春先になると雪渓が溶け、山の地形に合わせた図柄が浮き出てくる。
田んぼに水を引き始める頃になると、この水引入道には「杖つきじいさん」が現れる。
山の斜面に腰を曲げたじいさんが杖を突いた格好でお目見えするのだ。
「お~い、そろそろ田に水を引きなはれ~」などと言っているように見えるから不思議だ。
そもそも、地元の田畑に供給される水は白石川から引水するわけだが、もとをただせば蔵王連峰の雪解け水である。
昔の人は、水のありがたさを十分理解していて、水引入道さんありがとうといって崇めてたそうだ。
実は杖つきじいさんは水引入道そのものではないかと僕は思う。
 
<山頂にて・・・ピッケル・アイゼンは不要だった>
やがて水が引き終わり、春の草花が咲き始め、水田が鏡のようになった頃、「杖つきじいさん」は、少し細身になって「種まきじいさん」に変わる。
杖に見立てた雪が時間を追うごとに細くなり、やがて切れ、途切れ途切れになっていく。
ふもとから見るとまさに「種まき」に見えるのである。
入道じいさんは、満面の笑みを浮かべてこう言う「そろそろ 種まき(=田植え)してもいいころじゃ」
毎年毎年、絶好の時期に田植えができるのはみんな水引入道さんのおかげなのかもしれない。

さて、気がつくと山頂には僕一人しかいなくなってしまった。
父娘親子も山形から来た3人のパーティも下っていった。
穏やかで、ほんわり暖かくて、時折サーッと流れていく風が気持ちいい。
やわらかい日差が真綿にくるまってるようで気分がいい。
圧倒的な幸福感が僕をくまなく包む。
まるで、僕が赤子となり「えずこ」(=方言で赤ちゃんをいれるかご「ゆりかご」)に入れられ寝かせられているようだ。

まったり感を十分堪能したままの気持ちを保持したいところだが
山を下りなければならない。
後ろ髪をひかれる思いだ(・・・しかし僕は3分刈の坊主頭なので髪はない)

<振り返り ピークを望む> 

登りと違って下りは早い。
だがしかしだ、ほとんどの場合は山の事故は下りに集中している。
自分の体力を100とした場合、登りで使うのは60~70にとどめたい。
折り返し地点で十分休養し、栄養補給をすると8割くらいまで回復するようだ。
いかに自分の体力理解し、短時間で回復できるかがポイント。

一気に中腹まで下る。
心配していた体力はなんとか持ちそうだ。
足のけいれんや膝も大丈夫。
セミの声が大きくなってきたね。
登るときに一緒に合唱していたカエルの声はいつの間にか消えていた。
しょっちゅう登っている裏山のような存在の不忘山
今回も十分楽しませてもらったな。
種まきじいさんに目礼し、次の楽しみである遠刈田温泉へ車を走らせた。