暮らす場所 | 【ゆの里通信】お水を生かした癒しの場

【ゆの里通信】お水を生かした癒しの場

「伝える」から「伝わる」へ
日々、考えている「お水」のまわりの出来事を綴っていきます

主人の介護生活で
「介護」の話題に敏感な私です。


ショートステイを希望したくて
いろいろ当たっても
“帯に短し さらに短し”


どこも、いかにも「施設」で
自由度がなく「う~む」なのです。


朝、必ず新聞が読めること。
朝食はおいしいパンとコーヒが選べること。
テレビのチャンネルはスカパーあり。
英国ミステリーも観れること。
幼児語で接しないこと。


そんなときに見つけた
阿川佐和子さんの
『看る力』。以前から話題になっていました。



対談相手は、患者に「様」をつけて
病院にとっては大事なお客様という
意識づけをした青梅慶友病院創設者
医師・大塚宣夫さんです。


30年近く前にこの先生の対談を
掲載していた出版社に在籍しながらも、
革新的な医療と介護のドッキングぶりには
さほど興味がありませんでした。
本当にもったいなかったなぁ。


青梅慶友病院を作られたのが1980年。
「自分の親を安心して預けられる施設」の
実現をめざして、常にもうひとつ上の
医療・生活・介護の仕組みを目指して
努力したいと、ホームページに書かれています。


なるほど、料金を見ると
しっかり「いい値」はいたしますが、
永島が思っていたそのままの施設が
ここにありました。


主治医である聖路加国際病院の
「病院臭」がしないことは、ブログでも
書きましたが、青梅はもっとすごい。


阿川さんの父上が入院していて、
食事の持ち込みは自由。
お酒もOK(強者は銘柄を指定して頼むとか)
面会は24時間自由。
あるときは、部屋にコンロを持ち込んで
料理もしたとか。


本では、好きな食べ物は誤飲しないと
書かれていました。


自由度の背景には、
そこをバックアップする体制が整っているから。
すべてに貫かれているのが、
個の尊重です。


「きれいごと言って」と医療現場の方からの
お声もありそうですが、
いつの時代も「やるかやらないか」。


ここまではいかないにしても、
まず、患者をどうとらえるかで、
見方が変わってくると思います。
プラスチックの容器は、
私に言わせれば食器ではなく、
デザインの悪い食事ナプキンは
馬鹿にしているなと思えるほど。
大きい「名札」もやめてほしい。


昨日のブログに続き
対象者を「お客様」と捉えるなら
最高のサービスをすべきだと
思うのです。


そして、リーズナブルであること。
「安く」ではないのです。
“理にかなっている”値段です。
関西にはいい言葉があるじゃないですか。
「値打ちある」です。


高齢者は、動きに障害がある者とすれば、
りっぱな障害者。
目が悪い(頭も?)も永島も
障害のある者です。


不自由な人が、いつもの暮らしで、
心地よく暮らせる環境を整えること。
そのための道具のデザイン性も
もちろん大事。


いま、私の頭の中でさまざまなパズルが
組み合わされて、いまという時代の
ニーズを必死に捉えようとしています。


「ゆの里」が目指すことも同じです。
「お客様」の求める先を明確につかんで
気持ちよく提供していく。
「ゆの里」の場が医療とつながっている。
その先を見つめています。