「わしもいつ死ぬか分からんからなあ・・・。」
絶対に長生きすると言い続けて来た親父が不意に弱音を漏らす。
その声も呟く程度のものだったが、更に親父が続けた言葉は
耳を済ませなければ聞き取れない程の囁きとなった。
部屋には僕と親父しかいないと言うのに、何故か
間近に耳を寄せなくては聞こえない様な声で続ける。
「実はな・・・。」
「ベッドの下に 大金 があるんや・・・。」
はは。
そんな馬鹿な。
親父ほどの浪費家が大金を溜めているはずがない。
ついこないだも千円くれと僕に頼み込んでいたくせに・・・。
あるはずが無い。 無いに決まってる。
「はあ?何言うてんねん。(アホ言いな)」
笑った僕に対し、真剣な眼差しを向けた親父はにこりとも笑わない。
ベッドに横たわったままで、尚も囁く様に言葉を繋いでいく。
誰かに聞かれると大変だと言わんばかりにきょろきょろとしながら話す
その親父の態度は ひょっとして・・・?
と思わせるものではあったが、それでもやはり絶対に有り得ない。
そう思わずにはいられない程親父の言葉というのは
いつも 「嘘」 ばかりだった。
今まで何度このおっさんの口車に乗って騙された事か。
身内である僕だから訴えたりはしなかったが、親父に騙され
毟り取られた金は 総額100万円を軽く超えていた。
恥を忍んで書くが2000万円の連帯保証人の捺印をさせられた事もある。
しかもその後親父が自己破産した為に僕の単独債務という事になった。
(どんな親や。)
一応親父の知り合いであった為に色々工作をしてどうにか
有耶無耶になったが、(多分時効になったはず)
とんでもない親父だった。
僕から見れば親父は詐欺師に限り無く近い男で、何人もその被害に
遭っている人間がいる事は知っていたが、それも親父と関わった事を
不運と思ってもらい諦めてもらうしか無かった。
隣の部屋に住んでいる親父の「友人」も親父に騙されて色んな被害を
被っていたが、それでも何故か親父とつるんで「仕事」をするという
何とも奇妙な関係だった。 個人的には馬鹿なのだと思う。
親父曰く、「騙し、騙される関係」だという事で、
親父もその友人に度々騙されて金を奪われたりしていたのだから
お互い様って事らしいが、益々理解不能な関係だった。
恐らく親父が大きな声を出さないのは隣の友人に聞こえない様に
という気持ちの表れだろうが、そんな所に真実味を出そうとしても
僕の気持ちは一向に「信じよう」等と思わない程に親父の言葉は全て
嘘だと思っていた。 嘘に決まってる。(どんな親子や)
一級障害者扱いの親父は県から医療費、生活費を補助されていた為、
県営のぼろアパートではあったが格安の家賃で住ませてもらっていた。
壁はびっくりする程に薄く、隣のテレビの音は普通に聞こえて来る様な
所で、僕は絶対にこんなとこには住みたくないと思っていた。
「お前にしか話さんけどな・・・。」真顔で親父が更に続けた。
(もうええって)
僕は週末の度に親父の世話をしたり、金を渡したりと
兄弟の中で「ただ一人」親父を世話したという自負はあったし、
本当なら100万円返してもらい、尚且つ迷惑料を請求したい位だが、
まあ とにかくこんな戯言を聞いてたら余計に腹が立ってくる。
そう思って 「もう帰るで」 と立ち上がった。
「ベッドの下・・・見てみろ。」
まだしつこく親父が囁いているのを聞くと、ほんの少しだけ
「まさか・・・本当に?」という気持ちが湧き上がった。
仕方なく覗き込むと、確かにベッドの下に何やら立派な箱があった。
木彫りの箱で、さながら昔話に出て来る「玉手箱」の様な箱。
雰囲気としては・・・確かに大事な物が入っていそうな気もする。
ベッドの下へすっと手を差し込むと親父が小声ながらも怒鳴る。
「まだ見るな!!」
「わしにもしもの事があったら その時にお前が一人で開けろ。」
つまり、他の兄弟に財産をやる気など無いが、僕にだけは渡したい
と、そう言っている様だが まあ本気にはするまいと思いつつ
「分かった」と言って自宅へと帰りの車を走らせた。
車中で親父の言葉を振り返る。
「もしもの事」があったらか・・・。
人工透析のお世話になってる親父の体はボロボロで、
ハッキリ言って「もしも」なんて言葉は当てはまらない状態だったし、
一人暮らしなど有り得ない体ではあったが、何故か兵庫県の社町という
かなりへんぴな場所に住むことを親父は強くこだわった為、僕ら兄弟も
「じゃあ好きにしてくれ」と、放っていた。
県から派遣される介護士が二日に一度訪れたので、どうにか生き長らえ
ていた事は非常に有り難いものだったし、申し訳ないという気持ちもあったが、
日々の生活に追われていた僕は敢えてその介護士と一切顔を合わせなかった。
何となく会う事が躊躇われたのだ。 ハッキリ言うと恥ずかしかった。
「親がこんな状態なのに介護士に任せるなんて」
と思われている事は容易に想像出来た。
他の兄弟に比べればましだが、それでも世間一般の常識から考えれば、
僕の行動もきっと常識はずれだろう。
分かっていたが敢えて介護士の事は架空の人物の様に扱っていた。
もしもの事があったら・・・か。
親父が不意に言った「らしくない言葉」と「玉手箱」の存在は
次第に車のBGMと共に窓から流れ出て行った。
いやいや、ある訳が無い・・・と。
その日は 「その時」 が来るおよそ3ヶ月程前だった。
「この度、父が亡くなりまして。」
面倒ではあったが、葬式が終わった後親父の携帯電話の中で
辛うじてでも聞いた事のある名前の方々に片っ端から電話を掛けた。
皆、一様に残念がっていた事がせめてもの救いだった。
額面通りに受け取る訳にはいかないが、これも親父の人徳だったのかと
そう思う事にして面倒な電話を少しは楽しんでいた。
親父が入院してからは兄弟も集まったりと色々な協力があったものの、
やはりそれまで殆ど誰も何もしてくれなかったという気持ちは僕の中で大きく、
本当は葬儀も一人でやりたかったが、そういう訳にもいかず
完全に絶縁状態だった二つ年上の兄貴とも何年振りかに会って話した。
殴りたい衝動をどうにか堪えて葬儀場の冷蔵庫からビールを取り出し、
布を被った親父の前で泣きながら一緒に飲んだ。
今まで全く連絡さえしない兄貴を殺してやりたい程に憎んでいた自分に
「親父がこうして死んだから集まったんだから」
折角の機会だと思い、兄貴を許す事にした。
親父がもし見ていたらそう望むだろうと思ったからだった。
人の繋がりというのは妙なもので、今やこういう時にしか親族は
一同に集まったりはしない。 寂しい事だとも思うが仕方ない。
こういう機会を親父が「作った」のだと考え、大いに飲んで笑った。
大騒ぎが好きだった親父の葬式をしんみりとやりたくなかったからだ。
翌日、これだけ人がいるのだからという事で、兄弟全員とその婿も嫁も
全員で主の居なくなったアパートの撤収作業をする事になった。
何か「おいしいとこを持っていかれる」様で少し腹立たしかったが、
長男の主導によって、着々と撤収は進んだ。
やはり皆で協力すれば作業性は非常に高い・・・。
ここに引っ越してきた時はあんなに大変だったのに。
親父の引越しは5度あったが、全て僕が一人でやった事を思い出すと、
何とも言えない感慨深さがあった。
何故もっと早くこうならなかったのか・・・と。
庭の片付けが済み、部屋の中の大物品を運び出す事になった時に
記憶の奥底にあった「玉手箱」の存在が不意に浮かぶ。
「しまった!」
親父が入院してる間に見ておけば良かった・・・。
まだ間に合う・・・か?
皆はまだベッドに手をつけていない。
何とか持ち出して一人で確認しようと思えば出来るかもしれない。
「大金・・・。」
もしもそんな金が本当にそこにあったら・・・。
皆で開けても尚、「俺が一人で親父の面倒を見たんだから」
と主張出来るだろうか? いや、それは流石に出来ない。
しかし、僕は本当に一人で大変な思いをして来たんだから
許されるんじゃないのか・・・?自問自答を何度も繰り返したが、
皆が一生懸命に汗を流して働いている様子を見る内に心に芽生えた
邪な気持ちはゆっくりと薄れ、やはりそんな事は許されない、
皆で平等に分ければいい と半分格好をつけたような所もあったが、
重い口を開き 皆に「玉手箱」の存在を公表した。
まさかそんな物があるなんて・・・誰もが驚きを隠せない様子だった。
ベッドを外に出し、全員を代表して長男が箱に手を掛けた。
誰からともなく黙祷の輪が広がる。
「有り難く頂戴します。」
心の中で呟く皆の様子を見て、長男も一度箱に向かって手を合わせた。
しかし
そっと瞳を開いた皆の目の前に現れた箱の中身は現金では無かった。
そんなに太くなくてもいいんじゃないかと思う程に太い
ピンク色のバイブレーターだった。
剥き出しになったそのこけしさんの隣にはコンドームが一枚。
「お宝・・・。」
僕の頭の中にふと浮かんだ言葉だった。
「大金とは違ったが、それはお宝だった。」
何か、幼い頃に読んだ昔話にそんな展開があったような気がする。
そうだ、これはお宝なんだ・・・そうだ・・・。
誰とも目を合わせる事が出来なくなった僕は呪文の様にその言葉を
頭の中で繰り返すのみで、穴があったらそのバイブレーターを
思い切り ぶっ挿してやりたかった。
顔から火を噴くと言う表現はこういう状態なのだろうか。
「お前・・・これいるんか?」
振り向いた長男が真顔で僕に尋ねる。
やめてくれ、これは無かった事にしてくれ。 俺を責めるな。
心の中で親父に叫んだ。
「親父の馬鹿野朗。 でも・・・ごめん。」
親父の言いつけを守らなかったから・・・。
僕が一人で開けてたらこんな大惨事にはならなかったのに。
兄弟だけならまだしも、「他人様」もそこに立ち会ったという事が
とにかく悔やまれて仕方が無かった。
死んで尚、「人を笑わせる」
菅原浩一という男の生き様 そして死に様。
僕はこの偉大な父親の男っぷりを見習わなければならないのではないか
そう思ったとか思わなかったとか・・・。
ひょっとしてあの時
死ぬ間際に病院で僕に訴えようとしていたのは、
あの箱の事だったのかもしれない。
「一人で開けてくれ」と、死を悟った親父の
魂の叫びだったのかもしれないが、
今となってはもうどうする事も出来ない。
人は必ず死ぬ。
その多くは大抵、突発的なものだと思う。
身辺整理を済ませてから逝けるなんて例は稀だろう。
そういう現実の恐ろしさをまざまざと見せつけた親父の
この「死に様」は一生忘れないし、教訓にすべしと思う。
人は死ぬ。
それまでに何をするのか、
人間の価値は最期の瞬間に決まるのだ。
親父の声が 今も聞こえて来る。
~完~
思い出しにやけた 第11話
本当に恥ずかしい思い出ですが、
いい思い出に今は変わりました。
親の死を笑って語れるのはいい事だと思う。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。