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誰も得しないイライラの感情
先日電車に乗っていた時の事。車内はほぼ満員となっていたせいかピリピリとした空気が漂っていた。
停車駅で降りる時は人混みをかき分けて出なければならない程。ある停車駅では強引に降りようとした男性に押された人達がふらついて、別の人にも危害を加えてしまう状況を目にした。
『一言発すればいいのにな』と思いながら乗っていたら、それだけの問題ではない事をすぐに思い知らされた。
停車駅で女性が『降ります』と発しているのに、なかなか人が避けきれない状況があった。もう一度『降ります』。次の瞬間『降りますから!!』と叫びながら先程の男性の再現かの様な勢いで降りていった。
他の乗客からしたら堪らないだろう。勝手にキレてぶつかられ気分を害される。イライラしている人というのは周りからすれば『百害あって一利なし』という事を実感した。
知れば生きやすくなる思考
自分が満員電車の窮屈さにイライラしているのなら、他の人達も同じ様に感じているのではないかと想像をする。
真夏に暑いからと言って毎日誰かにキレる事はないだろう。世の中どうしようもない事があるという事を考えてみる。
次にイライラをぶつけている人を想像してみる。自分本位に感情を乱す姿はどう映るだろうか。実際に目の当たりにする事もあるだろうが、どんな気持ちになるだろうか。
世の中の犯罪はこうしたイライラの延長にある。自分だけの世界に生きていて、常に被害者思考。嫌な事があれば全て人や物のせいにする。
これが赤ちゃんなら仕方がない。知識や想像はこれから身に付けていくものであり、感情を露わにしようが大人が制御出来る存在だから問題無い。
そう考えるとイライラを周囲に振りまいている状態というのは、身体だけ大人になった赤ちゃんと言える。
イライラしている人がいる時の思考
上記を理解した上で日常生活を送っていると、イライラした人間がいても冷静に見る事が出来る。
時間を掛けて成長したのは体だけで、本能のままに三大欲求だけを満たしてきたのだろうと想像する。さらには動物そのものではないかとも思えてくる。
こうした見方が出来てくると、そんな人に関わる事の無駄を感じてくる。我が子の様に寄り添い親身に関われるなら話は別だが、そうでないのなら緩和思考で自分の機嫌を良い状態に保つ方がいい。
世の中には色んな人間がいて、色んな環境下で個々が生きている事も想像してみよう。皆が同じ境遇ではないという事が分かる。
その上で自分以外の人に対する期待はやめる。そもそも人をコントロールする事は出来ない。自分の管理さえも完璧に出来ている訳ではないはずだ。
だからこそ常に自分がどうありたいかという事に集中して生きる方が、確実に世の中は平和になっていく。個々の問題なのだ。まずは自分に目を向けよう。豊かになる思考はここから始まる。