ウィキペディアで「刀伊の入寇」を調べた。
刀伊の入寇(といのにゅうこう)は、寛仁3年(1019年)に、女真の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に九州に侵攻した事件。刀伊の来寇ともいう。
刀伊(とい)とは、高麗語で高麗以東の夷狄(いてき)である東夷(とうい)を指すtoiに、日本の文字を当てたとされている。
「刀伊の入寇」の主力は女真であったと考えられている。女真とは、12世紀に金を、後の17世紀には満洲族として後金を経て清を建国する民族である。近年の発掘によると、10世紀から13世紀初頭にかけて、アムール川水系および特に現在のウラジオストクからその北側にかけての沿海州の日本海沿岸部には女真族の一派が進出していた時期で、女真系の人々はアムール川水系と日本海北岸地域からオホーツク海方面への交易に従事していたものと考えられている。10世紀前後に資料に現れる東丹国や熟女直の母体となった人々で、当時ウラジオストク方面から日本海へ進出したグループのうち、刀伊の入寇を担った女真族と思われる集団は日本海沿岸を朝鮮半島づたいに南下して来たグループであったと考えられる。
昨日のブログで北東シベリア地域から日本海北岸沿いを南下した「黒い山葡萄原人が祖先の女真」は”金”を建国したのだろうと書いた。
彼らが”金”を建国する前に日本の対馬・壱岐を襲来していたとは・・・。
このような蛮族が大東亜戦争で敗戦した日本に入り込み、日本で蛮行を繰り返していたのだ。
現代では”集団ストーカー”という形で暗躍している。
これは、まさしく日本に対する”手ロ”と言わず何と言うのだろうか。